| この「人名」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
- 節名「記事名」が簡潔すぎるため「記事名「姓名」について」へ変更。 --シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2023年8月9日 (水) 23:14 (UTC)[返信]
﹁姓名﹂という見出しは﹁姓﹂と﹁名﹂を合わせたものですが、これはどれくらい一般的なものでしょうか? メソポタミアなど個人名のみの形が一般的だった時代や、現在でも個人名のみの文化圏は少なからずあります。また﹁姓﹂と﹁苗字﹂や﹁氏族名﹂﹁家名﹂などが異なる時代・文化圏も多数あります。とすると、人間の名前を扱う記事としては、より適切なものはないでしょうか? ﹁氏名﹂? あるいは﹁人の名前﹂とか? るがこむ 23:40 2003年7月14日 (UTC)
ごもっともな指摘です。氏、姓、苗字、いずれも日本の歴史的な文脈を背負っているというか、それに即した含みがあると言えばあるので、﹁名前﹂﹁名﹂のような融通がきく言葉の方がいいんじゃないかな、と思いました。
そこで、記事名としては﹁人の名前﹂がよさそうに思いました。﹁人名﹂にすると﹁人名一覧﹂という関連記事と統一がとれるのでそれでもいいように思います。
もともとこの記事を書くきっかけになったのは、﹁いろいろな文化の人が混ざった人名リストを作る時の配列や表記はどうすればいいのか?﹂ということを考えるための調査です。特に、ファーストネームとラストネームという形式がどの程度多くの文化に見られるものなのか、を知りたくて調べながら書きました。
もっとも、その件については結局まとめないままになってしまっていますが。。いい知恵があったら是非教えて下さい。Wikipedia:人名一覧のフォーマット のようなものを作るといいんじゃないかと思っています。
あるいは、Wikipedia:人名の扱い方 みたいなところに表記、記事名選択、一覧記事での配列、などをまとめるといいような気もします。
Tomos 07:48 2003年7月15日 (UTC)
英語版だとNameという記事があって、"Names of persons","Non-human Creature Names " に分けられ、さらに各論の記事にリンクしたりしていますね。とすると﹁人名﹂あるいは﹁名前﹂というところでしょうか。るがこむ 20:05 2003年7月15日 (UTC)
﹁名前﹂だと物や組織や土地の名前なども入れたくなりますが、今の記事は既に割と長いので﹁人名﹂でいいかな、と思います。
それはそうと、日本人の名前、アラブ人の名前、など英語版にも記事があったんですね。。Tomos 07:32 2003年7月16日 (UTC)
ヴェトナムの場合、例えばグエン・バン・チューだと「バン・チュー」が名に当たる筈ですが、一部資料で姓的に「チュー大統領」などとしたものが見られます。これは言ってみれば蒋介石を「石総統」と呼ぶようなものです。上記のような用法はヴェトナムでは珍しくないのでしょうか。それとも日本語資料が単に勘違いしているのでしょうか。どなたか本文に加筆していただければ幸いです。 --Bakkai 2006年3月4日 (土) 15:22 (UTC)[返信]
- これは、日本の新聞社などのマスコミがよくやらかす、非西欧系人名を西欧的人名と強引に解釈する悪弊による誤用だと思うのですが、そうすると、こうした御用的慣例をしっかり調べて体系的に記述する必要がありそうですね。--ウミユスリカ 2006年7月8日 (土) 09:17 (UTC)[返信]
- 更に調べてみると、中華文化圏(ヴェトナムも広義で含まれる)では兄弟姉妹で同一の字を共有するが(宋靄齢、宋慶齢、宋美齢など)、その際各人独自の字を愛称として用いる事があるとか。中華文化圏の姓は極めて種類が少ないため、各人独自の字で呼ぶのは妥当な習慣だったろうし、恐らく地元ヴェトナムでもこの感覚でグエン・バン・チューを「チュー大統領」と呼んでいたのでしょう。ただ姓名の構図が異なる海外の報道もこれを流用したため、混乱が生じたものと思われます。 Bakkai 2006年8月24日 (木) 17:45 (UTC)[返信]
- 本件については本文に加筆しましたので、ご確認下さい。--Novo 2006年12月11日 (月) 04:49 (UTC)[返信]
- 講談社現代新書『源氏と日本国王』(岡野友彦著)において、そういう原則と後世の崩れが紹介されています。--ウミユスリカ 2006年7月8日 (土) 09:14 (UTC)[返信]
>女性の名は族譜に記載されない。
とありますが、日本が併合して戸籍を作るまで、朝鮮人の女性に名前は無かったのですよね?
211.133.18.174 2006年7月6日 (木) 07:49 (UTC)[返信]
この点は、かなり微妙な要素があります。たとえば、中世の日本でも、天皇から位階を受けない限りは、﹁○子﹂などの形の正式の諱を名乗らなかったのではないかと思しき状況でした。ですから、今日﹁北条政子﹂と呼ばれている女性にしても、﹁政子﹂という諱を名乗ったのは、朝廷から位階を受けて以降なのではという説も目にしたことがあります。また、たとえ諱をもっていたとしても、女性はあくまでも家や氏の組織の序列内部でのみ生きる存在とされたので、その諱がそうした共同体組織の外、特に両親や夫以外の存在に明かされることそのものが稀でした。その数少ない例外が、朝廷から位階を受け、朝廷の公文書に記述されることだったのです。ですから、日本史においても中世初期には外部に知られる女性の呼び名は、﹁清原氏女﹂だの、﹁大姫﹂、﹁二の姫﹂だのといった家組織や氏組織の中の通称や、﹁紫式部﹂、﹁清少納言﹂といった女房名などに限られていました。そういう点では、日本の中世初期にも、﹁位階のある身分でもない限り日本人の女性に名前はなかった﹂ということになりかねない状況でした。また、中世後期や近世になってくると、﹁ねね﹂だの﹁やや﹂だの﹁茶々﹂だのといった﹁女性の名前﹂が登場しますが、実はこれ、みんな幼名なんです。表に出さない諱自体をつけなくなって、幼名を一生使うようになったのか、それとも実は裏では諱はつけていたけど、一生の通称として幼名を使うようになったのか、それとも時代的な変遷があるのか、このあたりはまだあまり研究が進んでいないようにも見受けられます。とにかく、東アジア社会には、霊的人格に直結する本名=諱と、そうでない通称だの号だのを並列で使う文化があって、女性の諱が表に出にくいという状況があるわけです。または、通称系の名前は存在しても、あえて諱系の命名を避けているケースもあったでしょう。朝鮮人の女性人名にしても、文書に記述される諱系実名がないからといって、通称系人名の存在を否定するものではないですし、あるいは諱系実名も表に出さないものがあったかもしれない。とにかく、東アジアの人名に関しては、この問題はかなり解明が困難な部分を抱えているわけでして、一部の書籍で主張されているように、安易に前近代の朝鮮人女性に名前がなかったと決め付けるのは、私は危険だと考えています。--ウミユスリカ 2006年7月6日 (木) 08:26 (UTC)[返信]
昔の日本の女性の場合、本名を知る人は、亭主と親くらいでしょう。朝鮮半島では女性は人間扱いされていませんでした。まして19世紀末の朝鮮半島での人民の生活は人間の生活とは言えるようなものでは在りませんでした。どう考えようと自由ですが、朝鮮人女性に名前があったとする何か根拠を示して頂かないことには受け容れられませんけど。ネットでも提示されている当時の写真はとても説得力があります。211.125.13.199 2006年7月8日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
確かに東アジア全体として、儒教の影響が強い地域や社会階層で女性蔑視が激しかったこと、特に儒教一色に社会を塗りつぶしてしまった朝鮮社会でその傾向が著しかったことは確かです。また、東アジアの中では儒教が原理主義的には受容されなかったこともあり、日本社会の女性の地位が比較的高いほうだったとも言える要素が強いこともまた確かです。ただし、蔑視の激しさを﹁人間扱いしない﹂と表現してしまうのは百科事典としてはふさわしくないと思います。たとえば、今日のイスラム圏の中には女性蔑視が激しく現代の先進国的な基準ではとても人間扱いしているとは思えない地域や社会集団がまま見受けられますが、その社会ではあくまでも人間として扱ってはいる意識ではあるわけです。なぜなら、クルアーン︵コーラン︶に女性は人間ではないと定義されているわけではないからです。つまり、あくまで人間ではあるが、女性はその程度の権利しか持ち合わさぬ存在であるという社会的合意が成り立っていることになるわけです。同様に、儒教の諸経典、たとえば論語で決して女性は人間ではないとは定義していません。つまり、あくまでも人間ではあるが、その程度の扱いで済ませてよい存在と、当時の朝鮮社会で合意されていたと考えるほうが自然でしょう。あと、いくら︵今日的感覚から︶家畜扱い同然であっても、言語を媒体とした社会生活を営む上では何らかの識別符号は必要です。家畜ですら個体の識別無しにはまともな管理はできないのですから。ですから、諱系の正式名などの公的人名を命名しなくとも、その程度の識別符号はあったと考えるほうが自然でしょう。いわば、日本の中世の武家社会での大姫、二の姫、三の姫に類する識別符号です。これは正式名ではなくても一応は名前の範疇に含めざるを得ないでしょう。こういう識別符号すらなかったとすると、たとえば複数生まれた女子を個人としてまったく識別せずに社会生活が成立していたと考えざるを得ませんが、そこまで言い切ってしまうには、それこそきちんとした根拠を示していただく必要があります。不明なら不明で、とりあえず族譜には記述されなかったところまでは言い切れるというところでとどめておくのが妥当でしょう。ネット上の写真とは、そういう個人識別符合すらも存在しないことの証拠となる何かが写っているのでしょうか?なお、女性の社会的地位の制限の強さと、公的人名の有無は、たまたま朝鮮社会では一致していますが、世界的には必ずしも一致していません。たとえば、古代ギリシア社会では女性は公的人名を持ち、古代ローマ社会では女性は公的人名を持たず、公の場では氏族名の女性型、たとえばユリウス氏族ならユリアと呼ばれたわけですが、女性の社会的地位はローマ社会のほうがギリシア社会より高かったと言われています。--ウミユスリカ 2006年7月8日 (土) 06:39 (UTC)[返信]
文章が長いだけで何を主張したいのかサッパリわかりません。
“女子を個人としてまったく識別せずに社会生活が成立していたと考えざるを得ませんが、”これを見る限り知性が無い方のようにお見受けします。明治維新迄、人々の名前はそうそう表に出るものではなかっただけの話です。女性に名前が無かったわけではありません。女性の名前を知っているということで、自身の身分の証明にもなったります。極内輪の人以外は、だれそれの娘だとか呼んでいただけの事です。
朝鮮社会はそもそもが文明社会に程遠く、庶民の男性すら名前があったのかどうかも疑わしい限りです。朝鮮社会で、人間の生活ぽいことをしてきたのは、両班の一部です。それらを蔑視だとか刷りかえることこそ百科事典に相応しくないです。211.125.13.70 2006年7月8日 (土) 07:05 (UTC)[返信]
“女子を個人としてまったく識別せずに社会生活が成立していたと考えざるを得ませんが、”というのは、朝鮮社会の女子に名前が存在しないとした仮定に対してであって、日本社会に対する論評部分ではありません。もう一度、私の文章を読み直してください。どんな︵語弊はあるが︶未開社会であろうと、人名は存在します。また、むしろ西欧的視点から﹁未開﹂とされる社会のほうがしばしば衛生的で人間らしい生活をしていることを考えると、前近代朝鮮社会の悲惨はむしろ﹁文明﹂のゆがみに起因すると判断するのが妥当に思えます。都市文明のゆがんだ発展は、かえって人間の悲惨を作り出すのは、世界的に枚挙に暇がありません。朝鮮社会の庶民の男性にあったかどうか怪しいのは、諱系の公的人名であって、成員が全く互いを識別する符号無しに社会は成り立たないでしょう。むしろ、こうした諱系ではない庶民や女子の通称が漢文偏重社会の弊で明らかにしにくい部分に、朝鮮研究の足かせがあるように思えます。--ウミユスリカ 2006年7月8日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
一応私の趣旨を短く明言しておきますと、﹁前近代朝鮮社会において、女子が諱系公式名を持てなかった可能性は否定できないが、同時に中世日本社会と同様に外に公表していなかっただけである可能性もある。また、たとえ諱系公式名を持てなかったとしても、通称的な識別符号としての呼称を全く持たなかったとは考えにくい。世界的に見れば、それすらも十分人名の範疇に入るものである。だから、安易に前近代の朝鮮人女性に人名がなかったと記述するのはいかがなものか。﹂というものです。--ウミユスリカ 2006年7月8日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
日本人ははたしてウィキペディアの中立性を何だと考え込んでいるのかまったく分からない。ここは日本版でなく、日本語版だ。韓国人としていたるところで見つかる朝鮮関係の嫌韓色深い悪意に満ちたどんでもないクズ文章を見つけるたびに腹が立つのは別にして、どのようなソースを根拠にして上のIPのような無知極まりない文章を自信もってかいてるのかまったく分からない。これがいわゆる大日本人が自慢げにいう民度のあらわし?
IP野朗は本場の資料はちっとも調べないまま、嫌韓資料などにもとづいて李氏朝鮮の女性は名前がないと勝手に信じ込み、それから女性蔑視だの人間以下の生活だの
まったく非常識な文章ばかり書いている。恥を知れよ。あんたはどこかで李氏朝鮮
末期の写真を見たようだが、俺の見覚えでは江戸時代の日本だってさほど洗礼されたとか文明だとかそういう感じはまったくしなかったという感想だけ書いておこう。アニメなんかをあまりにも見すぎて勘違いしているようだが、たとえアニメの中での新撰組の斉藤一と現実の斉藤一の写真を見てあんたはその違和感感じないのかよ?
黒白写真に写った丁髷にふんどし姿の日本人を野蛮人如く語る欧米人はいくらでもある。
李氏朝鮮が儒教倫理に基づき男尊女卑の社会であった事実はあえて否認しない。で、日本は朝鮮よりマシだったと自慢げにいえるほど女性の社会的地位が高かったのか?
西洋だって参政権など女性の社会的権利は20世紀になってからやっと認められるの
だろう。それも男性がただで与えたものじゃなくて女性らが闘争して権利を奪い取ったものである。むしろ女性差別は世界の一般的現象とでも呼んでもいいだろう。
︵もちろん、これが正しいと言ってるのではない︶
で、あんたらの国は何をもって朝鮮よりはるかに女性尊重の社会であったかのようにしゃべって勝手に優越感を持って隣国を貶しているのか疑問に思わざるをえない。
第一従軍慰安婦のことを売春婦なんぞよばわりしてる人物だらけを選挙で好んで選んでる国民の国が女性尊重の国だと考えがたいし、女性天皇を反対する国が女性尊重の国だと考えにくいし、国会での女性議員の数が欧米に比べ格段に低い国が女性尊重
の国だと考えにくい。そして肉便器なんぞの単語を普通につかい、反フェミニスムがネットの主流となっており、閣僚が女性を﹁産む機械﹂と表現し、﹁生産能力のない
老婆は無用﹂といっている人物が首都の長に3回も選ばれる国が女性尊重?
北欧の国の人間からそういうことを言われると納得できなくもないが、日本が女性尊重の国だと?可笑しい。あんたら嫌韓日本人はただ朝鮮を攻撃するためのネタが必要だっただけだろう。
それで、こちらから一言言わせるが、その名も輝く先進国の日本に部落民という前近代の野蛮的身分制度が今もねつよく残っていると聞くが、これはいかがなるもんか。
官庁が同和地区というものを設定し、差別しないように呼びかけても就職、結婚など
差別されるんだって?部落地名総監というものによってよ?
これどうみても人権大国美しい国日本にはふさわしくないと思うが?
李氏朝鮮でもペクチョンという賎民の身分があったが、今はまったく意識されてない。ま、こういうととあるやつらは植民地支配のおかげだ!というかもしれんが、
その場合も劣等植民地人にできることが偉大なる内地の社会ではできなかったのか
説明してもらいたいな。どういう電波な詭弁を持ち出すのかわくわくする。
情けない。専ら世界第二の経済大国を名乗り、自称先進諸国の一員の大国が
いわゆる﹁劣等小国﹂の罵倒に毎日目が見えない。
ファビョンだの何だの呼ばわりして朝鮮人の気の短さをあざ笑うが、
ネットでのこういう本音を読む限り、日本人こそワビョってるとしか言わざるを
えない。
朝鮮語版ウィキペディアの日本関連記事を見ろ。敏感な歴史や政治問題を除けば
ほとんどNPOVによって中立的に書いてあり、悪戯などには直ちに管理人が
直してくれるし、日本人が活発に活動している上に相手が日本人だとわかっても罵倒するような表現も無い。たまにある悪戯は厨房扱いされる。それに比べ日本語版はいたるところで朝鮮罵倒の記事やノートばかりであり、誰かがそれを直そうとすると
しょっちゅう編集合戦になり、むしろ嫌韓のほうが自分の呪いに近い意見を客観的だと主張し、それに反する相手は在日認定する。その違いをご覧に入れると
朝鮮語版
チョッパリは野蛮人であり、人類のクズです。
ー>rv 投稿者に警告、またはIPの遮断
︵ノートなどに異を唱えるこえはなく、みんな厨房認定︶
日本語版
チョンは野蛮人であり、人類のクズです。
ー>rv合戦になるか、
| この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。 |
がつく。
ー>投稿者はノートなで自分の正しさを主張する
ー>それに異を唱える人は少数小心であり、たまに在日認定される
(嫌韓の内容だとある文章の書き方が常識的か非常識的という認識がまったくなくなるらしい)
結論から言って李氏朝鮮の女性は名前を持っていた。李氏朝鮮時代の資料は韓国側のネットで王朝実録から個人の書簡文まで簡単に検索できるほどデータベースがあふれてるのだから女性の名前があったかないかくらいは自分で調べれるだろ。
--以上の文章は2007年7月8日 (日) 09:45 218.157.75.134 によって書かれました。
「va/vi/vu/ve/vo」を「バ/ビ/ブ/ベ/ボ」と表記するのか「ヴァ/ヴィ/ヴ/ヴェ/ヴォ」と表記するのか、統一したほうが良いのではないでしょうか。フランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)やハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover)のようにバラバラであるのが現状です。121.113.161.87 2006年11月18日 (土) 07:50 (UTC)[返信]
統一する必要は無いと思います。日本において馴染みのある表記法で表記するのがよいのではないでしょうか。現在日本ではどちらの表現も使いますし。--しまながし 2007年1月3日 (水) 09:28 (UTC)[返信]
出典の表示の仕方が杜撰すぎませんか?あるWikipedia記事上の字句の出典を調べるのに、文末列記されている参考資料のすべてを調査しなければならない、なんて、とても秀逸とは思えません。--125.205.189.66 2008年1月7日 (月) 18:21 (UTC)[返信]
外部リンクにある、アラブ人名の由来と正しい呼び方のリンク先が﹁Page Not Found﹂状態になっており、Googleで﹁アラブ人名の由来と正しい呼び方[1]﹂で検索したところ、PDFデータに変更されているようです。HTMLバージョンでも表示できますが、マーカーの入った状態になってしまいます。こういった場合、どちらにリンクしたら良いのでしょうか。--Weather stone 2008年8月4日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
@Weather stone 宛
参照元として、必要な情報が存在するならば、HTMLでもPDFでも構いません。
ただし、私がおすすめする方法は以下の通りです。
(一)HTML版もPDF版も両方インターネットアーカイブをとる。
(二)HTML版が正しいアーカイブできる場合は、HTML版にリンクする。
(三)PDF版しか正しくアーカイブできなかった場合のみPDF版にリンクする。
理由は、アーカイブがある方がいいことは当然として、HTML版のほうが、言語情報や作者情報、タイトルの情報にアクセスしやすい傾向にあるためです。
ただし、参照元により﹁PDF版のほうが正式である﹂とある場合はこの限りではありません。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.︵お気軽に会話ページへご連絡ください︶ 2023年7月15日 (土) 12:18 (UTC)[返信]
名前を仮に知っていても呼ぶことをタブー視するという話とは論点がかなりずれている上、独自研究であると思われます。
--4thmoon 2011年2月26日 (土) 05:23 (UTC)[返信]
- ネットの匿名性は日本独特のものです(アラブ革命とフェースブックの関係を見れば一目瞭然)。--113.197.140.201 2011年3月4日 (金) 03:21 (UTC)[返信]
秀逸に選ばれただけある、読みでのある項目で、実際読んでいて知的好奇心を大変刺激され、また史料価値が高い項目だと思いました。これまでの編集のバトンのなせる技なんだなろうな、いいなぁ、とか思いつつ、
どうしても気になった点があり、差し出がましいながら、編集しました。
定義については、21世紀現代日本の様子が主に記されているように思い、思い切って明確に説明できるよう心がけました。
結局、それは記号に過ぎないが、我々は記号なんかじゃないぞ、と言いたいということに尽きるのではないかという方向性です。
概要については、編集前に定義の部分にあった文章を繰り入れました。日本の例が多いので、この項目全体を俯瞰する目次的な概要により近づきたいです。
なお、ノートの上のほうに議論がありますが、民族の意識に関わる名の問題として、近世近代日本の例に加えて(アイヌとか朝鮮とかのいわゆる創氏改名)他国の例でもあれば(沢山あったような気はするのですが)、
人名に関わる問題として一節設けられるのではないかと考えています。力尽きたのでここまで。--Nakazawa hikaru 2011年5月4日 (水) 02:50 (UTC)[返信]
「稲取市」は存在しない上(東伊豆町の一地区)、『お互いを(戸籍上の名前よりも)数代前の先祖の生業にちなんだ「コメヤ」「サカナヤ」などの屋号で日常的に呼ぶ文化があり、各家の玄関にもそれが掲げられている。戸籍上の名字は「太田」の人の割合が多くこれでは区別がつかないこともあり、この文化が根付いている。世代を重ねるうちに商売替えした家も多く、「サカナヤ」さんが米屋をやっていたり、「コメヤ」さんが床屋をやっている、という部外者からは紛らわしく可笑しいことも起きている。』という風習は日本各地の農漁村部に見られますので、一旦コメントアウトとしました。日本全国の農漁村部に見られる風習としての記述が求められます。半月熊(会話) 2012年4月23日 (月) 02:29 (UTC)[返信]
﹁氏の取得と変動﹂の節に、少なくとも﹁単一の出典﹂の問題があることはご理解いただけると思います。コメントアウトに書いたとおり、行政および議会以外の出典として、ほぼすべて笹川あゆみの﹁選択的夫婦別姓制度は何故実現しないのか : ﹁女性活躍推進﹂の陰で﹂から引用されていることになっていますが、出典の題名からして対立する立場の出典を、適切に重み付けしてもってくる必要があるでしょう。
ならば私が自分で編集しろという話ですが、私自身は民法の婚姻等について伝統的慣習を踏襲すべきという立場が長いせいかうまく中立的に書けませんでした。決定的に中立性がないわけでもなく、国際比較自体はなされているため、杞憂や思い込みかもしれませんが一応、ノートに残してみたところです。
具体的には、
●人名の記事に書く内容としては、節の名前に対して夫婦別姓に注目しすぎている。
●文化ごとに﹁氏﹂に求められる社会的役割が違うことに触れられていない。
●﹁家族名‥家を識別するための氏﹂﹁氏族名‥出身などを識別するための氏﹂﹁役職名‥階級や役割を表す氏﹂などの違い
●近代以降の日本における名字のような氏の取得例など、節に含まれそうな内容が存在しない。
など、人名の記事の氏の取得と変動の節に書くべき内容が、婚姻前後の両性の氏の変化のみにフォーカスされているように感じます。シェン,アーナリー,ン,アーバァ.︵会話︶ 2023年3月1日 (水) 03:20 (UTC)[返信]