ノート:萩尾望都
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「由良の門」の読み方について[編集]
●少し編集合戦になっていますが、この作品のベースになっているらしい、百人一首﹁由良の門︵と︶を 渡る舟人︵ふなびと︶ かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋︵こひ︶の道かな﹂をあげて、歌枕で﹁ゆらのと﹂と読み、紀淡海峡の、兵庫県洲本市由良の付近のことと脚注を付けたらどうでしょう。--奈良たかし︵会話︶ 2016年8月14日 (日) 06:06 (UTC)
●奈良たかし様、ご提案いただきありがとうございます。ご提案を基本として脚注追記させていただきます。ただ、作品中では﹁由良の門︵と︶を﹂の和歌は百人一首ではなく新古今︵和歌︶集と記載されていますので︵この和歌はどちらにも収載されているのですが︶、作品の記載に従い新古今和歌集とさせていただきます。ご承知のほどお願いいたします。--エヴァンズの秘書 2016年8月14日 (日) 22:00 (UTC)
年譜について[編集]
﹁年譜﹂節ですが、出典がほとんど無く、また内容も﹁来歴﹂と重複する部分もありますので、﹁来歴﹂に組み込む形で﹁年譜﹂節自体を無くそうと思います。また内容についても日本デザイナー学院に入学したのが1967年になっていますが、日本デザイナー学院九州校が設立されたのは1968年ですし、またデビューしたのもコトバンク︵知恵蔵mini﹃萩尾望都﹄ - コトバンク︶では日本デザイナー学院卒業後にデビューとありますが、﹃マンガのあなたSFのわたし﹄︵ISBN 978-4-309-27307-5︶の水野英子との対談︵p.50︶では在学中にデビューとあります。そのあたりもいろいろ手直しをしようと思います。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月14日 (木) 12:51 (UTC)
来歴と年譜を内容で一緒にすると言われますが、それは誤解で、スタイルマニュアル/人物伝本文にも、﹁伝記本文とは別に、簡便な年表︵略年譜など︶を設けることは否定されていません﹂とあり、本文とは別の百科事典での項目内の表示形式だとご理解ください。紙製の百科事典も理解の助けに年譜が設けられていることも多くwikipadiaの人物伝も同様に年譜が設けられていることは多いのです。だから賛成とか反対とかそういう以前のもので、内容で年譜を削除するなどできないのです。資料と矛盾する点や出典については、私も修正できる部分は検討してみたいと思います。--奈良たかし︵会話︶ 2022年4月14日 (木) 14:00 (UTC)
返信 いま編集してしまいました。年譜を否定しているのではなく、出典がないのが問題だと思ったのでまとめてしまいました。学歴とか引っ越しの経緯などは年譜形式のほうがわかりやすいと思いますので、出典で年数がきちんと確認できるのであれば年譜を戻すことに異存はありません。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月14日 (木) 14:13 (UTC)
簡単な年譜を載せました。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月14日 (木) 14:41 (UTC)
報告 奈良たかしさんが年譜を差し戻しされましたので、とりあえず出典を付けました。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月14日 (木) 17:36 (UTC)
コメント 奈良さんの編集の要約欄に﹁腕づくで解決しようとしないでください﹂とありましたが、私はノートに最初の発言を書いて記事の編集を終えてから、ノートを再び見たら奈良さんのコメントを見つけたのであって、奈良さんのコメントを無視して編集したわけではないことはお伝えしておきます。ちなみに﹃マンガのあなたSFのわたし﹄︵ISBN 978-4-309-27307-5︶の小松左京との対談︵p.145︶で、デザイン学校では2年間同じスカートを履いて過ごしたといったことを話していますのでデザイン学校は2年制、1969年の﹃なかよし﹄夏休み増刊号に﹁ルルとミミ﹂が掲載されたときにまだデザイン学校が1年残っていたと発言していますから︵p.50︶、1968年入学、1970年卒業で良さそうです。日本デザイナー学院九州校設立の1968年とも一致しますし。でも独自研究になっちゃうので記事に書けないですね。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月15日 (金) 15:30 (UTC)
返信 (奈良たかしさん宛) ところで年譜について、奈良さんになにかこうしたいとか要望はありますでしょうか。スタイルマニュアル/人物伝に、﹁人物の伝記は流れのあるまとまった文章で執筆してください。年譜形式は︵箇条書きの書式を取っているか否かに関わらず︶推奨されません。もっとも、学歴・職歴や受賞歴を別途まとめる場合や、伝記本文とは別に、簡便な年表︵略年譜など︶を設けることは否定されていません。その場合も年譜のほうが記事の主体とならないようにしてください。﹂とあるように、年譜はあくまでサブ的な位置付けであると私は認識しています。たとえば﹁受賞歴﹂はすでにあるのに﹁年譜﹂にも同じことを記載するのかな、とか、出典で何年生の頃とか書かれているのは正確な年数がわからないので﹁年譜﹂に書くのはちょっとどうかな、と個人的にはいろいろ疑問に思っているのですが、奈良さんはそのあたりはどのようにお考えでしょうか。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月17日 (日) 19:12 (UTC)
報告 しばらく待ちましたがコメントがありませんでしたので、こちらの判断でいろいろ加筆等を行います。もし異議などがありましたらノートにお願いします。なお、デザイン学校の入学年と卒業年については中川右介﹃萩尾望都と竹宮惠子﹄︵幻冬舎新書、2020年、ISBN 978-4-344-98586-5︶に両方とも書いてありました。入学年が誤っていたのは、もしかすると著名なファンサイトの﹁萩尾望都 年譜‥萩尾望都作品目録﹂あたりを参照したのかも知れません。--ねこざめ︵会話︶ 2022年4月26日 (火) 12:54 (UTC)
バス事故に関する記述について[編集]
このたび、萩尾望都#1980年代のバス事故に関する記述について、Aroma7777777︵会話︶さんと編集合戦を引き起こしてしまいましたエヴァンズの秘書︵会話︶です。この度は私の至らなさにより皆様に多大なご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。以下にこのたびの編集合戦に至った経緯の説明と、解決のための提案をさせていただきますので、皆様のご意見を頂戴したいと思います。
まず、編集合戦に至った経緯は以下の通りです。︵敬称略︶
●5月18日 (水) 16:16 エヴァンズの秘書︵会話︶がこの編集にて﹁バス事故における母親の発言と萩尾のコメントを注釈に修正。︵作品や受賞に関しての発言やコメントの記載が本文になく、バス事故に関してのみ本文に発言やコメントが記載されていることに違和感があるため︶﹂として、バス事故についての医者の説明﹁ふつう頭蓋骨のここを骨折すると脳みそが豆腐みたいにぐちゃぐちゃになる﹂と母親の発言﹁あなたは、お母さんが頭を打ったおかげで助かったのよ﹂、および作者のコメント﹁不思議なことがあった。シンクロニシティかもしれない。﹂を注釈に修正。
●5月18日 (水) 17:28 Aroma7777777︵会話︶がこの編集にて﹁バス事故における母親の発言と萩尾のコメントを全て削除。︵作品や受賞に関しての発言やコメントの記載のみが許されているのならば、そもそもバス事故に関する記載は不要と判断したため︶﹂として、バス事故に関する記述を全文削除。
●5月18日 (水) 21:54 エヴァンズの秘書︵会話︶がこの編集にて﹁バス事故そのものの記述を元に戻す。ここは作者の来歴であるところの年代ごとの主な出来事、生まれ・育ちから校歴、主な作品や受賞などを記載しており、バス事故も主な出来事のひとつです。︵ただし、家族等の発言や作者のコメントは、いずれも本文には不要﹂として、医者の説明・母親の発言と作者のコメントを除いてバス事故そのものに関する記述を元に戻す。
●5月19日 (木) 00:28 Aroma7777777︵会話︶がこの編集にて﹁作品や受賞に関して﹁作品や受賞に関しての発言やコメントの記載が本文になく、バス事故に関してのみ本文に発言やコメントが記載されていることに違和感があるというなら、他のイベントにも作者のコメントを載せれば違和感が消えるはず。というか、そういう個人的な主観が判定基準になっていることには非常に違和感を覚えます。 今件は、作者が奇跡的に助かったという、ファンにはよく知られた有名エピソードであり、台詞ともども、あえて簡潔にして事務的に表記する必然性は感じません﹂として、医者の説明・母親の発言と作者のコメントを元に戻す。
以上に対して、雑用部︵会話︶さんより、﹁編集合戦となっていますので2022-04-30T03:25:41の版に、暫定的に戻します。ノートページでの形成合意をしてからの記載をお願いします。﹂とご指摘を受け、現在に至っている次第です。
そこで解決のためにプロジェクト:漫画家を確認しましたところ、来歴には次のとおり記載されていました。
●記事が立項される理由である作家としての功績に関わることを中心として記述し、作家としての経歴に関わってこないことについては最低限の記述に留めます。ただし、社会的に影響のあったことについては漫画関係以外であっても記述してください。
●例えば、ただ﹁高校時代にボクシング部に在籍していた﹂という事実だけでは漫画家の来歴としては特記するほどの情報ではないかもしれません。しかし、ボクシング漫画を執筆している漫画家であればボクシング部に在籍していたということは重要かもしれませんし、ボクシングを辞めたことが漫画を書きはじめるきっかけになったのであればそれは漫画家の経歴として重要な転機となっています。また、直接ボクシングが漫画に関わりがなかったとしても、インターハイ出場などの経歴があれば、社会的にも認められた経歴となりますので記載が適当となります。
上記記述からすると、バス事故は﹁作家としての経歴に関わってこない﹂ことで最低限の記述に留める必要があるので、最低限の記述としてバス事故という事実のみに留めるべきであり、医者の説明﹁ふつう頭蓋骨のここを骨折すると脳みそが豆腐みたいにぐちゃぐちゃになる﹂と母親の発言﹁あなたは、お母さんが頭を打ったおかげで助かったのよ﹂、および作者のコメント﹁不思議なことがあった。シンクロニシティかもしれない。﹂は不要ということになります。
しかしながら、例えばとして挙げられている﹁高校時代にボクシング部に在籍していた﹂をバス事故に当てはめると、﹁バス事故という事実だけでは漫画家の来歴としては特記するほどの情報ではない﹂ということになります。
後者を取るなら、 Aroma7777777︵会話︶さんがバス事故そのものに関する記述を全文削除したのが正解だったということで、私がその後バス事故そのものの記述を元に戻しさえしなければ、その時点で今回の編集合戦は終了していたはずでした。今回編集合戦を長引かせてしまったのは、偏にエヴァンズの秘書︵会話︶が自身の考えに拘ったためであり、大いに反省しております。
そこで、上記反省を基に、 Aroma7777777︵会話︶さんがこの編集でされたとおり、バス事故に関する記述を全文削除することを提案いたします。ご検討いただきますとともに、プロジェクト:漫画家やその他のガイドラインに基づく別の解釈やご意見等がございましたらご教示をお願いいたします。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年5月19日 (木) 18:16 (UTC) 誤記を削除。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年5月19日 (木) 18:30 (UTC)
バス事故に関して、萩尾さんはhttps://www.hagiomoto.net/news/2017/10/post-280.htmlで、こう述べられています。この後の親との関係では﹁マンガのことはちょっととりあえずおいておこう﹂という感じでした。マンガの話をすると私が怒ることがわかっているので、親もマンガの話は極力しないようになり、やめろとは言わなくなりました。その話は箱に入れて蓋をして、当たり障りのないところでコミュニケーションをとるようになりました。その10年後に萩尾さんは母親との関係を寓話的に描いた﹃イグアナの娘﹄を発表しました。萩尾さんは母親との関係に悩んでおり、このことが彼女の作品にも影響を与えています。決してバス事故単体のエピソードでは無いと思います。とはいえ、押し問答になっても何ですので、バス事故に関する記述を簡潔にして、台詞などは注釈にするという折衷案はいかがでしょうか?--Aroma7777777︵会話︶ 2022年5月21日 (土) 07:20 (UTC)
折衷案を提起いただき、ありがとうございます。台詞などを注釈にするのは、元々私がこちらの編集で行ったものですので、Aroma7777777︵会話︶さんさえよろしければ、私の方には異存はありません。﹁バス事故に関する記述を簡潔にして﹂とのことですが、現時点の記述は﹁1982年の年末に、モスクワ郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う。﹂と簡潔なものとなっていますので、これをそのまま活かして、次のとおりでよろしいでしょうか。
これでよろしければ、他の方からも異存がなければ、こちらに編集を差し替えさせていただきます。ご確認のほど、よろしくお願いいたします。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年5月21日 (土) 14:55 (UTC) はい。私の方は、それで異論ありません。--Aroma7777777︵会話︶ 2022年5月21日 (土) 15:58 (UTC) Aroma7777777︵会話︶さん、同意いただきありがとうございます。それではあと1日だけ待って、他の方から異存がなければこちらに編集を差し替えさせていただきます。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年5月21日 (土) 17:23 (UTC) はい。よろしくお願いします。--Aroma7777777︵会話︶ 2022年5月21日 (土) 19:19 (UTC) 合意に基づき萩尾望都#1980年代のバス事故に関する記述を修正しました。Aroma7777777︵会話︶さんにはご協力いただきありがとうございました。--エヴァンズの秘書︵会話︶ 2022年5月22日 (日) 15:22 (UTC)