ノート:護国寺
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改名提案[編集]
現項目︵文京区の護国寺︶を﹁護国寺 (文京区)﹂に改名し、跡地に﹁護国寺 (曖昧さ回避)﹂を持って来たいと思います。文京区の寺院が同名寺院の代表とは言えないと思うからです。 --胡亂堂︵会話︶ 2012年6月15日 (金) 13:40 (UTC)
●︵改名は不要︶大変申しわけありませんが、改名は不要であると考えます。ページの冒頭に﹁この項目では、東京都文京区にある護国寺について説明しています。その他については﹁護国寺 (曖昧さ回避)﹂をご覧ください﹂と案内しておけばよろしいかと存じます。本件については、﹁文京区の寺院が同名寺院の代表とは言えないと思うからです﹂というご指摘が改名の理由となっています。このご指摘は真面目な問題意識からのものだと思いますが、﹁文京区の護国寺﹂を﹁特筆性のない一般的な寺院﹂と誤認されたのではないかと拝察します。﹁護国寺﹂という同名の寺院は日本各地に存在するものですが、寺格や知名度の点からみて、文京区の護国寺を代表的なトピックとすることが妥当であると思料します。--Urania︵会話︶ 2012年6月20日 (水) 14:36 (UTC)
ご意見ありがとうございます。一応は寺格や知名度の点を考慮したつもりでして、(1)既存の﹁護国寺 (曖昧さ回避)﹂で記事のあるものを通覧したところ真言宗豊山派の寺格が日蓮宗にも通用するのか分かりませんでした、(2)知名度の点からは文京区の存在を存じ上げなかったので︵寺格上の疑問からも︶他の寺院と同列に扱ったのは確かですが、決して﹁特筆性のない一般的な寺院﹂とした訳ではなく、特筆性及び寺格や知名度においてそれに勝るとも劣らない護国寺もあるんじゃないか、(3)少なくとも日本史上で占める位置においては遙かに重要でその概要をざっと見ただけでも単独項目化に値すると思われる護国寺がある︵あった︶︵具体的にはコレ︶、の3点から平等な曖昧さ回避を提案したものです。もっともそれら自体が誤認であるかも知れませんし︵目下(3)の名称を調査中です︶、よろしければ後日の為にも﹁文京区の護国寺を代表的なトピックとすることが妥当であると思料﹂された根拠をもう少し詳しくお示し願えないでしょうか︵まだ記事がないからと言われればそれまでですが・・・︶。--胡亂堂︵会話︶ 2012年6月21日 (木) 16:22 (UTC)
●ShikiHでございます。改名にはあんまり賛成じゃありません。文京区の護国寺は音羽の護国寺として、少なくとも東京ではとても有名です。以下のようなことを考慮して良いと思います。
(一)江戸幕府の庇護をうけて寺領が広大である。
(二)参拝者がとても多かった。それを目当てに遊女が門前に集まり、吉宗が規制するほどだった。
(三)参道が真っ直ぐ整備され、現在の地図でも確認できる。起伏の多い山の手にあっては大変珍しい。
(四)真言宗豊山派の大本山である。
(五)寺域に学校が建っている。その名も日大豊山高校。
(六)地下鉄有楽町線の駅名が護国寺である。他の駅はたとえば千川、要町、池袋、東池袋、江戸川橋、飯田橋、市ヶ谷など。駅名は誰もが納得するようなものでないと苦情が来るので慎重に選んだと思われるが、それでもこの駅は護国寺。
(七)重要文化財がたくさんある。
いま、特に資料を見ませんがこのくらい思いつきます。他の護国寺はこれに匹敵するでしょうか。--ShikiH︵会話︶ 2012年6月21日 (木) 17:37 (UTC)
だから(3)を・・・。--胡亂堂︵会話︶ 2012年6月21日 (木) 17:49 (UTC)
ShikiHでございます。音羽の護国寺が知名度抜群であっても、歴史的に見て石清水の護国寺が代表項目としてふさわしいという意見ももっともだと思います。改名賛成のご意見が多いようであれば、強くは反対しません。--ShikiH︵会話︶ 2012年6月22日 (金) 08:32 (UTC)
﹁歴史上の価値﹂はここでの直接の論点ではありません。問題は、﹁護国寺﹂という文字列をキーワードとして検索の対象となる主要なトピックは何かということです。﹃広辞苑﹄をはじめ﹃国語大辞典﹄︵小学館︶、﹃広辞林﹄︵三省堂︶、﹃日本語大辞典﹄︵講談社︶などを参照すると、﹁ごこくじ﹂の見出し語の下に説明されているのはいずれも音羽の護国寺です。このことから、音羽の護国寺が著名寺院であること、﹁ごこくじ﹂という見出しでまず検索されるのは音羽の護国寺であることが首肯されます。音羽の護国寺は、歴史的にみれば、桂昌院と徳川綱吉という歴史上の著名人により創建された寺院であり、現代においては、真言宗豊山派という、末寺2,600強を数える宗派の大本山であり、包括宗教法人真言宗豊山派の宗務所所在地であります。さらに言えば、夏目漱石の小説に言及されており、三条実美、大隈重信、山縣有朋など多数の著名人の墓があり、国の重要文化財を8件︵うち建造物2件︶所有し、地下鉄の駅名のほか、首都高速道路の出入口の名称にもなっているなどの点が挙げられます。ところで、石清水八幡宮は、鶴岡八幡宮や八坂神社と同様、近世以前には神仏混淆の宗教施設︵宮寺︶であったもので、八幡宮と護国寺は不二一体のものでした。現代的な感覚で、護国寺を単独の仏教寺院として捉えることは、こうした信仰の実態を見誤ることになります。石清水の護国寺がJAWPで単独項目化されていないのもこのためと思われます。﹃角川日本地名大辞典 京都府﹄には﹁護国寺﹂の項目はありません。﹃日本歴史地名大系 京都府の地名﹄︵平凡社︶では、護国寺は単独項目ではなく、﹁石清水八幡宮﹂の項目中で解説されています。石清水八幡宮の歴史に詳しい人は、八幡宮と護国寺とは一体であったことを知っているので、﹁護国寺﹂で検索することはないでしょう。逆に石清水八幡宮の歴史に詳しくない人は護国寺の存在自体知らないでしょうから、やはり﹁護国寺﹂で検索することはないでしょう。以上により、本ページの改名には必然性がなく、改名は不要であると考えます。--Urania︵会話︶ 2012年6月23日 (土) 04:44 (UTC)
●以下は集計までしてないですし、歴史的・地域的な認識の偏りがあるかもしれず、更に感覚論も含まれますので参考意見としてください。CiNiiの論文検索や国会図書館の蔵書検索、ウィキペディア内のリンク元としては、東京の護国寺が多くを占めているように見えます。これは有名人の墓所や寺院界隈の町並みも含めた露出度が高いからのような。従って、今のまま代表的な記事名という位置づけで良いんじゃないかと思います。--Jaszmars︵会話︶ 2012年6月28日 (木) 07:40 (UTC)
反対 Uraniaさんの例示に加え、﹃大辞泉﹄、﹃大辞林﹄、﹃日本大百科全書﹄、﹃世界大百科事典﹄などでも﹁護国寺﹂の項目で文京区の護国寺について説明されており、他の多くの方のご意見と同様に、文京区の護国寺を現在のまま代表的なトピックとすべきで、改名は不要であると考えます。--立花左近︵会話︶ 2012年6月28日 (木) 15:19 (UTC)
︵コメント︶肝腎の改名提案者からは反論も取り下げもなく、何ら結論が出ていないにもかかわらず、拙速に改名テンプレが除去され、あまつさえ改名提案の一覧からも除去されていたのを復帰しました。急いで結論を出す必要は全くありませんので、引き続き審議をお願いします。--Urania︵会話︶ 2012年7月28日 (土) 13:45 (UTC)
Wikipedia:改名提案#このページへの記載のガイドラインには、﹁以下のいずれかの場合は議論の終了とみなします﹂の2.に﹁合意の形成に至らない状態で、議論停止から1か月経過した場合﹂とあります。前回の私の反対表明よりコメントのない状態で1か月を過ぎていますので、︵私がしたわけではありませんが︶今回の処置は全く問題ないものと考えます。しかも、ご提案者はここでのご発言を最後に1か月以上活動をされておりませんので、提案取り下げの見込みもはっきりしません。Uraniaさんが議論継続をお望みなら、新たに改名提案を出し直して下さい。改名不要とおっしゃっているのに、再度改名提案を出されるのはおかしな話だと思いますが。--立花左近︵会話︶ 2012年7月28日 (土) 14:03 (UTC)
と思ったのですが、よくよく見たら、UTC上はまだまる1か月過ぎていませんでした。従いまして今回の処置は確かに拙速でした。伏してお詫び申し上げます--立花左近︵会話︶ 2012年7月28日 (土) 14:14 (UTC)。
終了 ﹁UTC上はまだまる1か月過ぎていません﹂というご指摘がありましたので、最後の改名提案に対する賛否の意見からまる1か月経過したところで、終了とさせていただきます。終了には提案者からの取り下げは必要なく、また提案者以外から積極的な賛成票がない状態で提案者からも1か月以上反論が無い状況を以って全く拙速でありません。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月29日 (日) 02:49 (UTC)
私もこれ以上議論は不要ではないかという点で心情的にはDr.Jimmyさんと同意見ではありますが、Dr.Jimmyさんがまる1か月経たないうちに改名提案から除去した︵WP:PFR#このページへの記載のガイドラインに厳密には反しています︶ことによって、まる1か月経たないうちにUraniaさんから議論継続の表明がなされた]ため、本議論は継続中と見なされます。Dr.Jimmyさんの日頃のメンテナンスのご作業には敬意を表しますが、Uraniaさんと私の2名の意見を無視して、再度テンプレをはがされたこご行為には、強く抗議いたします。--立花左近︵会話︶ 2012年7月29日 (日) 03:11 (UTC)
︵追記︶私も初めは今回の処置に問題ないと申したぐらいですから、Dr.Jimmyさんがあと11時間17分待ってから同じことをされていたら、諸手を挙げて賛成したことでしょう。これに限らず、メンテナンスの際には、厳密なご判断をお願いいたします。--立花左近︵会話︶ 2012年7月29日 (日) 03:33 (UTC)
﹁議論を継続する﹂というのなら続けられればよろしいと思いますが、お二人とも改名には反対の立場をとっていますが、これ以上どのように議論をされるおつもりでしょうか。Uraniaさんの2012年7月28日 (土) 13:45 (UTC)の発言も、改名提案に対する議論ではありません。発言があれば、何でも議論継続だとみなすのは明らかに無理があります。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月29日 (日) 03:35 (UTC)
その点はまず、Uraniaさんのご意見をお待ちしましょう。Uraniaさんが、もしこれ以上の議論は不要とご意見を変えられるようなことがあれば、私としては議論終了に反対する理由はありません。今回の件はあくまで手続き上の瑕疵があったことを問題にしております。--立花左近︵会話︶ 2012年7月29日 (日) 03:54 (UTC)
まず、再度はっきりと確認しておきたいのですが、改名に関する議論は2012年6月28日 (木) 15:19 (UTC)の意見が、今現時点に至るまで、最後であるということです。立花左近さんは手続き上の瑕疵を問題にしているとのことですが、少なくとも二度目のテンプレート除去の時点では瑕疵はない、ということです。
Uraniaさんのご意見を待つというのもまあ良いですが、﹁終了には提案者からの取り下げは必要ない﹂﹁提案者以外から積極的な賛成票がない状態で提案者からも1か月以上反論が無い状況であり拙速ではない﹂更に﹁賛成の立場の方がいない状況で、反対の立場の貴殿が何をもって議論を行う必要があるのか﹂ということについて、ご説明いただきたく思います。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 05:45 (UTC)
ですから、2012年7月28日 (土) 13:45(UTC)、すなわち私の2012年6月28日 (木) 15:19 (UTC) の発言からまる1か月経過する以前にUraniaさんが議論継続の意思を示されたので、議論停止とは見なされないのです。これは、Uraniaさんがテンプレと改名提案ページへの記載の復帰を行ったということから、明確な意思表示です。従って、2度目の除去も瑕疵があると思います。そもそも、Dr.Jimmyさんは、日頃行われている改名提案のメンテナンス作業の一つとして今回の処置をなさっただけですから、本議論の参加者から異議が出た以上はもうお引取りいただけないでしょうか。後は、こちらで議論いたしますので。もちろん、Dr.Jimmyさんが本議論に加わり改名の是非についてご意見を述べていただけるのなら歓迎いたしますし、再び議論が停止し、まる1ヶ月以上経過するようなことがあれば、そのときこそテンプレを剥がし、改名提案のページから除去いただいていっこうに構いません。--立花左近︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 11:00 (UTC)
ですから、その﹁Uraniaさんが議論継続の意思﹂がどの程度正当性があるのかどうか、ご本人の意見を待つと言っているのですよ。意思は示したのに実際には議論を行ってはいません。更に繰り返しになりますが、長期に渡り賛成意見が無い中、反対意見の方が一体何のために議論を継続するのか、全く意味がありません。単なる﹁いつまでも﹁納得﹂しない﹂になります。Uraniaさんからきちんとして説明があるかどうか、1週間程度はお待ちしますが、1か月も待つつもりは全くありません。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 11:37 (UTC)
おっしゃることは一理あるとは思いますが、胡亂堂さん以外の議論参加者は全員JAWPで活動中ですので、その参加者で合意を取ることも可能だと思われますから、Dr.Jimmyさんの独断で期限を決めたり、議論終結を決定したりすることはおやめ下さい。--立花左近︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 11:57 (UTC)
1週間というのはWikipediaにおける標準的な合意形成に必要な期間です。独断などと決め付けるのはお止めいただきたい。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 12:06 (UTC)
それは、WP:CON#合意形成の、﹁合理的な期間︹通常は168時間程度︵約7日間=約1週間︶が妥当でしょう︺内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります﹂のことをおっしゃっているのだと思いますが、異論が出ている間は適応になりませんよ。ですが、いつまでもこんなことを言い合っていてもしょうがないので、とにかくUraniaさんが戻られてお考えを述べられるのをお待ちましょう。--立花左近︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 12:37 (UTC)
ですから、その﹁Uraniaさんが議論継続の意思﹂がどの程度正当性があるのかどうか、ご本人の意見を待つと言っているのですよ。いつまでも待つわけにはいかないので1週間程度と言っているのです。異論といってもきちんと反証せずにただ反対と言っても仕様がありません。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 12:46 (UTC)
念のため、ご本人の会話ページにも呼びかけて参りました。おそらく1週間もかからないと思いますが、お戻りになるまでお待ち下さるようお願いいたします。私もそれまではコメントを控えさせていただくことにいたします。--立花左近︵会話︶ 2012年7月30日 (月) 14:02 (UTC)
まず、お二方にご理解いただきたいのですが、私も一応、仕事をもっており、基本的に平日の日中にはWPの閲覧も書き込みもできません。そのため、このような議論があっても、しばらく気がつかない場合があります。さて、私としては別に﹁終了﹂に何がなんでも反対というわけではありません。何がなんでも反対というわけではありませんが、なぜ、そんなに急いで﹁終了﹂させなければならないのかが全くわかりません。別に、1週間や1か月後に終了してもよいではありませんか。そもそも、論点が180度ずれています。大切なことは、﹁石清水の護国寺が代表項目としてふさわしい﹂という主張が誤りだということであり、その点を改名提案者にご理解いただかなければならないということです。石清水八幡宮は、創建以来、﹁石清水八幡宮護国寺﹂と称された神仏習合の宗教施設であり、﹁八幡宮﹂と﹁護国寺﹂とが別個に存在したのではなく、両者は密接不可分の存在であったということです。﹁神社﹂と﹁仏教寺院﹂とが明確に分かれるようになったのは、明治の神仏分離政策によるもので、近世以前には、神社に社僧がおり、仏塔や仏像があり、仏典が読誦されることは珍しくないことでした。それを現代式の感覚で、石清水八幡宮という﹁神社﹂とは別個に護国寺という﹁仏教寺院﹂が存在したのだと解釈したのでは、信仰の実態を見誤ることになります。このような信仰形態は石清水だけに限ったことではなく、鎌倉の鶴岡八幡宮や京都の祇園社︵現・八坂神社︶もそうでした。たとえば、﹁八坂神社﹂という﹁神社﹂の記事と別個に﹁祇園感神院﹂という﹁仏教寺院﹂の記事を別個に立て、別個に歴史を語ることが妥当でしょうか。そういう意味で、本件改名提案者の意見には私は反対であり、単に時間切れで形式的に﹁議論終了﹂とするのではなく、改名提案者本人から取り下げ宣言をしていただくのが望ましいと考えました。改名提案者の胡亂堂氏は多くの改名提案を提出されていますが、しばらくお休みになった後で議論に復帰されている場合があり、合意に至らなかった場合は、最終的には﹁取り下げ﹂宣言をされているようにお見受けします。実例としてノート:神田明神、ノート:駒形、ノート:ヤマトタケル、ノート:米山薬師 (姶良市)あたりを挙げておきます。本件については、﹁1か月ほど議論が停止していますが、改名提案者の胡亂堂さんからは取り下げ宣言も出ていませんし、もう少しお待ちしませんか﹂のような意見をそろそろ書き込もうかと思っていたら、まる1か月経たないうちに管理者様によって﹁改名提案﹂から除去されていたので、復帰させたものです。上にある、2012年7月28日の私の発言の時点から逆算してさえも、﹁議論停止からまる1か月経っていない﹂ことは誰が見ても客観的に明らかで、その時点での﹁終了﹂はフライングであり、手続き的にも瑕疵があることは明らかです。そこを百歩、いや千歩ゆずって、仮にフライングでなかったとしても、まる1か月経つか経たないかという時点で、間髪入れず﹁待ってました!﹂とばかりに﹁改名提案﹂から除去することが、どうしても必要なのでしょうか。ということで、結論を申し上げます。私の意見としては、私の直前の書き込みをした時点、すなわち、2012年7月28日 (土) 13:45 (UTC)から1か月待っていただいて、何の意見も出てこなければ﹁終了﹂にしていただくのが、よろしいかと思います。別に1か月やそこら待っていただいても何の問題もないと思います。これだけ申し上げてもなお、﹁1か月は待てない。何がなんでも今すぐ終了にしたい﹂とおっしゃるのであれば、それ以上反論はいたしません。管理者様の判断におまかせします。--Urania︵会話︶ 2012年7月31日 (火) 15:22 (UTC)
Uraniaさん、どうもご迷惑をおかけしました。私は当初、胡亂堂さんはこのところ活動をしておらず︵そのことについて心配はしておりましたが︶、1か月新たなコメントがつかなかった場合は議論停止で改名せずとなってもやむなしと考えておりました。しかし、Uraniaさんのお考えを承りまして、賛同いたしました。﹁フライング﹂については再三申し上げた通りであり、2012年7月28日 (土) 13:45 (UTC)から1か月待つというご提案についても賛成いたします。ただ、管理者様の判断にまかせるとのことですが、削除依頼などと違って改名提案の終了は管理者の方が判断する決まりにはなっていなかったと思いますし、ましてやDr.Jimmyさんは管理者ではいらっしゃらない︵ですよね?もし違っていたらお詫びいたします︶のですから、Uraniaさんのご意見をぜひご理解いただけますよう私からもお願いいたします。また、すでに一度申し上げましたように、私はDr.Jimmyさんの日頃のメンテナンス作業には敬服いたすものでありますが、改名提案ページからの除去につきましては、本件に限らずまる1か月を経たずして行われることのないよう、改めてお願いいたします。--立花左近︵会話︶ 2012年7月31日 (火) 15:56 (UTC)
何度も申し上げていますが、提案者のよる取り下げは議論の終了には必要ありません。勿論、提案者から取り下げなり終了宣言をしていただくのが本来でしょうし、胡亂堂さんがこれまでそのようにしてこられたというのは尊重しますが、それよりは、自身で提案してから1か月以上も放置しておくことが問題でしょう。どうしても胡亂堂さんに改名反対の理由を理解していただき、取り下げ宣言をしていただきたいのでしたら、議論終了後に個人的に行っていただければよいことでしょう。わざわざテンプレートを記事に貼り続け、改名提案に告知を載せ続けることに固執して、何の意味があるのでしょうか。お二人ともフライングのことを強くご批判されているようですが、提案者及びそれに賛成する意見は2012年6月21日 (木) 17:49 (UTC) 以降皆無且つ反対意見のみ出ている状態であり、議論の趨勢はもはや決着が出ている状況で、しかも議論を終了させたくないからというだけでぎりぎりのタイミングでコメントを入れようなどというのは、本末転倒であると言わざるを得ません。繰り返しになりますが、1か月以上提案者から返信が無く、議論の趨勢は決着している状態で、活動を停止している提案者からの返信を待つためだけに、更に1か月提案を継続する必要性は全く感じられません。必要ならば、議論終了としたあとに、個人的にやってもらえばよろしいことです。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年8月1日 (水) 05:03 (UTC)
1週間以上待ちましたが、反論も無いようですので、本件につきましてはテンプレートと告知を除去いたします。尚、過去の議論参加者の間で提案者からの返信をここで待つことについては阻害するつもりはありません。--Dr.Jimmy︵会話︶ 2012年8月9日 (木) 06:48 (UTC)
終了︵いまさら?︶ 提案者です。取り下げ宣言もせずほったらかしですみませんでした。関係各位に深くお詫び申し上げます。反対に納得はいきませんし反対意見にはかなりの誤解があるようなのですが、面倒くさくて翻意を促す気力もございませんので遅まきすぎ乍ら提案は取り下げます。暇があって護国寺︵石清水八幡宮寺︶についてもう少し調べた上でまだ気力が残っていれば再提案しようかなと思います。なお、上記Uraniaさんのご発言中に見逃せない誤解がございますので、後日の為にもあえて反論しておきます。
●﹁そもそも、論点が180度ずれています。大切なことは、﹃石清水の護国寺が代表項目としてふさわしい﹄という主張が誤りだということであり、その点を改名提案者にご理解いただかなければならない﹂
この場合の﹁論点﹂が何なのか、もしも私が改名を提案したその論点でしたら、180度ではなく90度か270度ぐらいじゃないかと。と申しますのも﹁ご理解いただ﹂くもなにも、私そんな﹁主張﹂をした覚えありませんから、それを﹁大切なこと﹂に位置付けられても困惑するばかりだからです。私は日蓮宗寺院もあるし、それぞれの知名度には地域や宗派、関心分野で違いが生じるでしょうから平等な曖昧さ回避にしませんかと提案したのみです。
●﹁石清水八幡宮は、創建以来、﹃石清水八幡宮護国寺﹄と称された神仏習合の宗教施設であり、﹃八幡宮﹄と﹃護国寺﹄とが別個に存在したのではなく、両者は密接不可分の存在であったということです。﹃神社﹄と﹃仏教寺院﹄とが明確に分かれるようになったのは、明治の神仏分離政策によるもので、︵中略︶現代式の感覚で、石清水八幡宮という﹃神社﹄とは別個に護国寺という﹃仏教寺院﹄が存在したのだと解釈したのでは、信仰の実態を見誤ることになります﹂
私の﹁主張﹂を目にすれば明らかな誤りである事は分かろうかと。石清水八幡宮護国寺と称されたのは多くの場合は護国寺の方で、当たり前ですが八幡宮と護国寺は別個に存在してました。ですので、正しくは﹁両者は密接不可分の存在でありながらも一応は別々に存在していた﹂です。Uraniaさんはどうやら近世以前は寺=神社だったと勘違いなされているようですのであえて申しますが、寺と神社が別々に存在しつつもその一部が︵多くは僧侶側の主導下に︶密接な関係をもって併存していたのが前近代の実情であって、だからこそ神仏習合現象は複雑なのです。
●鶴岡八幡宮に就いてはよく存じ上げませんが八坂神社を反証に挙げるのは不適切だと思います。八坂社は前近代において寺院だか神社だかが判然としていなかったのを明治になって神社に位置付けたものです。ですので、この場合に相応しい例示は、日吉大社と延暦寺、春日大社と興福寺とかでしょうし、ひょっとすると︵石清水八幡宮の大本である︶宇佐神宮と︵石清水護国寺の末寺であった︶弥勒寺こそが最適なのかも知れません。
--胡亂堂︵会話︶ 2014年2月2日 (日) 17:03 (UTC)
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議論の終了告知‥提案の取り下げ[編集]
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月光殿、護持院(疑問)[編集]
- 「月光院」の写真と称するものが掲載されてますが、これは重要文化財になっている指定されている建物ではありません。「あげまん」ロケに使われた…というのも少々あやしい感じです(重要文化財の建物を使用したのかどうか)。
- 「江戸名所図会」や「切絵図」で見ると、護持院・護国寺が並んで建っていたようです(一体?合併?)。護持院が1500石、護国寺1300石というので、護持院の方が格上だったのかも?