バニョレ
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Bagnolet | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | セーヌ=サン=ドニ県 |
郡 (arrondissement) | ボビニー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 93006 |
郵便番号 | 93170 |
市長(任期) |
マルク・エヴェルベック (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
34,069人 (2006年) |
人口密度 | 13,256人/km2 |
住民の呼称 | Bagnoletais |
地理 | |
座標 | 北緯48度52分09秒 東経2度25分05秒 / 北緯48.8692度 東経2.4181度座標: 北緯48度52分09秒 東経2度25分05秒 / 北緯48.8692度 東経2.4181度 |
標高 |
平均:?m 最低:57m 最高:119m |
面積 | 2.57km2 |
公式サイト | http://www.ville-bagnolet.fr |
バニョレ ︵Bagnolet︶は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=サン=ドニ県のコミューン。
バニョレ城は19世紀に壊されたが、1720年頃建てられたパヴィヨン ・ド・レルミタージュが唯一現存している。但し、所在地は現在のパリ20区内になる。
バニョレとは、バルネオルム︵balneolum︶に由来する。水や池、沼地を連想させる。
裁判官や徴税請負局員︵fr[1]︶によって建てられたバニョレ城︵fr︶は、現在のバニョレからパリ20区シャロンヌ地区一帯に広がるお城だった。幼君ルイ15世摂政オルレアン公フィリップ2世がヴェルサイユからパリに宮殿を移すに伴い、1719年にこのお城を所有、その妃フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンに与えた。
お城は彼女の好みに合わせた改築が成されてから"エルミタージュ"も設けられ、彼女も居住した。彼女の死後、子のオルレアン公ルイは父と同様にこのお城ではなくサント=ジュヌヴィエーヴ修道院︵現在のパリ5区、リセ・アンリ4世校界隈︶に居住した。1769年、彼女の孫オルレアン公ルイ・フィリッブ1世の代になると、オルレアン家はこの城の所有を手放し、その後19世紀に入り、"エルミタージュ"を残し、お城は取り壊された。"エルミタージュ"はパリ20区内148 Rue de Bagnolet界隈に現存している[2]。