出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
座標: 北緯17度 西経4度 / 北緯17度 西経4度 / 17; -4
|
この項目では、西アフリカのマリ共和国について説明しています。ロシアの自治共和国については「マリ・エル共和国」をご覧ください。 |
- マリ共和国
- Mali ka Fasojamana(バンバラ語)
Republik bu Maali(フラニ語)
جُمْهُورِيَّةْ مَالِي (ハッサニア語)
Mali Tɔgɔbadugu(ソニンケ語)
ⵜⴰⴳⴷⵓⴷⴰ ⵏ ⵎⴰⵍⵉ(トゥアレグ語)
-
- 国の標語:Un Peuple, Un But, Une Foi
(フランス語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)
- 国歌:Pour l'Afrique et pour toi, Mali(フランス語)
アフリカのため、そして君、マリのため
-
マリ北部紛争[編集]
マリは共和制、大統領制をとる立憲国家である。1991年、ムサ・トラオレ将軍の独裁政権に対するアマドゥ・トゥマニ・トゥーレのクーデター後、民衆蜂起を経て民主主義が確立された。現行憲法は1992年1月12日に制定されたもの。しかし、1997年の大統領選挙と国民議会議員選挙をはじめ、選挙中の大きな混乱やクーデターによる現職大統領・政権の転覆︵2012年、2020年、2021年︶が続くなど、非常に脆弱な状態が続いている。さらに、投票率が低く、国民の多くが選挙で何が争われているのかを理解していないことが、この民主主義をより脆弱なものにしている[33]。
国家元首である大統領(Président de la République du Mali)は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている[34]。マリ共和国の独立以来、9人の国家元首(暫定大統領を含む)が誕生しているが、民主的に選出されたのはそのうち3人だけである。
マリの首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会(Conseil des Ministres)のメンバーは、首相が大統領に推薦し任命される。
議会は一院制で、正式名称は国民議会 (Assemblée Nationale)。憲法によると、国家唯一の立法機関とされている。定数147議席。国民議会議員は、マリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。
マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教や民族を基盤とした政党、地域政党、性別による差別を主張する政党は禁止されている。
主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟︵英語版︶︵ADEMA︶が最大の政党として挙げられる。他の有力政党にはマリ連合︵英語版︶(RPM)があり、民主化主導全国会議︵英語版︶(CNID)、愛国復興運動︵英語版︶(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。国民議会内の勢力は以下の通り。
最高司法機関は最高裁判所(Cour suprême)である。
国際関係[編集]
2022年1月9日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)はガーナの首都アクラで臨時首脳会議を開催、マリで2度のクーデターを起こし実権を掌握した軍事政権であるゴイタ政権による民政移管プロセスの延期を受け、厳しく制裁することを決議した。ECOWASからの決定を受けた同日、同政権は﹁ECOWASのマリに対する制裁は、﹁違法﹂で﹁非人道的﹂だ﹂と非難するコミュニケを発表しており、翌日の1月10日、暫定大統領であるゴイタは﹁ECOWASはマリ情勢の複雑性に鑑みず、われわれの努力を無視した﹂と言明している[35]。2024年1月28日にはECOWASからの脱退を表明した[32]。
日本との関係[編集]
日本政府は、マリ政府と2008年︵平成20年︶5月17日にODA計画2件の書簡を交換した。飲み水を引く﹁シカソ地域飲料水供給計画﹂と、かつての紛争地帯の道路や橋を復旧する﹁マリーセネガル南回廊道路橋梁建設計画﹂[37]である。外務・国際協力大臣モクタール・ウアンヌ(仏: Son Excellence Monsieur Moctar OUANE、仏: Ministre des Affaires Etrangeres et de la Cooperation Internationale︶と在マリ国臨時代理大使の迫久展との間で交わされた。
前者は対象の村で1万5200人とされた安全な水が手に入る人口を、完成時に7万8500人に増やすといい、水が原因の体調不良を減らしたり、水汲みの仕事を任される女性や子供の労働の負担も軽くなると見込まれる。この計画により、給水施設が未整備だった74の村に水が引かれ、対象地域の給水率は16.6%から85.5%に上がる予定[37]。
国家安全保障[編集]
マリは内陸国で、地理的には3区分される。北部のサハラ砂漠、中部のサヘル地帯、南部のスーダン帯である。国の65%が砂漠︵サハラ砂漠︶と半砂漠であり、南部の低地サバナから標高1000メートルに達する北東部山地まで変化に富むものの、一部の山地を除けは全般的に平坦な地形をしている。最高地点は中部のブルキナファソ国境に近いオンボリ山︵英語版︶︵Hombori Tondo、1155メートル[40][41]︶。
ケッペンの気候区分によれば、マリの気候は北部が砂漠気候、南西部は亜熱帯気候である。北部全域にサハラ砂漠が分布し、人口は希薄。国土のほぼ中央部を西から東に流れるニジェール川はマリの国土の軸となっており、古代よりこの中流域では大帝国が興亡を繰り返してきた。現代でも食料・飲み水・農業・輸送などあらゆる面で国民生活を支えている。なかでもモプティ周辺に広がるニジェール内陸デルタは非常に豊かな氾濫原である。南部に広がるサバナ地帯は、国内で最も降水量が多く人口も多い。
地方行政区分[編集]
2023年以降、以下の19州とバマコ特別区に分かれている[42][43]。
- 00. バマコ特別区(Bamako)
- カイ州(Kayes)--- カイ
- クリコロ州(Koulikoro)
- シカソ州(Sikasso)--- シカソ
- セグー州(Ségou)--- セグー
- モプティ州(Mopti)--- モプティ
- トンブクトゥ州(Tombouctou)--- トンブクトゥ
- ガオ州(Gao)--- ガオ
- キダル州(Kidal)--- キダル
- タウデニ州(Taoudénit)--- タウデニ
- メナカ州(Ménaka)--- メナカ
- ニオロ州(Nioro)--- ニオロ・デュ・サヘル
- キタ州(Kita)--- キタ
- ディオイラ州(Doïla)--- ディオイラ
- ナラ州(Nara)--- ナラ
- ブグニ州(Bougouni)--- ブグニ
- クーティアラ州(Koutiala)--- クーティアラ
- サン州(San)--- サン
- ドゥエンツァ州(Douentza)--- ドゥエンツァ
- バンディアガラ州(Bandiagara)--- バンディアガラ
主要都市[編集]
最大都市は首都のバマコである。バマコは国土の南西部のサバンナ地帯に位置し、ニジェール川に面する。マリの経済の重心は国土南部のサバンナ地帯にあり、バマコをはじめシカソやセグーといった都市も南部で重要な位置を占めている。シカソは南部の農業地帯の中心都市であり、またバマコからコートジボワールの港湾都市アビジャンへと向かうマリ最大の貿易ルート上に位置するため、綿花などの集散地としても栄えている。
一方、国土の軸となっているニジェール川沿いにも、西端のバマコから東にセグー、モプティ、トンブクトゥ、ガオといった都市が連なる。セグーは18世紀からバンバラ帝国とトゥクロール帝国が相次いで首都を置き、植民地化された後もマラカラ・ダムからの灌漑によって豊かな農耕地帯の中心となっている。モプティはニジェール川と支流のバニ川との合流地点にフランスによって建設された町であり、ニジェール内陸デルタの中心都市となっている。トンブクトゥはニジェール川がもっとも北に湾曲した部分に存在する砂漠の都市であり、マリ帝国からソンガイ帝国時代︵15世紀–︶には大繁栄した[44]ものの、交易ルートの変化や周囲の砂漠化によって現代では小都市に過ぎなくなっている[45]。マリ最東端の都市であるガオも砂漠気候に属するが、ニジェール川本流沿いに位置するため豊かな水に恵まれ、マリ北部最大の都市となっている。
マリは生産人口の80%が第一次産業に従事しており、農業および牧畜が主要産業となっている[46]。マリ最大の輸出品は金であり、2012年度には輸出総額の75%、総生産の25%を占めている。これに次ぐ主力産品は、植民地時代からマリ経済の主力であった綿花であり、2012年度には輸出総額の15%、総生産の15%を占めている[47]。綿花栽培は90年代以降好調を続けており、農民の多くが従事する綿花栽培の好調が民主化以降のマリの政情安定を支えた[48]。
農業は、国の2大農業地域であるニジェール川流域とマリ南部のサバンナ地帯によって異なった形で行われている。ニジェール川内陸デルタでは川の氾濫を利用した自然灌漑と、大規模な灌漑施設を備えた人工灌漑の双方で稲作が盛んに行われている[49]。サバンナ地帯においては綿花が主力であり、穀物としてはソルガムが主に栽培される。やや乾燥したサヘル地帯においてはソルガムに代わり、乾燥に強いトウジンビエが栽培される。西部のセネガル川流域ではソルガムや綿花のほか、ピーナツも栽培される[50]。しかし国土全域において灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量は天候に大きく左右される。
北部ではトゥアレグ族が遊牧を行っている。また、ニジェール川、特に内陸デルタは非常に豊かな漁場となっており、河川漁業もさかんに行われている。この漁業は古代からこの地域の主要産業の一つであり、ボゾ人やソモノ人のように漁業を専門に行う民族も内陸デルタには存在していて、1950年代から70年代にかけてはニジェール川の魚はマリの主要輸出品の一つとなっていた[51]。
輸出入の経路は、独立以前はセネガルのダカール港からダカール・ニジェール鉄道経由が圧倒的だったが、マリ連邦崩壊時の政治的対立によりコートジボワールとの結びつきを強め、1997年には輸出入の70%がコートジボワールのアビジャン経由、30%がダカール経由となった。
国内産業では労働力が吸収しきれないため出稼ぎが盛んで、行き先はコートジボワールと旧宗主国フランスが多い。しかしコートジボワールでは地元民と移民してきたブルキナファソ人やマリ人との対立が激しく、この対立を一つの原因として第1次コートジボワール内戦︵英語版︶となった[52]。
クリコロへは隣国セネガルからダカール・ニジェール鉄道が敷設されている。この鉄道はクリコロでニジェール川水運と接続し、かつてはマリの交通の大動脈であった。増水期のこの川はクリコロとガオ間約2000kmが大型船舶の運航ができることから、インフラの乏しいマリの北部・東部の重要な輸送手段ではあるものの、1年の半分にわたる渇水期は航行不能で、物流の水運部分が断たれてしまう。
マリは多くの民族が居住する多民族国家である。最も大きな民族は国土南西部のサバンナ地帯に居住する農耕民族のバンバラ人︵Bambara︶であり、人口の30から35%を占めている。またかつてマリ帝国を築き上げたマリンケ人︵Malinke︶やソニンケ人︵Soninke︶なども含むマンデ系︵英語版︶︵Mande︶の人口は、マリの約50%を占めている。マンデ系の民族はいずれも国土の南西部に多く住む。次いで多いのは主にニジェール川内陸デルタに居住する半農半牧のフラニ人であり、人口の約17%を占める。ヴォルタ人︵Voltaic︶は人口の約12%を占める。人口の6%を占める農耕民のソンガイ人は国土東部のガオ地方に集住しており、かつてはソンガイ帝国を築いてニジェール川中流域を支配していたことがある。ベルベル人︵トゥアレグ族、ムーア人︶は人口のおよそ10%を占め、国土の北部に多く居住する遊牧民である。 その他の小民族は人口の5%を占める。これらの小民族の中には、ニジェール内陸デルタの東側に伸びるバンディアガラの断崖に居住し独特の文化を持つドゴン人や、漁業を専業としニジェール川内陸デルタを中心に河川近辺に居住するボゾ人など特色ある民族が存在する。
右図の通り、イスラム教が90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%である。
教育制度は小学校6年、中学校3、高校3年。新年度は10月から[要出典]。義務教育は6~15歳までの9年となっている。
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は46.4%︵男性‥53.5% 女性‥39.6%︶である[55]。
マリの治安は非常に危険な状況に立たされている。同国北部・中部では、連日のように武装集団による殺人・強盗及び部族間抗争による殺戮が発生している。特に中部では遊牧部族及び農耕・狩猟部族間の衝突が多発し、双方に多数の死傷者が発生していて、身の安全が脅かされる可能性を高めている。一方で南部においても襲撃及び凶悪犯罪などが発生しており、首都バマコではバイクを使用した武装強盗などの凶悪犯罪が頻発している状態が続く。
加えて、地元警察と憲兵が癒着と共犯を繰り返しているとの報告が挙がっている[56]。
2022年10月現在、外務省は首都バマコを除くマリ全土に対して「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」 、バマコに対しては「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」の危険情報を発出している[57]。
児童労働事案や強制労働事案が未だ根深く、それに絡む子供の人身売買(英語版)が依然として深刻な問題となっている。
女性の権利[編集]
ベジン布を染める女性。バマコにて撮影。
現地の女性は、しばしば農作業や子育てを担っているが、マリにおいては有給労働者の15%を女性が占めている。
現代におけるマリの女性が直面している問題には、女性に対する暴力の割合が高いこと、児童婚の横行、因習として今も続けられている女性器の切除︵女子割礼︶などがある。
メディア[編集]
国境なき記者団(RSF)による2020年の世界報道自由度ランキングでは108位(180か国中)に位置付けられている[58]。
食文化[編集]
マリには古くから息衝くグリオーによる演奏があるが、1960年にマリは独立後、政府主導で芸術振興政策を促進、ポピュラー音楽が盛んになり始める。各地域が提供者となり、オルケストル・レジオナル・ド・モプティやオルケストル・レジオナル・ド・セグー、レイル・バンドなどの国営楽団が出現した。レイル・バンド出身のサリフ・ケイタが1970年代にデビューし、1980年代より世界に躍り出て、メジャーデビューを果たす。ケイタの他にも西洋音楽に影響されたミュージシャンが多く育つ[59]。
サリフを初めとしたマンデ・ポップが流行る中で、民主化を背景とした南西部のワスル音楽も広がりつつあった。非マンデ系民族の音楽も注目されるようになり、北東部出身のトゥアレグ人のグループ、ティナリウェンによる﹁砂漠のブルース﹂がポピュラー音楽として知られるようになる[59]。
ソロ・ミュージシャンとしてはギタリストのアリ・ファルカ・トゥーレは国際的に人気がある[60]。彼はアメリカのライ・クーダーとの共作Talking Timbuktuで1995年グラミー賞ベスト・ワールド・ミュージック・アルバム賞︵英語︶を受賞したことがある。彼の息子、ヴィユーもギタリストとして活動している。ワスル音楽の女性歌手ウム・サンガレも活躍している。
グリオー家系のミュージシャンも多くおり、中でもコラ奏者のシディキ・ジャバテは70代以上続くコラ奏者の家系に生まれ、﹁コラの王﹂と呼ばれたほどの名手であった。彼はマリが独立した後に国立楽団に加わっていた。彼と歌手のネネ・コイタとの間に生まれたトゥマニ︵トゥマニ・ジャバテ︶もコラ奏者として知られている。彼は元来は伴奏楽器であったコラを独奏楽器として発展させた。またトゥマニはグラミー賞ベスト・トラディショナル・ワールド・ミュージック賞︵英語︶を、2006年にアリー・ファルカ・トゥーレとの共作﹃In the Heart of the Moon﹄で[要出典]、また2011年にはジャバテが客演した﹃Ali and Toumani﹄でも受賞した[注釈 1]。また、トゥマニの甥にあたるママドゥもコラ奏者として活動している。
コラ奏者トゥマニを中心に、歌手の相関関係をまとめる。
●トゥマニ︵トゥマニ・ジャバテ=息子︶
●﹃In the Heart of the Moon﹄2006年、共演者はアリー・ファルカ・トゥーレ。
●﹃Ali and Toumani﹄2011年、共演者は父ジャバテ、アリ・ファルカ・トゥーレと共作。
●シディキ・ジャバテ︵父︶
●ネネ・コイタ︵母︶
●ママドゥ︵ママドゥ・ジャバテ=シャバテの孫︶
映像作家のスレイマン・シセは社会的メッセージ性の強い作品で知られ、国内外から高い評価を受けている。
| |
世界遺産[編集]
マリ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。
祝祭日[編集]
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
マリ国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。マリサッカー連盟(FMF)によって構成されるサッカーマリ代表は、これまでFIFAワールドカップには未出場となっている。しかしアフリカネイションズカップには12度出場しており、1972年大会では準優勝に輝いている。同国の英雄的な存在にスペインのセビージャFCなどで活躍したフレデリック・カヌーテがおり、2007年にはアフリカ年間最優秀選手賞を受賞している。
著名な出身者[編集]
- ^ アリ・ファルカ・トゥーレ&トゥマニ・ジャバテ『Ali and Toumani』(アルバム)の日本版ライナーノーツ掲載[要出典]。
(一)^ ab“JOURNAL OFFICIEL DE LA REPUBLIQUE DU MALI SECRETARIAT GENERAL DU GOUVERNEMENT - DECRET N°2023-0401/PT-RM DU 22 JUILLET 2023 PORTANT PROMULGATION DE LA CONSTITUTION”. sgg-mali.ml (2023年7月22日). 2023年7月26日閲覧。 “Article 31 : Les langues nationales sont les langues officielles du Mali.”
(二)^ ab“JOURNAL OFFICIEL DE LA REPUBLIQUE DU MALI SECRETARIAT GENERAL DU GOUVERNEMENT - DECRET N°2017-0735/P-RM DU 21 AOUT 2017 FIXANT L'ORGANISATION ET LES MODALITES DE FONCTIONNEMENT DES STRUCTURES DE L'EDUCATION NON FORMELLE”. sgg-mali.ml (2017年8月21日). 2023年10月21日閲覧。 “Selon la Loi n°96- 049 du 23 août 1996, les langues nationales du Mali sont : (...)”
(三)^ ab“UNdata” (en,fr). 国連. 2021年10月10日閲覧。
(四)^ abcd“IMF Data and Statistics” (英語). 2020年5月10日閲覧。
(五)^ abcマリ共和国︵Republic of Mali︶基礎データ 日本国外務省︵2022年9月23日閲覧︶
(六)^ 伊東 & 竹沢 2015, p. 140
(七)^ 宮本 & 松田 2003, p. 200
(八)^ コネ & 竹沢 2015, p. 83, ﹁独立後の政治﹂
(九)^ abコネ & 竹沢 2015, p. 85, ﹁独立後の政治﹂
(十)^ コネ & 竹沢 2015, p. 86, ﹁独立後の政治﹂
(11)^ & 竹沢 2015, p. 94, ﹁2013年の政変とサハラの混乱﹂
(12)^ “マリ北部で反政府武装勢力が独立宣言、仏国防相は﹁承認せず﹂”. ロイター (ロイター). (2012年4月6日). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE83504V20120406/ 2012年4月8日閲覧。
(13)^ ﹁アルカイダ系が聖墓破壊=世界遺産のトンブクトゥ-マリ[リンク切れ]﹂時事ドットコム︵2012年5月6日︶
(14)^ ﹁マリ北部のイスラム過激派、世界遺産の都市で聖墓破壊﹂﹃Reuters﹄、2012年5月7日。2022年1月25日閲覧。
(15)^ “Al Qaeda-linked Islamists drive Mali's Tuaregs from last stronghold”. France 24. (2012年7月12日). http://www.france24.com/en/20120712-al-qaeda-linked-islamists-drive-malis-tuaregs-last-stronghold-ansogo-timbuktu-mnla-ansar-dine-mujao 2012年10月7日閲覧。
(16)^ Tiemoko Diallo; Adama Diarra (2012年6月28日). “Islamists declare full control of Mali's north”. ロイター (ロイター). http://www.reuters.com/article/2012/06/28/us-mali-crisis-idUSBRE85R15720120628 2012年10月13日閲覧。
(17)^ ﹁西アフリカ・マリの戦闘で市民10人が死亡﹂﹃AFPBB News﹄フランス通信社、2011年1月13日。2013年1月14日閲覧。
(18)^ “マリでクーデターか、大統領が拘束後に辞任 政府と議会も解散”. BBC News. BBC. (2020年8月19日). https://www.bbc.com/japanese/53817018 2020年8月19日閲覧。
(19)^ ﹁暫定政権トップに軍大佐 クーデター発生のマリ﹂時事通信社︵2020年8月20日配信︶同日閲覧
(20)^ “Mali Pronounces Ex- Defence Minister Ba N'Daou as Interim President”. アフリカニュース. (2020年9月21日). https://www.africanews.com/2020/09/21/mali-pronounces-ex-defence-minister-ba-n-daou-as-interim-president/ 2020年9月28日閲覧。
(21)^ ﹁マリ軍、大統領や首相を拘束 閣僚ポスト失い、不満か﹂﹃毎日新聞﹄、2021年5月25日。2021年5月25日閲覧。
(22)^ ﹁マリ憲法裁、ゴイタ大佐を暫定大統領に任命﹂﹃AFP﹄、2021年5月29日。2021年5月30日閲覧。
(23)^ ﹁マリにロシア人傭兵、米軍が確認﹂﹃﹄AFP、2022年1月24日。2022年1月24日閲覧。
(24)^ “対テロ戦のマリ駐留仏軍が撤退へ 軍政との関係悪化で”. AFP (2020年2月17日). 2022年2月19日閲覧。
(25)^ ﹁仏、マリから完全撤収 てこずるアフリカ外交 中ロ勢力拡大﹂﹃日本経済新聞﹄朝刊2022年8月17日︵国際面︶2022年9月23日閲覧
(26)^ “Mali parliament approves new charter allowing a five-year democratic transition”. アフリカニュース. (2022年2月21日). https://www.africanews.com/2022/02/21/mali-parliament-approves-new-charter-allowing-a-five-year-democratic-transition/ 2022年2月22日閲覧。
(27)^ “Mali military promises return to civilian rule in March 2024”. Al Jazeera English. アルジャジーラ. (2022年6月7日). https://www.aljazeera.com/news/2022/6/7/mali-military-promises-return-to-civilian-rule-in-march-2024 2022年6月12日閲覧。
(28)^ (English) BBC Africa Today: Islamic State Sahel Province fighters seize commune in Mali, BBC, (2023), https://www.bbc.co.uk/programmes/p0fgbb9g
(29)^ (English) NPR: Islamic State group almost doubled its territory in Mali in under a year, U.N. says, NPR, (2023), https://www.npr.org/2023/08/26/1196189708/islamic-state-mali-al-qaida-west-africa-extremist
(30)^ “Russian Foreign Minister visits Mali in sign of deepening ties”. EuroNews (2023年2月8日). 2023年2月9日閲覧。
(31)^ “Mali demotes French, language of its former colonizer, in symbolic move”. Washington Post. (2023年8月4日). https://www.washingtonpost.com/world/2023/08/03/mali-french-new-constitution/ 2023年2月9日閲覧。
(32)^ ab“ニジェールなど3カ国、西アフリカ共同体脱退 地域緊張高まる恐れ”. ロイター. (2024年1月29日). https://jp.reuters.com/world/security/B7GXGLHXC5MNTD3UAU25XLT6DE-2024-01-29/ 2024年1月30日閲覧。
(33)^ François L'Écuyer. “Lent développement au Mali”. 2010年5月6日閲覧。
(34)^ (pdf) The Constitution of the Republic of Mali "The Republic of Mali One People – One Purpose – One Faith". University of Richmond School of Law︵リッチモンド大学法学大学院︶. オリジナルの2009-07-04時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090704011745/http://confinder.richmond.edu/admin/docs/Mali.pdf (Translation for Constitution Finder)
(35)^ “西アフリカ諸国経済共同体がマリに制裁を発動︵マリ︶”. JETRO. (2022年1月13日). https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/01/d6c0266c280cc1d9.html 2022年1月28日閲覧。
(36)^ ab“マリ基礎データ”. Ministry of Foreign Affairs of Japan (2020年︵令和3年︶10月28日). 2022年11月11日閲覧。
(37)^ ab“外務省: マリ共和国に対する無償資金協力︵﹁シカソ地域飲料水供給計画﹂及び﹁マリーセネガル南回廊道路橋梁建設計画﹂︶に関する書簡の交換について”. www.mofa.go.jp. 2022年1月1日閲覧。
(38)^ “Mount Hombori” (英語). Projet Hombori. 2020年8月15日閲覧。
(39)^ Trillo, Richard (2010) [2008] (英語). The Rough Guide to West Africa. Rough Guides Ltd. (distributed by Penguin). PT939. ISBN 9781405380706. https://books.google.co.jp/books?id=8-GCQyrotgMC&pg=PT939#v=onepage&q&f=false (p PT939にAiguilles de GamiとMain de Fatimaの各種別名記載)
(40)^ “Mali” (英語). CIA The World factbook. CIA. 2020年8月15日閲覧。
(41)^ Walther, Olivier; Renaud, Thierry; Kissling, Jonathan (2008). “Heaven on Earth? The development of tourism in the Dogon Country and the Hombori Mountains (Mali)” (英語) (HTML). fr:Articulo Journal of Urban Research (Articulo-Revue de Sciences Humaines) (4). doi:10.4000/articulo.417. https://journals.openedition.org/articulo/417.
●Hombori周辺山地地図 東から西へ、Hombori Tondo(1155m), Kissim Tondo(1122m), Quallam, Fatma's Hand, などの奇岩が並ぶ。
(42)^ “Nouveau découpage administratif au Mali: 19 régions, 819 communes et 12 712 villages”. ボイス・オブ・アメリカ (2023年2月22日). 2024年4月24日閲覧。
(43)^ “Mali. Document sur le nouveau découpage administratif février 2023”. Malinews tv (2023年2月22日). 2024年4月24日閲覧。
(44)^ ピーター・グウィン︵文︶; ブレント・スタートン︵写真︶ (2011年1月). “特集‥トンブクトゥ探訪記 2011年1月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP”. natgeo.nikkeibp.co.jp. ﹃ナショナル ジオグラフィック﹄誌 > トップ > マガジン. 日経ナショナル ジオグラフィックInc.. 2022年1月25日閲覧。
(45)^ PAUL CHESLEY︵撮影、NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE︶; NATIONAL GEOGRAPHIC STAFF︵文︶、鈴木和博︵訳︶ (2018年8月6日). “土造りの町、世界遺産トンブクトゥに迫る2つの危機”. natgeo.nikkeibp.co.jp. 日経ナショナル ジオグラフィックInc.. 2022年1月25日閲覧。
(46)^ ファマンタ & 竹沢 2015, p. 268, ﹁独立後の経済﹂
(47)^ ファマンタ & 竹沢 2015, p. 270, ﹁独立後の経済﹂
(48)^ コネ & 竹沢 2015, p. 86, ﹁独立後の政治﹂
(49)^ 竹沢 2015, pp. 298–299, ﹁稲作﹂
(50)^ 嶋田 & 竹沢 2015, p. 286-287, ﹁農業﹂
(51)^ 竹沢 2015, p. 304, ﹁漁業﹂
(52)^ オフ 2007, p. 214
(53)^ “Mali demotes French, language of its former colonizer, in symbolic move”. www.washingtonpost.com (2023年12月17日). 2023年12月17日閲覧。
(54)^ “International Religious Freedom Report 2008: Mali” (英語). State.gov (2008年9月19日). 2012年5月4日閲覧。
(55)^ “Mali”. www.cia.gov/library. World Factbook. CIA. 2009年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月2日閲覧。
(56)^ “2018 Trafficking in Persons Report Country Narrative: Mali”. web.archive.org. アメリカ合衆国連邦政府内務省︵英語︶ (2018年7月29日). 2022年1月25日閲覧。
(57)^ “マリ 安全対策基礎データ”. 外務省. 2022年11月18日閲覧。
(58)^ Konaté, Modibo︵Head of section Planning and Statistic︶; Reporters Without Borders (RSF), "World Press Freedom Index".. “Mali” (英語). Media Landscapes. 2022年1月25日閲覧。 “︵前略︶Commission Nationale des Droits de l'Homme - CNDH︵フランス語︶︵National Human Rights Commission︵英語︶︶ならびに複数の国際人権組織の分析によると、公民権および政治家の権利はおおよそ尊重されている。メディア環境は当該地域で最も自由︵リベラル︶と見なされる。そこでマリは西アフリカにおける報道と情報の自由のランドマーク︵landmark for press freedom and information in West Africa︶と評された。しかし2012年の事態により国家安全保障、政治、経済の危機に面し、マリの報道界全体が暗黒の時期を過ごあう。わけても北部と中部の政情不安が続く地域で目立ち、通信員の中には誘拐の脅迫を受けた者もある。国内のその他の地域、特にバマコに駐在するジャーナリストは脅迫や暴行の的となり行方不明者も出た。これらはマリのメディアの外観に影響し、情報に敏感な市民に加え媒体として生み出す広告収入に注目する人々まで、社会層と専門性の全ての分野で関心を増した。
国営新聞﹃Essor﹄と放送局Office de Radio diffusion Télévision du Mali - ORTM︵Mali Broadcasting and Television Board︶を除くと、報道媒体は個別または分野全体が政治または宗教指導者の配下にある。メディアは政治および宗教の特定の意見を広めようと介入する。ラジオ局によっては聴取者に対立意見または司法の状況を伝える番組を設けており、たとえばStudio Tamani︵番組名﹃Grand Dialogue﹄︶は様々な立場を代表する人が出演し、地域のデリケートな問題についてそれぞれの立場を擁護し討論する。Radio Kleduは市民社会や政界、政府、宗教界からゲストを迎え、ニュース論評や質疑応答を設けた番組がある。︵後略︶”
(59)^ ab萩原 2009[要ページ番号]
(60)^ “African star Ali Farka Toure dies”. BBC News d.d.. (March 7, 2006.). http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4782176.stm 2009年9月22日閲覧。
参考文献[編集]
| 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年1月) |
主な執筆者の姓の順。同一項目内は数値順。
●ムーサ・コネ、伊東未来、イスマエル・ファマンタ、嶋田義仁 著、竹沢尚一郎︵編著︶ 編﹃マリを知るための58章﹄︵初版第1刷︶明石書店、2015年11月15日。
●ムーサ・コネ﹁独立後の政治﹂pp83, 85, 86。
●竹沢尚一郎﹁2013年の政変とサハラの混乱﹂p.94。
●伊東未来﹁ジェンネ﹂p.140。
●イスマエル・ファマンタ﹁独立後の経済﹂p.268、270。
●嶋田義仁﹁農業﹂p.286-287。
●竹沢尚一郎﹁稲作﹂p.298-299。
●竹沢尚一郎﹁漁業﹂p.304。
●オフ, キャロル﹃チョコレートの真実﹄︵第1版︶英治出版、2007年9月1日。
●砂野幸稔 著﹁アフリカ文化のダイナミズム﹂、岡倉登志 編﹃ハンドブック現代アフリカ﹄明石書店、東京、2002年12月。 [要ページ番号]
●萩原和也﹃ポップ・アフリカ700 アフリカン・ミュージック・ディスク・ガイド﹄アルテスパブリッシング、2009年3月2日。 ISBN 9784903951133。[要文献特定詳細情報]
●宮本正興、松田素二﹃新書アフリカ史﹄︵第8版︶講談社︿講談社現代新書﹀、2003年2月20日。
洋書
●Milet, Eric; Manaud, Jean-Luc (2007). Mali. Genève: Editions Olizane
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、
マリ共和国に関連する
メディアおよび
カテゴリがあります。
外部リンク[編集]
|
---|
加盟国 |
|
---|
準加盟国 |
|
---|
オブザーバー |
|
---|
資格停止中 |
|
---|
カテゴリ |