パリメトロ6号線
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6号線 | |
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ケ・ド・ラ・ガール駅付近 | |
基本情報 | |
路線網 | パリメトロ |
起点 | シャルル・ド・ゴール=エトワール駅 |
終点 | ナシオン駅 |
駅数 | 28 |
開業 | 1900年 |
運営者 | パリ交通公団 |
路線諸元 | |
路線距離 | 13.7km |
軌間 | 1,435 mm (鉄軌道の軌間) |
線路数 | 複線 (右側通行) |
電化方式 | 直流750V 第三軌条方式 |
パリメトロ6号線︵パリメトロ6ごうせん、Ligne 6 du métro de Paris︶はパリ交通公団︵RATP︶の運営するフランス・パリのメトロ︵地下鉄︶路線の一つ。パリ市西部のシャルル・ド・ゴール=エトワール駅と東部のナシオン駅を結ぶ。ほぼフェルミエー・ジェネローの城壁跡に沿ってパリの南半分を回る半環状路線である。
ベルシー橋を渡る
6号線の西部と南部はパリを一周する環状路線2号線の一部︵2号南線︶として計画された区間であり、1900年にパリで2番目のメトロ路線として開業した。本来の6号線はプラス・ディタリー〜ナシオン間の短い路線であった。2号南線は5号線に編入された後、1942年に6号線に移管されて現在の姿となった。
6号線はセーヌ川の橋︵2ヵ所︶をはじめとして全線の半分弱が道路の中央に設けられた高架線となっている。高架線の割合はパリのメトロでもっとも高く、特にビラケム橋からはエッフェル塔を間近に見ることができ、観光客などに人気である。
6号線は開業時は鉄車輪・鉄軌道だったが、1974年にゴムタイヤを利用した側方案内軌条式鉄道に転換された。回送や分岐器部分での案内のため鉄のレールも残されている。
1860年までフェルミエー・ジェネローの城壁がパリの外側を画して いた。6号線は概ねこの壁南半分の跡に沿って走る。
6号線の西端のシャルル・ド・ゴール=エトワール駅はシャルル・ド・ゴール広場の地下にある。駅はラケット状になった線路の途中にあり、ナシオン行の列車は西向きに発車する。
シャルル・ド・ゴール=エトワールからは南南西に進み、パッシー駅付近で南東に向きを変えて地上に出、ビラケム橋の中央に設けられた高架線でセーヌ川を渡る。そのままパスツール駅西方まで高架線で進み、モンパルナス地区では地下線となる。モンパルナス=ビヤンヴニュ駅の東では超高層ビルトゥール・モンパルナスの地下階を貫くように線路が通っている。サン・ジャック駅で再び地上に出て高架線となり、北東よりに向きを変える。プラス・ディタリー駅の前後は地下となるが、すぐに再び高架となり、ベルシー橋中央の高架線で再度セーヌ川を渡る。ベルシー駅西方で地下に潜った後はほぼ地下線であるが、ベレール駅のみは地上駅となっている。
東端のナシオン駅もラケット状の折り返しとなっており、シャルル・ド・ゴール=エトワールからの列車は東側から駅に入る。
6号線路線図
概要[編集]
沿線概況[編集]
歴史[編集]
1898年のメトロ整備計画では、6号線︵F線︶は環状路線2号線︵B線︶のプラス・ディタリー〜ナシオン間を短絡する路線とされていた。2号線はエトワール︵現シャルル・ド・ゴール=エトワール駅︶〜プラス・ディタリー間は現6号線と一致し、プラス・ディタリー〜ナシオン間はオステルリッツ駅、リヨン駅を経由することになっていた。後に2号線の環状運転計画は取りやめられ、南半部は2号南線として分離されることになった。 建設は西側から始まり、まず1900年にエトワール〜トロカデロ間が開業した。開業はパリ万国博覧会の期間の終わり近くであり、トロカデロはその会場の一つだった。その後東へ延伸され、1906年にはプラス・ディタリーに達した。1907年には2号南線は5号線に編入された。 一方本来の6号線区間は1909年にプラス・ディタリー〜ナシオン間が開業した。以来5号線がエトワール〜プラス・ディタリー〜北駅、6号線がプラス・ディタリー〜ナシオンという状態が続いていた。 1931年、ヴァンセンヌの森を会場にパリ植民地博覧会が開催されると、パリ南部各地から万博会場へのアクセスを便利にするため、6号線の列車は5号線に乗り入れてエトワール〜ナシオン間で運転された。これは万博会場へ通じる8号線へは6号線のドーメニル駅で乗り換えることができるが、5号線から8号線へ直接乗り換えようとするとオペラ駅まで遠回りしなければならないためである。なおこのとき5号線の列車はプラス・ディタリー〜北駅間に短縮された。万博が終わると、両線の運行形態は元に戻った。 1942年、5号線の北東部郊外のパンタンへの延長にあわせて、エトワール〜プラス・ディタリー間が6号線に移管され、現在の6号線の形態が定まった。 1974年には軌道が鉄レールから案内軌条方式に改められた。これは高架区間が多いため騒音を減らすことを狙ったものである。パリでは1956年の11号線を皮切りに1号線、4号線が案内軌条方式に転換されていたが、既存路線の転換はこれが最後となった。年表[編集]
●1900年10月2日 - エトワール〜トロカデロ間開業。 ●1903年11月6日 - トロカデロ〜パッシー間延伸開業。エトワール〜パッシー間に﹁2号南線﹂の路線名を設定。 ●1906年4月24日 - 2号南線パッシー〜プラス・ディタリー間延伸開業。 ●1907年10月14日 - 2号南線を5号線に編入。 ●1909年3月1日 - 6号線プラス・ディタリー〜ナシオン間開業。 ●1942年10月6日 - 5号線エトワール〜プラス・ディタリー間を6号線に移管。車両[編集]
1974年の案内軌条化にともない、ゴムタイヤ式のMP73が投入された。5両編成で1、3、5両目が電動車である。計50編成が在籍している。 車両基地はプラス・ディタリーにあり、駅の西側から5号線への連絡線を経由して入線する。大規模な検査や改修作業は1号線シャトー・ド・ヴァンセンヌ駅の東にあるフォンテネー︵Fontenay︶車両基地で行なわれる。駅[編集]
●シャルル・ド・ゴール=エトワール駅 ︵Charles de Gaulle - Étoile︶ ●接続路線 : メトロ1、2号線、RER A線 ●開業時の駅名はエトワール駅︵Étoile︶といい、1970年地上の広場の改名とRER A線の開業にともない現駅名に改称された。ただし現在でも行き先表示などではエトワールと略記されることもある。シャルル・ド・ゴール広場北よりの地下にホームがある。駅は広場の地下を一周するラケット状の折り返し線の途中にあり、1本の線路を到着ホーム︵進行方向左側︶と出発ホーム︵右側︶が挟む形をしている。出発ホームは1号線ヴァンセンヌ方面行のホームと同一平面にある。なおこの駅を通る路線はすべてナシオン駅も通るため、6号線の行き先はナシオン︵ダンフェール・ロシュロー経由︶と掲示されている。 ●クレベール駅 ︵Kléber︶ ●島式ホーム2面4線と、駅の前後に数本の留置線がある。シャルル・ド・ゴール=エトワール駅が1線しかないため、運行上はクレベールが起終点の機能を持っている。 ●ボワシエール駅 ︵Boissière︶ ●トロカデロ駅 ︵Trocadéro︶ ●接続路線 : メトロ9号線 ●トロカデロ広場の地下に位置する。シャイヨー宮最寄り駅。 ●パッシー駅 ︵Passy︶ ●駅は地上にあり、駅の北西側は地下線、南東側は高架線となっている。ビラケム橋の西端に位置する。 ●ビラケム駅 ︵Bir-Hakeim︶ ●接続路線 : RER C線︵シャン・ド・マルス=トール・エッフェル駅︶ ●トール・エッフェル︵Tour Eiffel︶の副駅名がつく。ビラケム橋の東に位置し、エッフェル塔や日本文化会館への最寄り駅である。1949年まではグルネル駅︵Grenelle︶といった。 ●デュプレクス駅 ︵Dupleix︶ ●ラ・モット=ピケ=グルネル駅 ︵La Motte-Picquet - Grenelle︶ ●接続路線 : メトロ8、10号線 ●駅名は交差する2つの道路の名を合わせたものである。1913年までは単にラ・モットピケ駅といったが、ラ・モットピケ大通りの地下を通る8号線が開業した際に﹁グルネル﹂が付け加えられた。 ●カンブロンヌ駅 ︵Cambronne︶参考文献[編集]
●Jean Tricoire, Un Siècle de Métro en 14 Lignes: De Bienvenüe à Météor, 第3版, La Vie du Rail, 2004年, ISBN 2-915034-32-X.関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- RATP (フランス語他)