ヒュー・ホワイトモア
ヒュー・ホワイトモア | |
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誕生 | 1936年6月16日 |
死没 | 2018年7月18日(82歳没) |
職業 | 劇作家、脚本家 |
言語 | 英語 |
国籍 | イギリス |
主な受賞歴 | 英国脚本家組合賞、エミー賞 |
ヒュー・ホワイトモア︵Hugh Whitemore、1936年6月16日 - 2018年7月18日︶は、イギリスの劇作家・脚本家[1]。
ヒュー・ホイットモアとも表記される。
経歴[編集]
ホワイトモアはロンドンの王立演劇学校で演劇を学んだ︵現在、ホワイトモアはその評議員を務めている︶。経歴のスタートはイギリス国内のテレビドラマの脚本で、オリジナルもあれば、チャールズ・ディケンズ、サマセット・モーム、ダフニ・デュ・モーリエ、シャーロット・ブロンテなど古典作品の脚色もある。英国脚本家組合賞︵Writers' Guild of Great Britain︶も2度受賞している。さらにアメリカ合衆国のテレビドラマも手掛け、その中には、アルジャー・ヒス事件を扱った﹃Concealed Enemies﹄︵1984年︶や、第二次世界大戦直前のウィンストン・チャーチルとクレメンタイン︵Clementine Churchill︶との苦難の結婚時代を描いた﹃ギャザリング・ストーム - チャーチル復権への道︵The Gathering Storm︶﹄︵2002年︶の両方でホワイトモアはエミー賞を受賞した。他にもカール・バーンスタイン&ボブ・ウッドワードのリチャード・ニクソンに関する本﹃The Final Days﹄の脚色でもノミネートされている。 映画では、﹃All Creatures Great and Small﹄︵1974年︶、﹃青い鳥﹄︵1976年︶、﹃戦場の罠︵The Return of the Soldier︶﹄︵1982年︶、﹃チャーリング・クロス街84番地︵84 Charing Cross Road︶﹄︵1987年︶、﹃マイセン幻影︵Utz︶﹄︵1992年︶などの他、近作では、ウィリアム・トレヴァーの中編小説をマギー・スミス主演で映画化した﹃美しきイタリア、私の家︵My House in Umbria︶﹄︵2003年︶がある。 戯曲では、歴史的人物・事件にスポットを当てることが多い。﹃Stevie﹄︵1977年︶ではイギリスの詩人・小説家スティーヴィー・スミス︵Stevie Smith︶を、﹃パック・オブ・ライズ︵Pack of Lies︶﹄︵1983年︶では1961年にロシアのためにスパイをしてロンドンで逮捕された2人のアメリカ人を、﹃ブレイキング・ザ・コード︵Breaking the Code︶﹄︵1986年︶では第二次世界大戦中にドイツのエニグマを解読し、後に同性愛で逮捕されたアラン・チューリングを、﹃The Best of Friends﹄︵1987年︶ではウスターシャーのスタンブルック修道院長︵Stanbrook Abbey︶デイム・ローレンティア・マクラクラン︵Dame Laurentia McLachlan︶とジョージ・バーナード・ショーならびにケンブリッジのフィッツウィリアム美術館長︵Fitzwilliam Museum︶シドニー・コッカレル︵Sydney Cockerell︶との友情を、それぞれ描いた。歴史もの以外では、﹃肉体の精算︵Disposing of the Body︶﹄︵1999年︶、ルイジ・ピランデルロの戯曲﹃未知の女﹄を翻案した﹃本当の私を捜して︵As You Desire Me︶﹄︵2005年︶などがある。 ホワイトモアは王立文学協会︵Royal Society of Literature︶の理事を務めた。 2018年7月18日、死去[2]。82歳没。日本語訳[編集]
出典[編集]
- ^ “Hugh Whitemore Biography (1936-)” (英語). Film Reference. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “Hugh Whitemore, Breaking the Code playwright, dies aged 82” (英語). BBC NEWS. British Broadcasting Corporation. (2018年7月19日) 2018年7月26日閲覧。
外部リンク[編集]
- ヒュー・ホイットモア - allcinema
- ヒュー・ホワイトモア - KINENOTE
- Hugh Whitemore - IMDb(英語)
- Hugh Whitemore at the Internet Broadway Database