フランツ・ヨーゼフ1世 (リヒテンシュタイン公)
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フランツ・ヨーゼフ1世 Franz Josef I. | |
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リヒテンシュタイン侯 | |
在位 | 1772年2月10日 - 1781年8月18日 |
出生 |
1726年11月26日 神聖ローマ帝国、ミラノ |
死去 |
1781年8月18日(54歳没) フランス王国、メス |
配偶者 | レオポルディーネ・フォン・シュテルンベルク |
子女 | 一覧参照 |
家名 | リヒテンシュタイン家 |
父親 | エマヌエル・フォン・リヒテンシュタイン |
母親 | マリア・アントニア・フォン・ディートリヒシュタイン |
フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Josef I., 1726年11月26日 - 1781年8月18日)は、リヒテンシュタイン侯(在位:1772年 - 1781年)。
生涯[編集]
リヒテンシュタイン公子エマヌエル︵ヨーゼフ・ヴェンツェル公の弟︶とディートリヒシュタイン伯女マリア・アントニアの長男としてミラノで誕生。ヨーゼフ・ヴェンツェルの甥にあたり、伯父の子どもたちが次々と夭折していたため、早くから後継者として扱われていた。ヨーゼフ・ヴェンツェルはフランツ・ヨーゼフを自分の庇護下に置き、北イタリアへの遠征にも同行させ、ピアチェンツァの戦い︵Battle of Piacenza︶でも共に戦った。
1763年、フランツ・ヨーゼフは神聖ローマ皇帝フランツ1世の代理として、レオポルト大公︵のちのレオポルト2世︶の縁談をまとめるために、スペインに赴いた。1767年に枢密顧問官となり、1771年には802番目のオーストリア・金羊毛騎士団の騎士として叙勲された。
1772年、伯父の跡を受けてリヒテンシュタイン侯になると、彼は経済問題と美術品収集に興味を示した。1781年、フランスのメスで薨去した。
子女[編集]
フランツ・ヨーゼフは、1750年7月6日、伯爵令嬢レオポルディーネ・フォン・シュテルンベルクとヴァルチツェで結婚した。8人の子どもが生まれた。
●ヨーゼフ︵1752年 - 1754年︶ - 夭折
●レオポルディーネ︵1754年 - 1823年︶ - ヘッセン=ローテンベルク方伯カール・エマヌエルと結婚
●マリア・アントニア︵1756年 - 1821年︶- 修道女
●フランツ︵1757年 - 1760年︶ - 夭折
●アロイス1世︵1759年 - 1805年︶ - リヒテンシュタイン侯
●ヨーハン1世︵1760年 - 1836年︶ - リヒテンシュタイン侯
●フィリップ︵1762年 - 1802年︶- 未婚のまま逝去
●マリア・ヨーゼファ︵1768年 - 1845年︶ - エステルハージ・デ・ガランタ侯ニコラウス︵2世︶と結婚
マリー・レオポルディーネは夫の死後、末娘マリアとともにウィーンに住んだ。
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