プラナブ・ムカルジー
プラナブ・クマール・ムカルジー प्रणव कुमार मुखर्जी Pranab Kumar Mukherjee প্রণবকুমার মুখোপাধ্যায় | |
2009年世界経済フォーラムにて
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任期 | 2012年7月25日 – 2017年7月25日 |
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副大統領 | モハンマド・ハーミド・アンサーリー |
出生 | 1935年12月11日 イギリス領インド帝国 ミラティ(現・西ベンガル州ビルドゥム県) |
死去 | 2020年8月31日(84歳没) インド ニューデリー |
政党 | インド国民会議 |
出身校 | コルカタ大学 |
配偶者 | スヴラ・ムカルジー |
プラナブ・クマール・ムカルジー︵ヒンディー語‥प्रणव कुमार मुखर्जी、英語‥Pranab Kumar Mukherjee、ベンガル語‥প্রণবকুমার মুখোপাধ্যায় 1935年12月11日 - 2020年8月31日︶は、インドの政治家。インドの13代大統領︵2012年7月-2017年7月︶。インド国民会議派所属。中央政府の大臣を歴任した。日本の報道では主に﹁ムカジー﹂や﹁ムケルジー﹂と英語名で呼ばれるが、ヒンディー語での発音は﹁ムカルジー﹂。
生い立ち[編集]
英領インド帝国ベンガル︵現在の西ベンガル州︶に生まれる。カルカッタ大学で法学の学位を取得し、また、同大学の政治学と歴史学の修士号を持つ。政治経歴[編集]
財務大臣︵1982年-1984年、2009年–2012年︶、外務大臣︵1995年-1996年、2006年-2009年︶、国防大臣︵2004年-2006年︶、商工大臣︵1980年-1982年、1984年、1993年-1995年︶など主要閣僚を歴任。ソニア・ガンディー国民会議派総裁やマンモハン・シン首相の推挙で与党連合の統一進歩同盟 (UPA) から大統領に指名され、70%の支持率でP.A.サングマーを破り当選[1][2]、ベンガル人としては初のインド大統領となる。2012年7月25日から2017年7月25日まで大統領を務めた。 インドの大統領はこれまで名誉職的な国家元首とされてきたが、国民会議派政権で要職を歴任してきた重鎮であるムカルジーの就任によって、政治的実権を持ち重要な役割を果たす大統領になるとの観測もある[3]。 2020年8月中旬に、新型コロナウイルス感染症︵COVID-19︶への感染が判明し、意識不明の状態となっていたが、同年8月31日、ニューデリーの軍病院で死去[4][5]。84歳没。出典[編集]
(一)^ インド新大統領にムカジー前財務相 与党連合が勝利︵朝日新聞︶[リンク切れ]
(二)^ インド大統領選、ムカジー前財務相が勝利︵ロイター︶
(三)^ <EMeye>インド大統領にムカジー前財務相、﹁重要な役割果たす﹂
(四)^ コロナ感染判明のインド・ムカジー前大統領死去 - 読売新聞オンライン 2020年9月1日
(五)^ “インドのムカジー前大統領死去 新型コロナに感染”. 時事ドットコム (2020年8月31日). 2020年12月16日閲覧。
参考文献[編集]
●プラナーブ・ムカジー外務大臣略歴︵日本国外務省。外務大臣時代のもの︶関連項目[編集]
●ラーニー・ムカルジー - 同じくベンガル出身の、同姓の映画女優。この姓はベンガル地方に多い。外部リンク[編集]
- President of India - インド大統領公式サイト(英語)
- Pranab Mukherjee – 本人の公式サイト(英語)
公職 | ||
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先代 プラティバ・パティル |
インド共和国大統領 第13代:2012 - 2017 |
次代 ラーム・ナート・コーヴィンド |
先代 ラーマスワーミ・ヴェンカタラマン マンモハン・シン |
財務大臣 1982年 - 1984年 2009年 - 2012年 |
次代 ヴィシュワナート・プラタープ・シン マンモハン・シン |
先代 ディネシュ・シン マンモハン・シン |
外務大臣 1995年 - 1996年 2006年 - 2009年 |
次代 アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー S・M・クリシュナ |