ホフブロイハウス
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ホフブロイハウスまたはホーフブロイハウス︵Hofbräuhaus am Platzl︶とは、州立ホフブロイハウス醸造会社が直営する、ドイツ連邦共和国バイエルン州ミュンヘン市にあるビアホールの一つである。
概要[編集]
ミュンヘンの中心部、マリエン広場から徒歩約5分の所に位置する。店舗建物の1階がビアホール、2階がレストラン、3階が有料のショーが催されるフロアとなっている。また、1階の中庭はビアガーデンとなっている。 中でも1階は体育館ほどの広さのあるホールとなっており、木の長椅子と長いテーブルが並んでいる。原則として相席となる。バンド演奏も行われており、﹃乾杯の歌︵Ein Prosit︶﹄等が演奏されている。 旅行ガイドブック等ではミュンヘンの観光名所の一つと紹介され、外国人観光客も来店する。店内には英文のメニュー[要曖昧さ回避]も用意されている。歴史[編集]
●1589年 - バイエルン公・ヴィルヘルム5世の命によりブルワリーとして開設。当初は茶色のエールだけが醸造されていた。 ●1602年 - バイエルン選帝侯・マクシミリアン1世により、小麦ビールの醸造を独占する。 ●1607年 - 需要増に伴い、マクシミリアン1世の命で小麦ビール専用のブルワリーを現場所に開設。 ●1610年 - マクシミリアン1世が同ブルワリーのビールについて、宮廷だけでなく、一般人への販売を認可。 ●1806年 - バイエルンの王国化に伴い、王立となる。 ●1828年 - バイエルン国王・ルートヴィヒ1世の命により、ブルワリーを一般開放し、居酒屋となる。 ●1852年 - バイエルン国王・マクシミリアン2世により民営化。 ●1879年 - ベルリンの帝国特許庁へ商標を登録。 ●1896年 - ブルワリーのみを移転。 ●1897年 - 建築家・マックス・リットマンにより、現在のビアホールの建物が建設される。 ●1908年 - 客の一人がビアホールでレモンソーダを注文する。ウェイターが皆これを拒絶する中で、主人だけがこの注文に応じた。 ●1920年 - 国家社会主義ドイツ労働者党の党大会が開かれ、聴衆2000人が集まる。25カ条綱領が承認された。 ●1944年 - 第二次世界大戦中、連合国軍による空襲の被害を受ける。建物は破壊されたが、地下室にあった数百のビールジョッキは無事だった。 ●1958年 - 新しいフェスティバルホールを再建。主な提供ビール[編集]
●ホフブロイ・デゥンケル︵独‥Hofbräu Dunkel/英‥Hofbräu Dark Beer︶- 創業時に醸造されたダーク・ビール。 ●ホフブロイ・オリジナルラガー︵独・英‥Hofbräu Original︶ ●ミュンヘナー・ヴァイスビア︵独・英‥Münchner Weisse︶ ●シュヴァルツ・ヴァイスビア︵独・英‥Schwarze Weisse︶- ローストされた小麦が使われた濃色ビール。 ●ホフブロイ・マイボック︵独・英‥Hofbräu Maibock︶- 冬の期間に熟成され、春から初夏にかけて販売される。アルコール度数が高め。 ●ラドラー︵独・英‥Radler︶ - ビールとレモネードのカクテル。参考文献[編集]
●﹁地球の歩き方﹂編集室﹃地球の歩き方 A15 南ドイツ 2009~2010年版﹄ダイヤモンド社・ダイヤモンド・ビッグ社、2009年。ISBN 978-4-478-05702-5関連項目[編集]
座標: 北緯48度8分15.8秒 東経11度34分47.7秒 / 北緯48.137722度 東経11.579917度