出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
﹁ボスコム渓谷の惨劇﹂︵ボスコムけいこくのさんげき、The Boscombe Valley Mystery︶は、イギリスの小説家、アーサー・コナン・ドイルによる短編小説。シャーロック・ホームズシリーズの一つで、56ある短編小説のうち4番目に発表された作品である。﹁ストランド・マガジン﹂1891年10月号初出。1892年発行の短編集﹃シャーロック・ホームズの冒険﹄(The Adventures of Sherlock Holmes) に収録された[2]。
岩崎書店版︵内田庶訳︶では﹁ボスコム谷のなぞ﹂となっている。
あらすじ[編集]
ボスコム沼のほとりで、チャールズ・マッカーシーという男が殺害された。死体発見直前には、チャールズを息子のジェームズが追いかけていき、2人が口論しているところが目撃されていたため、ジェームズが犯人として逮捕される。しかし裁判でジェームズは、父を殺害したことは否定するものの、口論の原因を述べる事は固く拒んでいた。ジェームズの幼馴染みのアリス・ターナーは、ホームズに父子の言い争いの理由を打ち明け、ジェームズの人柄から彼は絶対に殺人など犯していないと訴える。
手がかりは、チャールズがボスコム沼のほとりで発した﹁クゥイー﹂という呼び声と、死に際に残した﹁ラット﹂という言葉だけである。ホームズはジェームズを犯人と考える警察とは別に捜査を行い、犯行現場を丹念に調べてから、真犯人は﹁背が高くて、左ききで右脚が悪く、底の分厚い狩猟用の靴をはき、グレイの外套を着て、ホルダーを使ってインド産の葉巻を吸い、ポケットには先の鈍ったペンナイフを忍ばせている男﹂だと断定した。ホームズはオーストラリア植民地の地図を取り寄せ、ある場所の名前を指で半分隠してワトスンに読ませた。ワトスンは﹁ラット﹂と言った。次にホームズは指を少し動かして、またワトスンに地名の全部を読ませた。それはバララットだった。チャールズが最後に言ったのはバララットという言葉だが、後半の部分しか聞き取れなかったらしい。﹁クゥイー﹂は、オーストラリアの人々の呼び声だとホームズが言う。
ホームズは、マッカーシー親子に土地を貸している地主の男、ジョン・ターナーを呼び出して問い詰めた。病気で余命いくばくもないジョンは、チャールズ殺害を白状した。ジョンは昔、オーストラリアのバララットで、仲間とともに強盗をしていた。ある日のこと、金塊輸送の馬車を襲った。護衛していた者は全滅させたが、馬車の御者だけは見逃してやった。その御者こそ、チャールズ・マッカーシーだった。強盗で財を成したジョン・ターナーは、イギリスに帰国してから広大な土地を買って住み着いた。妻を亡くし、一人娘のアリス・ターナーだけを連れてきた。その後ロンドンに出かけたときに、やはり帰国していたチャールズと偶然にも出会い脅迫された。過去の強盗の一件をばらさない代わりに、土地と家を無償で貸していたのだ。マッカーシーも一人息子のジェームズを連れていた。そして最近ジョンは、娘アリスとジェームズを結婚させるように迫られていたので、やむなくチャールズを殺したのであった。
登場人物[編集]
●ジョン・ターナー - この地方で一番の大地主。
●アリス・ターナー - ジョンの一人娘。
●チャールズ・マッカーシー - ジョン・ターナーの土地を借りている男。
●ジェームズ・マッカーシー - チャールズの一人息子。
事件の発生時期、場所[編集]
本編内でははっきり年代が言われず、終盤のジョン・ターナーのセリフから﹁1860年代初めから20年以上経過している﹂と分かるのみである。
シャーロック・ホームズの事件を現実に発生したものとみなすシャーロキアンの研究では、多くの研究者が事件発生を1889年6月と考えている[3]。本編にはこの事件が何年に起こったものかは明記されていないが、ワトスンが妻と朝食をとっている描写があり、ワトスンの結婚後︵大体において﹁四つの署名﹂事件が発生したとされる1888年以降︶で本作が発表された1891年より前の事件であること、本編内に﹁6月3日、すなわちこの月曜日﹂という記述があり、この期間内では1889年6月3日が月曜日であることから、1889年の事件と考えられている。
事件の舞台となった﹁ボスコム渓谷﹂は架空の地名で、イギリスの﹁ヘレフォード州ロスという町からそう遠くない郊外にある﹂というホームズの言葉があるが、現実のボスコムは同国のサマセット州の北部境界近くにある[3]。
﹁ボスコム渓谷の惨劇﹂の挿絵。鹿撃ち帽のホームズとワトスン。
ボスコム谷の最寄りのロス駅到着後にホームズが気圧計︵当時のイギリスでは水銀気圧計があちこちで見られた︶を確認し﹁29︵原文‥Twenty-nine︶﹂で風も雲もない良い天気だとつぶやく場面があるが、﹁29﹂の単位がイギリスの長さの単位インチとした場合は極めて低気圧︵ヤード・ポンド法における標準気圧は29.92インチ[4]︶である[5]。
ホームズの象徴となった鹿撃ち帽が描かれたのは、本作がストランド・マガジンに掲載された際にシドニー・パジェットが手がけた挿絵が初である。
(一)^ 本編終盤のジョン・ターナーの告白で﹁1860年代の初め﹂にオーストラリアにいたことと、それからすぐにイギリスに戻って結婚し娘ができてからチャールズ・マッカーシーと再開、それから﹁20年間﹂彼に押さえつけられてた説明がある。
(二)^ ジャック・トレイシー﹃シャーロック・ホームズ大百科事典﹄日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、311頁
(三)^ abウィリアム・ベアリング=グールド 著、小池滋 訳﹁38ボスコム谷の謎﹂﹃詳注版シャーロック・ホームズ全集﹄ 6巻、筑摩書房︿ちくま文庫﹀、1997年、99-179頁。ISBN 9784480032768。 年代については105ページ、場所については104ページに解説あり。
(四)^ メートル法に直すと、29インチ≒約737㎜、標準気圧は760㎜。
(五)^ ﹃科学探偵シャーロック・ホームズ﹄J・オブライエン 著、日暮雅通 訳、東京化学同人、2021年、ISBN 978-4-8079-0983-4、p.276-277。