ロイ・エルドリッジ
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ロイ・エルドリッジ Roy Eldridge | |
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ロイ・エルドリッジ(1946年) ウィリアム・ゴットリーブ撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | David Roy Eldridge |
生誕 | 1911年1月30日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ピッツバーグ |
死没 | 1989年2月26日(78歳没) |
ジャンル | ジャズ、スウィング・ジャズ、ビッグバンド |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | トランペット |
共同作業者 | チャーリー・バーネット |
ロイ・エルドリッジ︵Roy Eldridge、1911年1月30日 - 1989年2月26日︶は、アメリカのジャズ・トランペット奏者。愛称﹁リトル・ジャズ﹂。スウィング・ジャズ時代に最も影響力を持ったミュージシャンかつ、ビバップの先駆者とされる。
略歴[編集]
ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。父親は大工、母親はピアニストであった[1]。5歳でピアノを始め、早々にちゃんとしたブルース・リックを弾いたという[2]。このころヴァイオリン、アルトサックス、クラリネットで音楽の才能を示していた3歳年上の兄・ジョーを目標としていた[3]。6歳になるとドラムスのレッスンを受け、地元の教会バンドで演奏するようになった[4]。このときたまたまビューグルを吹いたエルドリッジに、兄がトランペットを始めるよう勧めたが、乗り気ではなかった[5]。11歳のときに母が死去し、すぐに父が後妻をもうけると、エルドリッジは自室に何時間もひきこもり、トランペットの猛練習をおこなうようになった[6]。 駆け出しの頃には多くのバンドを、あるときは率い、あるときは参加し、アメリカ中西部をくまなく演奏してまわるようになった[7]。9年生で高校を退学させられ、家出して16歳で旅芸人の一座に参加するも、一座はすぐに解散し、オハイオ州ヤングスタウンに取り残された[8]。そこで﹁グレーター・シーズリー・カーニバル﹂なる一座に拾われたが、メリーランド州カンバーランドで巡業中に、黒人である彼は人種差別に直面し、ピッツバーグに帰った[9]。地元ですぐに﹁トラベリング・ロック・ダイナ・ショー﹂[10]に参加し、たまたま当時のエルドリッジの演奏をカウント・ベイシーが目撃している。ベイシーは後年﹁僕の人生でこれまで聴いた中で最も偉大なトランペットだったよ﹂と語っている[11]。ツアー・バンドでの演奏は17歳までつづけた[12]。 20歳の時、自身のバンド﹁ロイ・エリオットと彼のパレス・ロワイヤル・オーケストラ﹂を結成[13]。マネージャーによる命名であるといい、エルドリッジ本人は﹁このほうが格式が高いと思ったんだろう﹂と述懐している[14]。結局バンドは脱退し、フレッチャー・ヘンダーソンの弟、ホレス・ヘンダーソンの楽団﹁フレッチャー・ヘンダーソン・ストンパーズ︹ママ︺﹂のオーディションを受け、参加[15]。その後デトロイトで多くのバンドと演奏してから、スピード・ウェブのバンドとともに、中西部のツアーに出る[16]。その後、メンバーはエルドリッジをリーダーとしたバンドを結成した[17]が、短命に終わった。エルドリッジはミルウォーキーに移り、その後生涯の親友となるジャボ・スミスと知り合う[18]。 1930年冬にニューヨークに移ったのち、セシル・スコット、エルマー・スノーデン、チャーリー・ジョンソン、テディ・ヒルらのバンドを渡り歩く[19]。このころ、デューク・エリントン楽団のオットー・ハーディックが、エルドリッジに、演奏のすごさと身長の低さをかけた﹁リトル・ジャズ﹂のあだ名を授けた[20]。また、初めて録音とラジオ放送を自分のバンド名義で行った。1935年、テディ・ヒルとの録音においてはじめてソロ演奏を披露し、すぐに人気が出た[19]。有名なナイトクラブ﹁Famous Door﹂で自分のバンドを率いるようになった[19]ほか、1935年にはビリー・ホリデイと﹃What a Little Moonlight Can Do﹄﹃Miss Brown to You﹄などをディキシーランド・スタイルで録音している[21]。同年、フレッチャーの楽団に参加した際は、ヴォーカルも担当している[19]。同楽団では、1936年に辞めるまで、﹃Christopher Columbus﹄﹃Blue Lou﹄などでソロをとった[22]。 こうして彼のリズミックなスウィングは、この時代のジャズのトレードマークとなり、﹁1930年代半ば以降、ルイ・アームストロングの後継者はエルドリッジだ﹂と評されるようになる[23]。 1936年秋にシカゴに引っ越した。同年、兄ジョーとともに、サックスと編曲を担当した7人組バンドを結成。﹁アフター・ユーヴ・ゴーン﹂﹁Wabash Stomp﹂などで長いソロをとった録音を残した[19]。音楽業界の人種差別にうんざりした彼は、1938年にいったん音楽活動を停止し、無線工学の勉強をした[13]。1939年に復帰し、10人組バンドを結成。ニューヨークのArcadia Ballroomに落ち着いた[19]。 1941年春、ジーン・クルーパ楽団に参加。白人バンドに入った初の黒人音楽家となった[24]。ここでは、新人歌手アニタ・オデイと共演した[25]。ノベルティ・ソング﹃Let Me Off Uptown﹄﹃Knock Me With a Kiss﹄などをヒットさせる[20]。この時期の最も有名な録音はベニー・カーター編曲によるホーギー・カーマイケルの﹃ロッキン・チェア﹄である[26]。1943年夏、クルーパが大麻所持の容疑︵のちに冤罪が判明︶で投獄されて、バンドは解散する[27]。翌年、アーティ・ショウのバンドに参加。ここでもまた人種問題があり、脱退して自身のビッグバンドを組んだが、経済的に失敗。小編成での活動に戻った[25]。 第二次世界大戦後は、ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック︵JATP︶の一員としてツアーを行った。JATPのリーダー、ノーマン・グランツは、﹁エルドリッジこそがジャズの精神の象徴だ﹂とし、﹁彼はステージに現れるとベストを尽くす。どんなコンディションでも。何事にも集中する。彼はわざと尻餅をつくときも、安全にじゃなく思いっきりやるんだ。ジャズってそういうものじゃないかなあ﹂と振り返っている[28]。1950年、ベニー・グッドマンとのツアーのためパリに滞在。1951年にニューヨークに戻り、﹁バードランド﹂でバンドを持った。1952年から1960年代初期にコールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルド、アール・ハインズらと共演するかたわら、ノーマン・グランツとの録音もおこなった[25]。1960年には、アビー・リンカーン、エリック・ドルフィー、ケニー・ドーハムらとともに、チャールズ・ミンガスとマックス・ローチが率いた﹁ジャズ・アーティスツ・ギルド﹂で録音[29]。このセッションはアルバム﹃ニューポート・レベルズ﹄として残された。1963年から1965年にかけてエラ・フィッツジェラルドと、1966年にはカウント・ベイシーとツアー。その後はフリーの立場で、フェスティバルなどで演奏した[25]。1969年から数年間、マンハッタン西54丁目の﹁ジミー・ライアンズ・ジャズ・クラブ﹂でハウスバンドを持った。[20] 1970年に脳卒中で後遺症を負ったものの復帰を果たし、ヴォーカル、ドラムス、ピアノをこなした[30]。作家のMichael Zirpoloは1970年代末に﹁ライアンズ﹂でロイを見て、﹁まだ高音をはじけさせられるんだと思ってびっくりしたよ。彼の健康が心配だった。こめかみの静脈が浮き出ていたからね﹂と回想している[31]。1971年、﹃ダウン・ビート﹄誌の﹁ジャズの殿堂﹂入り。1980年に心臓発作を起こして以降は、一切の活動ができなくなった[30]。 1989年、ニューヨークのヴァリー・ストリームのフランクリン総合病院で死去。78歳没。妻・ヴィオラが亡くなった3週間後のことだった[20]。プレイスタイル・評価[編集]
彼が最初に影響を受けたのはレックス・スチュワートであった[32]。サックス奏者のベニー・カーターやコールマン・ホーキンスから影響を受け、フレッチャー・ヘンダーソン楽団﹁ザ・スタンピード﹂︵1926年︶におけるホーキンスのソロをコピーすることで自身のスタイルを作った[33]。また、レッド・ニコルズからの影響も公言している[34]。 本人によると、初期にはアームストロングからは影響されず、1932年にアームストロングの研究を始めた︵アームストロングの本格的な全米ブレイクは1929年︶[19]。 代理コードを含む洗練された和声とソロ演奏の名人芸は、ディジー・ガレスピーに強い影響を与えたとされる。人物・エピソード[編集]
ジーン・クルーパがエルドリッジらバンドメンバーととともに、あるレストランで食事をとっていると、その店の支配人がクルーパに﹁黒人と同じテーブルで食べるな﹂と告げた。怒ったクルーパは支配人と殴り合った。留置場に数時間留め置かれたクルーパのために、エルドリッジは罰金を支払った[35]。主なディスコグラフィ[編集]
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リーダー作品[編集]
●The Big Band of Little Jazz︵トパーズ 1935から1945年︶ - ディッキー・ウェルズ、ベニー・グッドマン、ベニー・カーター、テディ・ウィルソン、ジーン・クルーパ、ジョン・カービーと ●After You've Gone︵デッカ・GRP 1936年から1946年︶ - アイク・ケベック、セシル・ペイン、ビリー・テイラー、サヒブ・シハブ、ウィルバー・デパリスと ●Heckler's Hop︵ヘップ、1936年から1939年︶ - ジーン・クルーパ、ベニー・グッドマン、ヘレン・ウォードと ●Roy Eldridge 1943–1944 (Classics) ●Roy Eldridge 1945–1947 (Classics) ●Nuts︵ヴォーグ 1950年︶ - ズート・シムズ、ディック・ハイマン、ピエール・ミシュロと ●French Cooking︵ヴォーグ 1950年から1951年︶ - レイモンド・フォル、バーニー・シュピーラーと ●Roy Eldridge in Paris︵ヴォーグ 1950年から1951年︶ ●Roy's Got Rhythm︵エマーシー 1951年︶ ●Rockin' Chair︵クレフ 1955年︶ - 1951年ないし1952年録音 ●Dale's Wail︵クレフ 1955年︶ - 1953年録音 ●Roy and Diz︵ヴァーヴ 1954年︶ - ディジー・ガレスピー、ハーブ・エリス、レイ・ブラウン、ルイ・ベルソンと ●The Coleman Hawkins, Roy Eldridge, Pete Brown, Jo Jones All Stars at Newport︵ヴァーヴ 1957年︶ ●Little Jazz︵エマーシー 1957年︶ - チャーリー・シェーバーズ、ジョー・トーマス、ジョナ・ジョーンズ、エメット・ベリーと ●Swingin' on the Town︵ヴァーヴ 1960年︶ ●The Nifty Cat (New World) - バッド・ジョンソン、ベニー・モートン、ナット・ピアースと ●ニューポート・レベルズ Newport Rebels︵キャンディード 1960年︶ ●The Trumpet Kings Meet Joe Turner︵パブロ 1974年︶ - ビッグ・ジョー・ターナー、ディジー・ガレスピー、ハリー・エディソン、クラーク・テリーと ●Roy Eldridge and Oscar Peterson︵OJC 1974年︶ ●Oscar Peterson and Roy Eldridge︵パブロ 1974年︶ ●Little Jazz and the Jimmy Ryan All-Stars︵パブロ 1975年︶ - ディック・カッツ、メジャー・ホリーと ●Happy Time︵パブロ 1975年︶ ●Jazz Maturity...Where It's Coming From︵パブロ 1975年︶ ●Oscar Peterson and The Trumpet Kings - Jousts︵パブロ 1975年︶ ●The Trumpet Kings at Montreux '75 ︵パブロ︶ - ディジー・ガレスピー、クラーク・テリーと ●The Tatum Group Masterpieces︵パブロ 1975年︶ - 1955年録音。アート・テイタム、ジョン・シモンズ、アルビン・ストーラーと ●What It's All About︵パブロ 1976年︶ - ミルト・ジャクソン、バッド・ジョンソンと ●Montreux 1977︵パブロ 1977年︶ - オスカー・ピーターソン、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン、ボビー・ダーハムらと ●Roy Eldridge & Vic Dickenson︵ストーリーヴィル 1978年︶ - トミー・フラナガンらと ●Heckler's Hop︵ヘップ 1995年︶ - 上記と同題のコンピレーション盤 ●The Complete Verve Roy Eldridge Studio Sessions︵ヴァーヴ 2003年︶ - コンピレーション盤その他の参加作品[編集]
●カウント・ベイシー ●Count Basie at Newport︵ヴァーヴ 1957年︶ ●Basie Swingin' Voices Singin'︵ABCパラマウント 1966年︶ ●Broadway Basie's...Way︵コマンド 1966年︶ ●Count Basie Jam Session at the Montreux Jazz Festival 1975︵パブロ 1975年︶ ●コールマン・ホーキンス ●Coleman Hawkins and Confrères︵ヴァーヴ 1958年︶ ●Hawkins! Eldridge! Hodges! Alive! At the Village Gate!︵ヴァーヴ 1962年︶ ●Disorder at the Border︵スポットライト 1973年︶ - 1952年録音 ●ジョニー・ホッジス ●Blues-a-Plenty︵ヴァーヴ 1958年︶ ●Not So Dukish︵ヴァーヴ 1958年︶ ●Triple Play︵RCAビクター 1967年︶ ●イリノイ・ジャケー - Swing's the Thing︵クレフ 1956年︶ ●レスター・ヤング - Laughin' to Keep from Cryin'︵ヴァーヴ 1958年︶ ●ベン・ウェブスター - Ben Webster and Associates︵ヴァーヴ 1959年︶ ●ジーン・クルーパとバディ・リッチ - The Drum Battle︵ヴァーヴ 1960年︶ - 1952年録音 ●エラ・フィッツジェラルド - Ella at Juan-Les-Pins︵ヴァーヴ 1964年︶ ●ジョー・ジョーンズ - The Main Man︵パブロ 1977年︶ ●ザ・スリー・サウンズ - Anita O'Day & the Three Sounds︵ヴァーヴ 1962年︶ - 1曲のみ参加 ●バディ・テイト - Buddy Tate and His Buddies︵キアロスクーロ 1973年︶ ●ポール・ゴンザルヴェス - Mexican Bandit Meets Pittsburgh Pirate︵ファンタジー 1973年︶参照[編集]
- ^ Chilton, p. 4-5
- ^ Chilton, p. 5
- ^ Chilton, p. 5-6
- ^ Chilton, p. 6
- ^ Chilton, p. 7.
- ^ Chilton, p. 8.
- ^ Eldridge, (David) Roy in Oxford Music Online Gunther Schuller, Oxford Music Online. Retrieved March 26, 2012.
- ^ Chilton, pp. 12–13.
- ^ Chilton, pp. 14–16.
- ^ Chilton, p. 16.
- ^ Basie, qtd. in Chilton, p. 18.
- ^ Chilton, p. 22.
- ^ a b Balliett, p. 151.
- ^ Eldridge, quoted in Chilton, p. 22.
- ^ Chilton, p. 25.
- ^ Chilton, pp. 32–34, 37.
- ^ Chilton, pp. 39–40.
- ^ Chilton, pp. 40–42.
- ^ a b c d e f g Robinson, p. 691.
- ^ a b c d Wilson "Roy Eldridge, 78, Jazz Trumpeter Known for Intense Style, Is Dead", New York Times, February 28, 1989: 7.
- ^ Oliphant, pp. 343–44.
- ^ Oliphant, pp. 51–52.
- ^ Lyttelton, p. 414.
- ^ Oliphant, p. 326.
- ^ a b c d Robinson, p. 692.
- ^ Oliphant, p. 308.
- ^ O'Day, pp. 102–123.
- ^ quoted in Steve Voce Obituary Norman Granz, The Independent, November 26, 2001. Retrieved November 20, 2008.
- ^ referred to in the liner notes of the LP by Nat Hentoff, quoted here [1]
- ^ a b Wilson, "Roy Eldridge's Ambition"
- ^ Zirpolo, p. 54.
- ^ Chilton, p. 10.
- ^ Lyttelton, p. 410.
- ^ Chilton, p. 14.
- ^ "Gene Krupa Fined," Cleveland Gazette January 3, 1942.
資料[編集]
- Balliett, Whitney. "Little Jazz." The New Yorker 61.43 (1985): pp. 151–59. RILM Abstracts of Music Literature.. Retrieved April 14, 2012.
- Chilton, John. Roy Eldridge, Little Jazz Giant. New York: Continuum, 2002. Print. ISBN 0-8264-5692-8.
- Deveaux, Scott and Howard McGhee. "Jazz in the Forties." The Black Perspective in Music 15.1 (Spring 1987): 64–78. JSTOR. Web. Retrieved Apr 14, 2012.
- Lyttelton, Humphrey. The Best of Jazz. Robson Books, 1998. ISBN 1-86105-187-5.
- Giddins, Gary. "The Excitable Roy Eldridge." Rhythm-a-ning: Jazz Tradition and Innovation in the '80s. New York: Oxford University Press, 1985. ISBN 0-19-503558-5.
- "Gene Krupa Fined After Socking Manager for Refusal to Admit Colored Boy Roy Eldridge in Pa. Restaurant." Cleveland Gazette Jan 3, 1942: 2. America's Historical Newspapers. Web. Apr 14, 2012.
- Obituary Norman Granz, The Independent, November 25, 2001. Retrieved November 20, 2008.
- O'Day, Anita and George Eels. High Times, Hard Times. New York: Limelight, 1981. ISBN 0-87910-118-0.
- Oliphant, Dave: The Early Swing Era: 1930–1941. Westport: Greenwood Press, 2002. ISBN 0-313-30535-8.
- Robinson, J. Bradford and Barry Kernfeld. "Eldridge, Roy." The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd ed. Ed. Barry Kernfeld. New York: Grove, 2002. ISBN 1-56159-174-2.
- Schuller, Gunther. "Eldridge, (David) Roy ['Little Jazz']." Oxford Music Online. [2]. Retrieved March 26, 2012.
- Wilson, John S. "Roy Eldridge, 78, Jazz Trumpeter Known for Intense Style, Is Dead." New York Times Feb 28, 1989: 7. Newspaper Source.. Retrieved Apr 14, 2012.
- Wilson, John S. "Roy Eldridge's Ambition: 'To Outplay Anybody.'" New York Times June 30, 1981: C5. ProQuest Historical Newspapers. Web. Retrieved Apr 14, 2012.
- Wilson, John S. "Roy Eldridge: Jazz Trumpeter for All Decades." New York Times Oct 17, 1982: H25. ProQuest Historical Newspapers. Web. Apr 14, 2012.
- Zirpolo, Michael P. "Sitting in with Roy Eldridge at Jimmy Ryan's." The IAJRC Journal 42.2 (2009): 54. RILM Abstracts of Music Literature. Web. Apr 14, 2012