祭壇画
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(三連祭壇画から転送)
祭壇画︵さいだんが︶またはアルターピース︵altarpiece︶は、教会の祭壇飾りのこと。具体的には、宗教的題材を描いた絵もしくはレリーフを、教会の祭壇背後の枠の中に取り付ける。祭壇画はしばしば2つないしそれ以上の分かれたパネルから成り、パネルは板絵(en)の技法で作られる。パネルが2つなら二連祭壇画 、3つなら三連祭壇画、それ以上なら多翼祭壇画と呼ばれる。彫刻群を祭壇の上に置くこともあるし、場合によっては、祭壇そのものを指すこともある。
もし祭壇が聖歌隊席と区切られていなければ、祭壇画の表裏に絵を描くこともできる。内陣障壁、背障も一般に飾られる。
有名な例としては、
●ヴェネツィア、サン・マルコ寺院にあるビザンティン美術のパラ・ドーロ
●フーベルト・ファン・エイク、ヤン・ファン・エイク兄弟の﹃ヘントの祭壇画﹄
●ゴシック期のファイト・シュトースの祭壇画
●マティアス・グリューネヴァルトの﹃イーゼンハイム祭壇画﹄
などがある。
なお、祭壇の前を飾るものはアンテペンディウムという。
ヒエロニムス・ボスの﹃快楽の園﹄
この三連形式は初期キリスト教美術から発生し、中世以降は祭壇画の標準フォーマットとなった。その地理的範囲は東は東ローマ帝国から、西はイギリスのケルト教会まで。ルネサンス期の画家・彫刻家、たとえばハンス・メムリンクやヒエロニムス・ボスなどが、この形式を使用した。例として、イギリスのスランダフ大聖堂 Llandaff Cathedral、ルーベンスの2作品があるベルギー・アントウェルペンのアントウェルペン大聖堂 Cathedral of Our Lady、そしてパリのノートルダム大聖堂などが挙げられる。あるものは、教会のステンドグラスの構造に形式を真似られたものも見られる。三連形式は現代の画家・写真家たちにも影響を与えているが、彼らの三連形式は必ずしも蝶番で動くわけではない。
この言葉の起源は古代ギリシア語の triptychos, ギリシャ語表記‥τρίπτυχο で、古代ローマ人が書字板︵それもまた真ん中のパネルと蝶番で繋がった2つの側面パネルがあった︶に書き記したものから、中世になって現在使われる綴りになった。なお、ペンダント・ジュエリーにも三連形式は使われている。
ヘントの多翼祭壇画︵15世紀︶
多翼祭壇画︵たよくさいだんが︶は、複数の絵画︵多くは板絵︶や浮き彫りで構成する、祭壇画の一様式。
ルネサンス期のヨーロッパで多く制作され、主にキリスト教の教会で祭壇を飾るためのもの。小型のものは個人の家にも置かれた。
ヤン・ファン・エイクらによるヘントの多翼祭壇画が有名なもののひとつ。
両翼は扉になっており、写真はそれを開いた状態のもの。
ガラスで作られた現代の背障︵ジャージー島、ミルブルック、ガラスの 教会こと聖マシュー教会︶
背障︵はいしょう、reredosorraredos︶とは、教会の祭壇の背後にある衝立もしくは飾りのこと。通常、そこには宗教的イコノグラフィーもしくは像︵イメージ︶が描かれる。石・木・金属・象牙、またはその混合でできている。像は、絵を描くか・彫るか・金メッキを施すか・モザイクにするか・彫像を置くかする。タペストリー、絹かベルベットの編み物を使う場合もある。
中世イギリスで生まれた言葉だが、語源は︵1︶14世紀のアングロ=ノルマン語 areredos、︵2︶arere ︵背後︶+dos︵後ろ︶、︵3︶ラテン語の dorsum である。
reredosの同義語に retable という言葉がある。祭壇が壁から遠ざかった時代に生まれた言葉だと思われる。祭壇がまだ壁とくっついていた頃には、祭壇の上か後ろにはreredosはなく、その代わりにretable︵垂れ幕の類︶があった。また、retableは祭壇の十字架、花、燭台があったところにあった。なお、フランスでは、retable︵レターブル︶がreredosの意味で使われている。スペインの retablo︵レタブロ︶も同様である。
reredosという言葉は14〜15世紀の後は使われなくなった。しかし、19世紀になって復活した。