中村苑子
中村 苑子︵なかむら そのこ、1913年3月25日 - 2001年1月5日︶は、俳人。
静岡県伊豆市大仁町に生まれる。日本女子大学中退。1942年三橋鷹女の第一句集﹃向日葵﹄を読み俳句に親しむ。1944年より﹁鶴﹂﹁馬酔木﹂などに投句。1949年﹁春燈﹂に入会し久保田万太郎に師事。1958年高柳重信の﹁俳句評論﹂創刊に参加し、1983年の高柳の死による終刊まで同誌発行に参与。また離婚後の高柳と生活をともにしたが、正式な結婚はしなかった。
1975年、第1句集﹃水妖詞館﹄により現代俳句協会賞、1979年﹃中村苑子句集﹄により現代俳句女流賞、1994年﹃吟遊﹄で詩歌文学館賞および蛇笏賞受賞。他の句集に﹃花狩り﹄﹃花隠れ﹄などがある。代表句に﹁翁かの桃の遊びをせむと言ふ﹂﹁貌︵かお︶が棲む芒の中の捨て鏡﹂﹁春の日やあの世この世と馬車を駆り﹂﹁わが墓を止り木とせよ春の鳥﹂など。幽玄・夢幻的な句風で知られた。1996年に刊行した﹃花隠れ﹄を遺句集としてそれ以後は句を発表せず、同年には生前葬も挙げた。2001年、87歳で死去。戒名は水妖院吟遊佳苑大姉[1]。
脚注[編集]
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)172頁