久米宏一
久米 宏一︵くめ こういち、1917年11月18日 - 1991年5月1日[1]︶は、日本の画家。
人物[編集]
東京・小石川に生まれる。豊島師範学校卒業[1]。小学校教員を務めながら、太平洋美術研究所で絵画を学ぶ[2]。 1964年に、いわさきちひろ、滝平二郎、箕田源二郎らと﹁童画ぐるーぷ車﹂を結成した。このため、絵本雑誌のちひろ追悼の座談会にも出席している[3]。子ども向けの本の挿絵の他に、月刊﹃宝石﹄のミステリー小説などにも挿絵を描いた。 日本児童出版美術家連盟に所属し、理事を務めた[2]。1950年代から亡くなるまでに挿画を描いた児童文学作品や絵本は200冊以上にのぼる。主に親交のある古田足日の作品が多い。 1976年、﹃やまんば﹄︵須藤克三、岩崎書店、1976年︶、﹃黒潮三郎﹄︵久保喬、金の星社、1976年︶により第25回小学館絵画賞受賞[4]。 1991年5月1日、腹部大動脈瘤破裂のため死去[1]。挿画・装画を描いた児童文学作品[編集]
●﹃木の下の宝﹄︵坪田譲治、新潮社、1954年︶ ●﹃少年姿三四郎﹄︵富田常雄、河出書房、1955年︶ ●﹃山の呼ぶ声﹄︵早船ちよ、理論社、1959年︶ ●﹃竜の子太郎﹄︵松谷みよ子、講談社、1960年︶ ●﹃北極のムーシカミーシカ﹄︵いぬいとみこ、理論社、1961年︶ ●﹃ぬすまれた町﹄︵古田足日、理論社、1961年︶ ●﹃ゆうやけ学校﹄︵花岡大学、理論社、1961年︶ ●﹃うずしお丸の少年たち﹄︵古田足日、講談社、1962年︶ ●﹃ドブネズミ色の街﹄︵木暮正夫、理論社、1962年︶ ●﹃地の星座﹄︵住井すゑ、汐文社、1963年︶ ●﹃草原のみなし子﹄︵安藤美紀夫、理論社、1966年︶ ●﹃宿題ひきうけ株式会社﹄︵古田足日、理論社、1966年︶ ●﹃星と少年﹄︵那須田稔、講談社、1969年︶ ●﹃りんごひろいきょうそう﹄︵宮川ひろ、小峰書店、1970年︶ ●﹃夜あけ朝あけ﹄︵住井すゑ、理論社、1972年︶ ●﹃はだかの捕虜﹄︵来栖良夫、新日本出版社、1982年︶ など多数。出典[編集]
- ^ a b c 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.225
- ^ a b 新版 宿題ひきうけ株式会社 著者紹介
- ^ 月刊・絵本1974年11月号
- ^ 総里見八犬伝 著者紹介