亀井忠一
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亀井 忠一︵かめい ただかず、安政3年6月30日︵1856年7月31日︶ - 昭和11年︵1936年︶1月30日︶は、三省堂書店、三省堂の創業者で三省堂編修所の代表者でもあった。もちろん、明治時代の代表的出版人でもあり、日本における近代的辞書の礎を築いた人物のひとり。
経歴[編集]
江戸で旗本・中川家の五男として生まれ、大政奉還後に家族で沼津に移り住み、困窮する父を助けて、落ち葉集めや卵・糠の行商で糊口をしのぐ[1]。16歳で同じ元旗本・亀井家の婿養子となり、明治6年︵1873年︶に東京に戻る。はじめ麹町13丁目で下駄商を営むが明治14年︵1881年︶、四谷の大火により店が焼けた後、兄が営む神田の古本屋﹁石川桃林堂﹂に倣って神保町に三省堂を創業した[2]。 店が軌道に乗り、兄の店など4軒の古本屋で組合﹁同盟四書房﹂を作り、出版事業に乗り出す。辞書類が売れて大成功となり、三省堂単独で教科書出版も始めたが、明治25年の神田の火事をきっかけに古本売買を辞め、出版を専門とする。﹃日本百科大辞典﹄でつまづき、大正4年に債権者の共同出資により株式会社化し、図書出版と販売を業とする。 晩年は顧問として一線を退き、業界の元老として重きをなしたが、長い療養ののち死去した。家族[編集]
●実父・中川市助 ‐ 幕府下級武士。大政奉還後江戸小石川から沼津に転居、無禄となり商売も成功せず困窮生活となる。[1] ●養父・亀井捨八郎 ‐ 旗本・亀井与十郎の娘婿。[1] ●妻・万喜子 ‐ 与十郎の二女。捨八郎の妻の妹。父を失い、姉夫婦に養われた。[1] ●四男・亀井寅雄︵1890年生︶ ‐ 東京帝国大学法科経済科卒。三省堂社長、会長。長男に亀井要︵三省堂社長・会長︶。 ●五男・亀井豊治︵1892年生︶ ‐ 三省堂社長・会長。娘婿に盛田昭夫。 ●二女・冨久子 ‐ 神保周蔵︵三省堂社長︶の妻[3] ●三女・武子 ‐ 弁護士・坂巻登介︵三省堂監査役︶の妻[3]脚注[編集]
参考文献[編集]
- 齋藤精輔「辞書生活五十年史」1991年 図書出版社 ISBN 4-8099-0502-0