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井原 美岐雄︵いはら みきお、1890年1月26日 - 1942年11月25日︶は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
●福岡市に旧福岡藩家老の家に生まれる
●海軍兵学校40期卒業︵同期は大西瀧治郎・宇垣纏・山口多聞︶
●大正15年︵1926年︶ - 桃型駆逐艦﹁桃﹂駆逐艦長
●昭和2年︵1927年︶ - 樅型駆逐艦﹁蓮﹂駆逐艦長
●昭和5年︵1930年︶ - 睦月型駆逐艦﹁如月﹂駆逐艦長
●昭和7年︵1932年︶ - 睦月型駆逐艦﹁睦月﹂駆逐艦長・海軍中佐
●昭和10年︵1935年︶ - 第22駆逐隊司令・海軍大佐
●昭和12年︵1937年︶ - 第25駆逐隊司令
●昭和13年︵1938年︶ - 第21駆逐隊司令・第28駆逐隊司令
●昭和13年︵1938年︶ - 大湊防備隊司令・大湊港務部長
●昭和15年︵1940年︶ - 佐伯防備隊司令
●昭和17年︵1942年︶ - 廈門警備隊司令
●11月25日 - 呉鎮守府付として勤務中病死。海軍少将
駆逐隊[編集]
駆逐艦を4隻単位の隊として運用する試みは、日露戦争中に進められており、戦後も継続して駆逐隊編制を推進することになった。
●第22駆逐隊
佐世保所属。駆逐艦﹃皐月﹄﹃水無月﹄﹃文月﹄﹃長月﹄によって編成。昭和19年︵1944年︶ 解隊。
●第25駆逐隊
佐世保所属。駆逐艦﹃樅﹄﹃榧﹄﹃梨﹄﹃竹﹄によって編成。昭和14年︵1939年︶ 解隊。
●第28駆逐隊
佐世保所属。駆逐艦﹃朝凪﹄﹃夕凪﹄によって編成。昭和14年︵1939年︶ に第29駆逐隊へ統合。
防備隊[編集]
●佐伯防備隊
呉鎮守府に属し、駆潜艇を中心に豊後水道の警備を担当。佐伯海軍航空隊は航空機による豊後水道の警備を担当。
共に艦船の出入掩護に当たった。
●大湊防備隊
大湊警備府に属し、津軽海峡を中心に青森県・北海道・樺太・千島を防御する部隊。
厦門警備隊[編集]
華南方面の陸上部隊として、3個陸戦隊を統率した第2特別陸戦隊を基幹に、華南沿海担当の第5艦隊隷下に編制。
厦門を根拠地として周辺の哨戒・鎮圧を担当したが、馬公から近く、太平洋戦争開戦による兵力供出のため、井原美岐雄が赴任と同時に警備隊に改組。
井原の病没後に再編され、終戦まで﹁厦門方面特別根拠地隊﹂として部隊を維持した。
- ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
- ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。