今村明光
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1983年2月19日![]() |
死没 | 1950年4月7日 (-33歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 医学(内科学) |
研究機関 | 東京帝国大学・東京女子医学専門学校 |
学位 | 医学博士 |
今村 明光︵いまむら あきみつ[1]、1883年︵明治16年︶2月19日[2] - 1950年︿昭和25年﹀4月7日[3]︶は、日本の医学者、内科学者。旧制東京女子医学専門学校︵現・東京女子医科大学︶教授。
生涯[編集]
1883年、鹿児島県の士族今村明清の六男として生まれた[2][4][5]。中学造士館を経て、1904年7月に第七高等学校造士館を卒業︵第三部医科志望、第1回卒業生︶[6]。東京帝国大学医科大学へ入学し、1909年に卒業[2][4][5]、同大学の助手、講師[2]。 卒業後は東京帝国大学助教授[2][4]となった。山梨県病院︵現・山梨県立中央病院︶長[2][4][5]を務めた。1921年に[2]医学博士号を取得[2][4][5][7]。 1929年、[2]東京女子医学専門学校教授に就任[2][4][8]。東京女子医学専門学校病院の内科部長[7]や病院長[6]をつとめたた。学界では、日本伝染病学会の評議員を務めた[8]。家族・親族[編集]
著作[編集]
参考文献[編集]
脚注[編集]
(一)^ 国立国会図書館典拠データ﹁今村明光﹂ 2020年6月13日閲覧
(二)^ abcdefghijk﹃帝国大学出身人名辞典 第4巻﹄︵日本図書センター、2003年︶80-81頁
(三)^ ﹃吉岡弥生﹄236頁。
(四)^ abcdefg﹃帝国大学出身人名辞典 第1巻﹄︵日本図書センター、2003年︶232頁︵イ(ヰ) 一四四︶
(五)^ abcd﹃人事興信録 第8版﹄︵人事興信所、1928年︶﹁今村明光﹂
(六)^ ab七高史研究会﹃七高造士館で学んだ人々 改訂版﹄︵2001年︶
(七)^ ab﹃東京女医学会雑誌 第4巻第2号﹄︵東京女医学会、1934年︶119頁
(八)^ abc南日本新聞社 編﹃郷土人系 上﹄春苑堂書店、1969年、344頁。