今泉貞雄
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今泉貞雄 いまいずみ さだお | |
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生年月日 | 1906年7月4日 |
出生地 |
![]() (現・福島県郡山市) |
没年月日 | 1995年1月28日(88歳没) |
出身校 | 日本大学専門部工科機械科卒業 |
前職 | 実業家 |
所属政党 |
(民主自由党→) 自由党 |
称号 | 勲四等旭日小綬章 |
選挙区 | 旧福島1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1949年 - 1952年8月28日 |
今泉 貞雄︵いまいずみ さだお、1906年︵明治39年︶7月4日[1] - 1995年︵平成7年︶1月28日[2]︶は、日本の技術者、実業家、政治家。衆議院議員︵1期︶。
経歴[編集]
福島県[3]安積郡桑野村[4]︵現郡山市[2]︶で、農家の7人兄弟の末子として生まれた[4]。小学校卒業後、進学を希望していたが家庭の経済状況が許さず、上京して丁稚奉公を行う[4]。奉公先の好意で夜間学校に通学し[4]、種々の職業を経ながら[4]1929年︵昭和4年︶日本大学専門部工科機械科を卒業した[2][3][注釈 1]。 三共に入社しオートバイ部門で勤務[4]。その後、中島飛行機荻窪工場社員、新田 (株) 昭和内燃機製作所工場長を歴任[3]。中野友禮の資金援助を受けて1938年︵昭和13年︶今泉精機を東京葛飾に設立し、白河分工場も設けたが終戦に伴い閉鎖して帰郷した[4]。 戦後、郡山に工作機械工場、精密機械工場を建設し[4]、化粧品製造販売も行った[4]。今泉産業社長、郡山商工会議所会頭などに在任[3][4]。その他、福岡県南スポーツ連盟会長、同野球連盟会長、福島県体育協会副会長なども務めた[3]。 また、今泉牧場を経営し競走馬の生産を行い[4]、日本中央競馬会福島県馬主協会長[4]、日本軽種馬協会副会長などに在任した[3][4]。 1949年︵昭和24年︶1月、第24回衆議院議員総選挙で福島県第1区から民主自由党所属で出馬して当選し[4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。 1986年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章[4][6]。国政選挙歴[編集]
- 第24回衆議院議員総選挙(福島県第1区、1949年1月、民主自由党)当選[4][5]
- 第25回衆議院議員総選挙(福島県第1区、1952年10月、自由党)落選[4][7]
- 第26回衆議院議員総選挙(福島県第1区、1953年4月、自由党)落選[7]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『財界福島』第16巻7号、132頁では、日大旧制高工機械。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 「談論風発・世相を斬る - 故郷・郡山の発展に尽くした歳月 - 県馬主協会長 今泉貞雄 / 冬室正造」『財界福島』第16巻7号、1987年7月、132-133頁。