伊藤栄一
伊藤 栄一 | |
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生誕 | 1925年10月1日 |
出身地 | 日本東京府(現東京都)東京市 |
死没 | 2020年2月24日(94歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
指揮者 音楽教育者 ピアニスト |
伊藤 栄一︵いとう えいいち、1925年︵大正14年︶10月1日[1] - 2020年︵令和2年︶2月24日[2]︶は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一[3][4]としているものがある。
経歴[編集]
東京市出身[1]。1950年︵昭和25年︶東京音楽学校︵東京芸術大学音楽学部の前身︶本科器楽科卒。 指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事[5]。 1951年︵昭和26年︶、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ﹃トゥランドット﹄、続くヨハン・シュトラウス2世﹃こうもり﹄(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当[6]。1952年︵昭和27年︶二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト﹃フィガロの結婚﹄、﹃魔笛﹄、ビゼー﹃カルメン﹄、ヴェルディ﹃椿姫﹄等[6]数多くの演奏会やオペラを指揮。放送等にも出演。その間、ブリテン﹃五つの花の歌﹄、メノッティ﹃アマールと夜の訪問者﹄等、現代曲の本邦初演を行っている[6]。また、東京コラリアーズ、ルナ・アルモニコ、東京室内合唱団等の指揮者としても活躍した。1966年︵昭和41年︶田中利光﹃四季﹄を指揮して芸術祭賞受賞[5]。小林秀雄﹃前奏曲﹄、尾形敏幸﹃叙情小曲集﹄の初演も行っている[6]。 プロ合唱団ばかりでなく、1954年︵昭和29年︶5月[7]青山学院大学グリーンハーモニー合唱団創立時[8]から常任指揮者として1980年︵昭和55年︶まで26回の定期演奏会を担当し団の発展に貢献、その後も名誉指揮者として1990年︵平成2年︶のOB合唱団設立から2005年︵平成17年︶まで15年間、OB合唱団の指揮者を務めた[9]ほか、オール青山の﹃メサイア﹄等を指揮している[6]。また、東京学芸大学混声合唱団においては、1967年︵昭和42年︶第5回定期演奏会から指揮者に就任、その後、名誉指揮者として2007年︵平成19年︶の第45回定期演奏会の﹁OB・OG合同ステージ﹂まで指揮を務めている[7]。1973年︵昭和48年︶には、伊藤の音楽を愛するメンバーにより﹁東京カントライ﹂が設立され、2018年︵平成30年︶2月17日第43回定期演奏会﹁ラスト・コンサート﹂まで指揮者を務めた[10]。オーケストラ指揮者としても東京ゾリステンコンチェルトシリーズに出演する等、数多くの経歴を持ち、カメラータ・アカデミカ室内管弦楽団の音楽監督も務めていた[5]。 ピアニストとしてもジョージ・ガーシュイン作曲﹃ラプソディー・イン・ブルー﹄山本正人指揮・東京吹奏楽団・第7回定期演奏会︵1965年︵昭和40年︶10月8日‥日比谷公会堂︶等のソリストを務めている。 また、コンコーネ等の音楽教材LPへのピアノ伴奏録音がある。音楽教育者として[編集]
音楽教育者として優れ、1957年︵昭和32年︶より東京芸術大学講師として、指揮法、ソルフェージュ、合唱、オペラ実習等を担当。 1966年︵昭和41年︶より東京学芸大学教授、創価大学教授、福島大学、福岡教育大学講師を歴任[6]。 多くの優れた門下生を世に送り出した。 のちに世界的指揮者となった若杉弘を、東京芸術大学の声楽科から指揮者への道へと導いたのは、伊藤と畑中良輔である。 他に︵Web上で個人名を確認できる範囲に限っても︶以下の人物が伊藤の門下生であり、多士済々な後進を育成した。
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