伊谷半次郎
伊谷 半次郎︵いたに はんじろう、1889年︵明治22年︶2月5日~1970年︵昭和45年︶7月4日︶は、日本の政治家・実業家。滋賀県愛知郡愛知川町出身。北海道北見市長︵1947年-1963年、4期︶。
人物[編集]
木綿問屋の四男として生まれる。徴兵や行商を経て、1912年︵明治45年︶春に北海道に渡り、野付牛村︵現・北見市︶で衣料行商を振り出しに伊谷呉服店を創業した。東和無尽社長や北洋無尽副社長を歴任。1923年︵大正12年︶野付牛商業会議所会頭︵~1943年︵昭和18年︶︶。1926年︵大正15年︶に町会議員に選出される。1942年︵昭和17年︶に市会議長に選出され、初代議長に就任。官制初代市長を務めた高橋峯冶から引き継いで、1946年︵昭和21年︶に官選2代目市長に就任。翌年の初の市長選挙で初代公選市長となり以降、4期連続当選。1960年︵昭和35年︶に北見工業短期大学︵現・北見工業大学︶設立を実現させた。1962年︵昭和37年︶全国市長会副会長。1963年︵昭和38年︶1963年に高齢を理由に北見市長選挙に出馬せず、勇退した。その業績をたたえ、屯田公園に銅像が建立されている。 甥に元北見市長の宇佐美福生がいる。主な業績[編集]
市政では豪腕で知られ、徹底した緊縮策や市有地売却によって、市の行財政を建て直し、北見市発展の礎を築いた。また、戦後直後の食糧難の折、食糧の確保・引揚者の住宅対策のみならず、中央政府や北海道と深いパイプを築き、道路整備事業・上水道の敷設・鉄道用地払下げと駅前再開発事業・芝浦製糖ビート工場の誘致などを精力的に行った。オホーツク地方にだけ国立大学がないのを嘆き、旧知の仲だった東急社長の五島慶太に寄付を募り、1億円の出資にこぎつけ、北見工業短期大学の誘致にも成功した。また、北見市政では最多の市長当選回数であり、現在も破られていない。受賞歴[編集]
参考文献[編集]
- 北見市史編纂委員会編『北見市史 下巻』(北見市役所、1983年)735頁?740頁