佐々木千里
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ささき せんり 佐々木 千里 | |
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本名 | 勝間田 兵吉 |
別名義 |
外山 千里 緒方 勝 |
生年月日 | 1891年6月28日 |
没年月日 | 1961年5月15日(69歳没) |
出生地 | 日本 静岡県 |
職業 | 劇団主宰者、劇場主、チェロ奏者 |
ジャンル | 軽演劇 |
活動期間 | 1920年前後 - 1961年 |
活動内容 | ムーランルージュ新宿座 主宰 |
佐々木 千里︵ささき せんり、1891年6月28日 - 1961年5月15日︶は、日本の劇団主宰者、劇場主、元チェロ奏者である。﹁ムーランルージュ新宿座﹂︵1931年 - 1951年︶の創設者として知られる。本名は勝間田 兵吉︵かつまた へいきち︶、チェロ奏者時代の名は戸山 千里︵とやま せんり︶、筆名は緒方 勝︵おがた かつ︶である。
人物・来歴[編集]
1891年︵明治24年︶6月28日、静岡県に勝間田兵吉として生まれる[1]。上京し、軍楽隊養成所だった陸軍戸山学校を卒業した[1]。 1917年︵大正6年︶ - 1923年︵大正12年︶に華やかだった浅草公園六区の﹁浅草オペラ﹂時代に、﹁戸山千里﹂の名で浅草でチェロ奏者をしていた。その後、マネジメント・サイドに転身し、﹁エノケン﹂こと榎本健一の﹁プペ・ダンサント﹂で知られる浅草の﹁玉木座﹂の支配人となった[1]。 1931年︵昭和6年︶12月31日、40歳のとき、東京市淀橋区角筈︵現在の東京都新宿区新宿3丁目36-16︶に劇団および劇場﹁ムーランルージュ新宿座﹂を設立[1]、﹁レビュー喜劇﹂︵軽演劇︶を上演した[1]。小沢不二夫や阿木翁助らの作家、有島一郎や由利徹らの喜劇人を育成した[1]。ムーランルージュは、松竹や林瑞祥︵のちのジョイパック、現在のヒューマックスグループ会長︶が経営したが、佐々木が還暦を迎えるころ、1951年︵昭和26年︶5月に閉館した[2]。 1961年︵昭和36年︶5月15日に死去した[1]。満69歳没。演じた人物[編集]
- テレビドラマ