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佐藤弘 (地理学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  1897421 - 19621223[1]1953 - 1962[2][1]

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1947[7]19491951[4]

1953[4]

1954[4]

1957調1959調[4]1961退[9]166[2]

人物[編集]

  • 青年時代には「俺は学者で往こうか、筆で立とうか、それとも前掛で往こうか」と洩らしており、自身が多才であることを自負していた[2]
  • 飯本信之によれば、「世事にこだわらず、開放的であり野人的な表現のうちにユーモアを混えて、常に気楽さと親しさをもって相手を魅了する特質をもち合わせていた」という。また飯本とは同学窓であり、佐藤が亡くなった際は「せめて老後を語り合うべき楽しさも待たず他界された君を想い哀惜に堪えない」と述べている[2]

著書[編集]

  • 1924年『人文地理講話』古文館
  • 1928年『政治経済地理学』古今書院
  • 1930年『経済地理学概論』古今書院
  • 1930年『世界経済地理』千倉書房
  • 1931年『商品学の常識』千倉書房
  • 1931年『綜合欧羅巴地誌』
  • 1932年『郷土史研究講座 経済地理的に見たる郷土』
  • 1932年『人文地理講話』(改訂増補)高陽書院
  • 1932年『日本地理講話』古今書院
  • 1933年『経済地理学総論』改造社
  • 1933年『パッサルゲ 景観と文化の発達』(国松久弥との共著)古今書院
  • 1934年『人文地理六講』高陽書院
  • 1934年『産業地理管見』古今書院
  • 1935年『経済地理学概説』(国松久弥との共著)三省堂
  • 1935年『世界経済地理講話』古今書院
  • 1935年『商品学概説』同文館
  • 1936年『日本国勢地理』三省堂
  • 1936年『最近の経済地理学』古今書院
  • 1938年『北支・シベリア・蒙古』三省堂
  • 1939年『時局と地理学』
  • 1939年『経済ブロックと大陸』古今書院
  • 1939年『政治地理学概論』柁谷書院
  • 1940年『興亜経済地理』日本放送出版協会
  • 1942年『南洋地理大系』ダイヤモンド社(飯本信之と共編)
  • 1942年『南方共栄圏の全貌』
  • 1943年『大東亜の特殊資源』大東亜出版社
  • 1948年『経済地理学原論』東海書店
  • 1951年『経済地理』新紀元社

随筆[編集]

  • 1954年『はだか随筆』
  • 1956年『いろ艶筆』
  • 1958年『はだか人生』
  • 1960年『上り下り東海道』
  • 1963年『はだか道中』(遺著)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1935 - 1937年に黒正巌川西正鑑らによって組織され運営された学会[7]

出典[編集]

  1. ^ a b 飯本 1963, p. 139.
  2. ^ a b c d 飯本 1963, p. 137.
  3. ^ 岡田 2013, p. 82.
  4. ^ a b c d e 岡田 2013, p. 88.
  5. ^ a b c 岡田 2013, p. 83.
  6. ^ 岡田 2013, p. 84.
  7. ^ a b c 岡田 2013, p. 86.
  8. ^ a b 岡田 2013, p. 85.
  9. ^ 岡田 2013, p. 89.

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3621989137-139 

 22013 

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