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信貴山縁起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信貴山縁起 山崎長者の巻(部分)

1951[1]1

[]


12

[]


3

[]


31.7cm×879.9cm

使使使



西



[2]


長者の倉から鉢がひとりでに飛び出す
長者の倉から鉢がひとりでに飛び出す
  • 米俵を鉢に乗せるように指示する命蓮(右)
    米俵を鉢に乗せるように指示する命蓮(右)
  • 空を飛んで行く米俵と、驚いて見上げる鹿たち
    空を飛んで行く米俵と、驚いて見上げる鹿たち
  • 鉢に乗って空を飛んでいく倉、驚いて後を追う人々
    空を飛んで長者宅に戻ってきた米俵、驚く家人たち

    延喜加持の巻[編集]

    帝の使者が命蓮に対面し、僧位や荘園を与えようと言うが、命蓮は固辞する

    31.7cm×1290.8cm

    殿



    使

    3使使[3]
    殿

    []


     31.7cm×1424.1cm


    (詞書の大意)信濃国には命蓮の姉の尼公がいた。弟は奈良の東大寺で受戒すると言って出て行ったきり、戻ってこない。一目会いたいものよと思った尼公は、奈良をめざして旅に出た。興福寺や東大寺のあたりで、道行く人に命蓮の消息を尋ねるが、もう20年も前のこととて、知っている人もない。弟の様子さえわからずに帰る気になれない尼公は、東大寺大仏の前で「なんとかして弟の法師の居所がわからないものか」と一夜祈り続けた。うとうとした尼公の夢に「未申(南西)の方に紫の雲のたなびく山がある。そこを訪ねてみよ」という声が聞こえた。目が覚めて、南西の方をみると、紫の雲のたなびく山がはるかに霞んで見えるではないか。うれしくなった尼公はその方角へ歩き出した。信貴山に着くと、たしかにそれらしき堂がある。「ここに命蓮はおるか」と声をかける。堂から命蓮が顔を出すと、そこにいるのはわが姉の尼公。「どうしてここを尋ねあてたのか」と問う命蓮に、尼公はみやげに持ってきた衲(だい)という衣料を渡す。太い糸で丈夫に縫った衣料である。今まで紙衣一枚で寒い思いをしていた命蓮は、喜んでこの衲を着た。姉の尼公も信濃へは帰らず、命蓮とともに仏に仕える生活を送ったのである。
    件の衲は、命蓮がずっと着ていたためにぼろぼろになって、倉に納められていた。人々はその衲の切れ端を争って求め、お守りにしたのだった。さきほどの空飛ぶ倉を人呼んで「飛倉」という。飛倉も時が経って朽ちてしまったが、朽ちた倉の木片をお守りにしたり、毘沙門天の像を刻んで念持仏にした人は皆、金持ちになったという。朝夕参詣者でにぎわう信貴山の毘沙門天は、この命蓮聖が修行して感得した仏であった。[4]

    脚注[編集]



    (一)^ . .  . 2018123

    (二)^ 1987pp.2 - 32

    (三)^ 1987pp.34 - 78

    (四)^ 1987pp.82 - 132

    参考文献[編集]

    • 泉武夫アートセレクション 信貴山縁起絵巻 躍動する絵に舌を巻く』 小学館、2004年 ISBN 4-09-607020-3
    • サントリー創業100周年記念展4 特別公開 国宝 信貴山縁起絵巻』展図録(4冊セット)、サントリー美術館、1999年
    • 小松茂美編『信貴山縁起』(日本の絵巻4)、中央公論社、1987

    関連項目[編集]

    外部リンク[編集]