内山安兵衛
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内山 安兵衛︵安兵衞、うちやま やすべえ、1866年2月13日︵慶応元年12月28日[1]︶- 1936年︵昭和11年︶9月28日[2][3][4]︶は、明治から大正期の林業家、実業家、政治家。衆議院議員。本名・末太郎[3]。
経歴[編集]
武蔵国多摩郡五日市村[3]︵神奈川県西多摩郡五日市町、東京府西多摩郡五日市町[4][5]、東京都[2]西多摩郡五日市町を経て現あきる野市︶で、豪農[3]・内山善右衛門の長男として生まれ[6][7]、1883年︵明治16年︶家督を相続[6]。同人社で学んだ[2][3][4]。林業を営む[2][5]。 1880年︵明治13年︶深沢権八らと五日市学芸講談会を設け、自由民権運動の学習活動を行う[3][8]。その後、キリスト教に入信[3][8]。1892年︵明治25年︶神奈川県会議員に選出[2][3][4][6][7][8]。三多摩の東京府編入後は東京府会議員、同郡部会副議長などを務めた[2][3][4][6][7][8][5]。1899年︵明治32年︶公職を辞し五日市から湘南逗子に移住し、キリスト教信仰と絵画に親しむ生活を送った[8]。 1920年︵大正9年︶衆議院議員選挙区の小選挙区改正を契機に、内山を擁立しようとする動きが起こり[8]、岸忠左衛門らの推薦を受けて[8]1920年︵大正9年︶5月の第14回衆議院議員総選挙に東京府第16区から立憲政友会公認で出馬して当選し[8][9]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。1921︵大正10年︶五日市鉄道社長に就任し、秋川水力電気会社重役なども務めた[2][3][4][6][7][8]。これらの活動の中で経済状態が悪化し、昭和初期には大内山と称された旧家も見る影もない状況となった[8]。親族[編集]
●父・内山善右衛門 ‐ 豪農 ●妹・クミ ‐ 長島鷲太郎の妻[10] ●妻 内山フサ︵福井準造妹︶ ●長男・内山善一 ‐ 岳父に神山閏次[10] ●二男・内山良 ‐ 岳父に水谷叔彦[11]。相婿に明石和衛、戸塚武比古、西崎正︵西崎義展の父︶。脚注[編集]
(一)^ 衆議院﹃第四十三回帝国議会衆議院議員名簿﹄︿衆議院公報附録﹀、1920年、3頁。
(二)^ abcdefgh﹃議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑﹄94頁。
(三)^ abcdefghijk﹃20世紀日本人名事典 あ-せ﹄399頁。
(四)^ abcdefg﹃総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回﹄72頁。
(五)^ abc﹃三多摩郡人物評 第1編﹄55-56頁。
(六)^ abcde﹃人事興信録 第8版﹄う之部60頁。
(七)^ abcd﹃現代日本人名大辞典 昭和5年版﹄う之部15頁。
(八)^ abcdefghij﹁内山末太郎﹂﹃多摩の人物史﹄293-294頁。
(九)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第14回﹄3頁。
(十)^ ab内山安兵衛﹃人事興信録﹄第8版、昭和3(1928)年
(11)^ 内山安兵衛﹃人事興信録﹄第11版 改訂版 上 1938