はじめまして、桜螺旋と申します。突然のお声がけ、お許しください。国立ヴィリニュス小劇場の記事名の出典がわからず困っています。なにぶん古いことではありますが、出典を教えてもらえないでしょうか。--桜螺旋︵会話︶ 2018年7月8日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
はじめまして。こちらの記事名は原語︵„Valstybinis Vilniaus mažasis teatras“︶の直訳を基にしております。詳しく申しますと、 Valstybinis は﹁国家﹂などを意味する名詞 valstybė から派生した形容詞で﹁国立の﹂を意味し、Vilniaus は固有名詞 Vilnius の属格です。3番目の mažasis は﹁小さい﹂を表す形容詞 mažas の限定形︵男性主格︶で、最後の teatras は﹁劇場﹂を表す名詞︵単数主格︶になります。本来であれば﹁国立ヴィルニュス小劇場﹂とするのが適当なのでしょうが、ウィキペディアでは﹁ヴィリニュス﹂の記事をはじめすべての記事名で﹁ヴィリニュス﹂と表記が統一されていますので、こちらの記事名でもそれに従い﹁国立ヴィリニュス小劇場﹂といたしました。なお、おそらく﹃地球の歩き方﹄などでも﹁ヴィリニュス小劇場﹂となっているのではないかと推測いたしますが、こちらの手元には最新版の﹃地球の歩き方﹄がありませんので確かなことはすぐにはお答えしかねます。--H-JAM︵会話︶ 2018年7月8日 (日) 16:18 (UTC)[返信]
承知しました。記事にはメディアで訳例の確認ができるまで﹁暫定記事名﹂を追加しておきます。--桜螺旋︵会話︶ 2018年7月13日 (金) 11:39 (UTC)[返信]
本日﹃地球の歩き方﹄最新版で表記を確認できました。そのため {{暫定記事名}} は削除いたします。--H-JAM︵会話︶ 2018年7月17日 (火) 17:28 (UTC)[返信]
はじめまして、ナルドの香油と申します。貴方様は、私が2019年2月21日に、日本国史学会のページの活動内容として編集した﹃第54回、第56回連続講演会で日本が戦時中に原爆実験に成功したとスピーチ﹄についてを、﹁学会そのものとは直接関係のない記述のため削除﹂として2019年2月22日に削除していますが、同学会の活動の分化された細部の紹介が、﹁学会そのもの﹂でなければならない根拠を教えてください。--ナルドの香油︵会話︶ 2019年2月23日 (土) 17:36 (UTC)[返信]
- 当該記述は学会と称する組織そのものの活動というよりは組織における発言として認識すべきと考えます(「学会そのものとは直接関係のない」というのはそのような意味で記しました)。そして、一組織における発言をすべて記述するということは到底無理なことですし、ウィキペディアのガイドラインで示される特筆性に値するとも思われません。よって削除いたしました。ナルドの香油さんご自身が書かれているとおり、これは所詮「細部の紹介」に留まります。そのような細部の情報をすべて紹介する可能性と意義をお考えいただければと思います。--H-JAM(会話) 2019年2月23日 (土) 21:08 (UTC)[返信]
- (追記)今確認したところ、ノート:日本国史学会にも同様の疑問提起を行われたようですね。議論の拡散を防ぐためにも、このようなご対応はあまり適切ではないと思います。議論は集約するほうが良いかと存じますので、今後そちらへの書き込みをお願いいたします。私からもその旨を当該ノートに記載しておきます。--H-JAM(会話) 2019年2月23日 (土) 21:12 (UTC)[返信]
H-JAM様: メールを確認してください。 件名: "The Community Insights survey is coming!" ご不明な点がございましたら、surveys@wikimedia.orgまでメールでお問い合わせください。
(Please check your email! Subject: "The Community Insights survey is coming!" If you have questions, email surveys@wikimedia.org.)
Sorry for the inconvenience, you can read my explanation here.
MediaWiki message delivery(会話) 2020年9月25日 (金) 14:17 (UTC)[返信]
H-JAMさん
こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。
2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
もしH-JAMさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。
ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるH-JAMさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。
投票いただくに際し、まず19名の候補者からH-JAMさんが支持する方をお選びください。
支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。
所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。
投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。
ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、H-JAMさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。
どうぞよろしくお願いいたします。
--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:16 (UTC)
このお知らせはウィキメディア財団2021年理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除
はじめまして、Omotechoと申します。
さて早速なのですが、ジェマイティヤの翻訳と編集をされたのを拝見して、ご相談に伺いました。Nerisという川のページ︵英語版1032107966番︶を翻訳し、推敲をしたのですが、現在はページ名を﹁ニャリス﹂として公開しました。﹁ネリス川﹂﹁ネリス﹂のどちらかに改名提案を出そうと考えています。
●︵1︶内容の査読を引き受けていただけないでしょうか。
●︵2︶改名はネリス川、ネリスのどちらが良いか、ご検討いただけたら誠に幸いです。
お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくご検討くださるようお願い申します。
--Omotecho︵会話︶ 2021年10月14日 (木) 13:21 (UTC)[返信]
この度は、Neris を翻訳していただきまして、ありがとうございます。私としては、﹁セーヌ川﹂﹁ライン川﹂と同じように﹁ネリス川﹂とするのが妥当と思いますが、いかがでしょうか。
内容につきましては、この後確認させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。--H-JAM︵会話︶ 2021年10月14日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
@H-JAMさん、早速のお返事ありがとうございます。おっしゃるとおり、前例にならおうと思います。
改名は合意形成が手順とのことですので、しばらくページにてお知らせを貼り出す所存です。どうぞ悪しからず。
お忙しいところ藪から棒にお頼りし厚かましいお願いですが、お時間の許すときにページに目を通され誤りなどお気づきの点は斟酌なく改めてくださるとたいへん心強いです。お邪魔しました。
--Omotecho︵会話︶ 2021年10月14日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
どうも納得がいかず、お尋ねしたくてこちらに参りました。
H-JAMさんは﹁論文では原語を表記するのが一般的﹂との趣旨を書かれていますが、外国の事物に対して原語を併記していない論文も沢山あります。私が原語を併記しているのは、論文の書き方や書式とは無関係です。単純に、原語も書いておくことで、その事物および関係する要素についての理解が深まるから、と考えています。ウィキペディアだけで調べ物を完結するのではなく、その原語でインターネットで検索すれば、その事物に関係する情報が手に入るでしょう。私の場合、このおかげで翻訳の際に資料がたくさん見つかり、出典も増やせて記事を充実させることができました。こういう、私のような人もいるのです。調べ物の作業が、ウィキペディア内の記事を読むだけで完結するでしょうか?ウィキペディア内の記事にある記述の拠り所となる資料や出典が無ければ何の意味も無い。嘘や作り話が書かれているかもしれません。ましてや日本ではなく、外国の話についてであれば、原語が書いてあれば、︵インターネットで︶調べ物の作業の際に便宜を図れませんか?
H-JAMさんの言う﹁可読性﹂とは﹁読みやすさ﹂の意味でお使いでしょうか?﹁原語を併記されると読み辛い﹂ということなのでしょうか?私は﹁読み辛い﹂とは思いません。だからこそ原語を併記しているのです︵その場その場での判断となりますが、﹁読み辛いな﹂と感じた場合、原語は併記しません︶。
﹁読みやすいか、読み辛いか﹂なんてのは主観に基づく争いになってしまうでしょうけれど、一応お尋ねします。原語を併記した場合、﹁どこがどう読み辛いのか﹂を教えて下さいますか。
もう一つは、原語を併記されると、H-JAMさんにとって、何か困ることがおありなのですか。﹁原語併記は読み辛い﹂以外の理由を教えて下さいませんか。﹁原語を併記することの何がいけないのか﹂を。
原語の併記については、過去にも複数の方と話し合いを重ねておきました。私が翻訳作業を終え、そのあとに記事を編集される方の多くは、原語併記をそのまま残されますが、除去しようとする方もおられました。その理由を尋ねてみると、﹁原語を消さなければならない理由﹂を示して下さった方は、今のところ一人もいません。もちろん、﹁原語を併記しなければならない﹂規則なるものは存在しませんが、一方で、﹁原語を併記してはならない︵原語併記は禁止﹂︶﹂なんて規則が存在するわけがないことも承知しています。中には、﹁冗長だから﹂との理由で除去した方もいますが、﹁では、なぜ冗長なのか、どこがどう冗長なのか﹂﹁原語を併記されると、何がどう困るのか﹂についてを説明して下さった方は、今のところ一人もいません。
原語の併記については、ウィキペディアの管理者の姿勢も、そこまで厳格ではありません。別のページでは﹁程度の問題による﹂と語っておられました。少なくとも、ウィキペディアの管理者から﹁原語併記については、読み辛いからダメだ、許さない﹂、そんな趣旨の注意を受けたことは一度もありません。原語を併記したことで管理者に差し戻されたことは無いし、ましてや、﹁もう一度原語を併記した場合、投稿ブロックする﹂なんて言われたこともありません。ということは、原語については﹁必ず併記する﹂なんて決まりも無いけれど、﹁併記は禁止﹂なんて決まりも無いことがお分かりでしょう。
私自身、全ての外国の事物に対して機械的に原語を併記しているわけではありません。﹁これくらいなら、どうだろうか。併記してもいいだろうか﹂と常に考えながら作業しています。
長くなりましたが、H-JAMさんの理由を教えて下さいませんか。﹁原語の併記がなぜダメなのか﹂について、﹁読み辛いから﹂以外の理由をお願い致します。
それと、﹁Ельцин﹂を﹁エリツィン﹂ではなく、﹁イェリツィン﹂と表記するのは間違いではないのでしょう?H-JAMさんも認めておられるように。ならばロシア語の発音になるべく近付けるよう、﹁イェリツィン﹂と表記しても問題無いように思えますが、どうしてもダメなのですか。﹁外来語の表記の仕方﹂を提示するだけでは論拠が足りません。原語併記についても含めて、H-JAMさんなりの理由を教えて欲しいのです。お願い致します。--ラッツ︵会話︶ 2023年9月28日 (木) 12:03 (UTC)[返信]
この度は、血の日曜日事件 (リトアニア)での編集についてのお問い合わせありがとうございます。また、こちらの記事を大幅に加筆していただいた点、大変感謝しております。
ここでは、お問い合わせいただいた内容について、以下、2つに分けてお返事させていただきます。
(1) 原語併記の是非について
原語を併記することで可読性が損なわれるかどうか、ラッツ様がご指摘の通り、これはある程度主観によるものと思います。ラッツ様は﹁私は﹁読み辛い﹂とは思いません﹂とのことですが、私は読みづらくなると感じます。そのような読者も存在するということは念頭に置いておいていただければと思います。そして考慮すべきは、読みづらいか否かという点もさることながら、原語併記が必要か否かという点も重要でしょう。私は、編集の際にコメント欄に記載したとおり、当該記事に飛べば原語表記を確認することができるわけですから、あえて本文中に記載する必要はないと考えています。もちろん、ラッツ様のように、その原語でインターネットで検索する方もいらっしゃるでしょうし、私自身もそのように調べる機会は数多くございます。ただ、一例で申しますと、この﹁血の日曜日事件 (リトアニア)﹂という記事を読んでラフィク・ニシャノフという人物について知りたいと思った場合に何をするかといえば、まずは﹁ラフィク・ニシャノフ﹂という記事に読んでその人物について知ろうとし、もしその記事の内容だけでは不十分と感じたならばさらにインターネットで検索する、という順序を辿ることも少なくないのではないでしょうか。であれば、﹁ラフィク・ニシャノフ﹂という記事のなかで原語での表記が示されていれば、それで十分だろうと存じます。もちろん、中には、﹁血の日曜日事件 (リトアニア)﹂という記事を読んで﹁ラフィク・ニシャノフ﹂という記事には行かずにいきなりインターネットで検索する方もいらっしゃるでしょう。ただ、実際にこの記事を読む日本語話者のうちそのような探し方をする読者はそれほど多くないと想定されます。そして、この人物について調べようと思っても、多くの日本語話者はロシア語が読めませんから、ほとんどは日本語で調べようとするでしょう。したがって、多くの日本語話者にとっては、記号でしかないキリル文字が並んであっても、何の意味もないのです。それでもなお、一部の人にとっては便利なのだから併記したほうが良いとお考えかもしれませんが、その考えを突き進めれば、極論になってしまいますが、日本語以外の表記を併記するほうが便利だということであらゆる概念にあらゆる外国語を併記することにもなりかねません。それは著しく可読性を損なうことであることはご理解いただけると思います。もちろん、ラッツ様がそのような極端なことをお考えでないのは理解しております。あくまで、外国の人物などの固有名詞に関して、その原語での表記を併記すべきだと考えておられるのだと思います。ただ、それでも、記事の中に何度も何度も日本語ではない表記が本文中に挿入されるのは、やはり可読性の観点から好ましくありません。
Wikipediaのスタイルマニュアルでも、﹁他言語表記は控えめに﹂すべきと規定されています。特に、﹁ブラケットで囲まれて別の記事へのリンクとなっている場合には、原語の表記を併記しないでください﹂という指示も存在いたします。ラフィク・ニシャノフ、ミハイル・ゴルバチョフ、ボリス・エリツィン、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、ニューヨーク・タイムス、などなど、いずれも別の記事へとリンクとなっているわけですから、原語の表記は併記すべきではありません。これについては、﹁Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#表記スタイルに関する注意点#他言語表記は控えめに﹂をご参照ください。
(2) ロシア語の転写について
私は、﹁Ельцин﹂を﹁イェリツィン﹂と表記することを﹁間違いだ﹂などと申したつもりはございません。実際、Wikipedia:外来語表記法では原音主義に基づく表記法も一つとして提起されており、私も、外国人の表記に関して、原音主義に基づいて表記することはございます。ただ、ロシア語からの転写に関しては、﹁е﹂を﹁イェ﹂ではなく﹁エ﹂とする慣用が続いてきたこともまた事実です。原音と慣用のどちらを重視すべきかは場合によるので一概に言い切れるものではありませんが、エリツィンについては、﹁エ﹂と表記する事例が圧倒的多数であること︵Googleでのヒット件数は﹃エリツィン﹄が約 232,000件であるのに対して﹃イェリツィン﹄は762件にとどまります︶、そして、﹁Wikipedia:外来語表記法/ロシア語﹂で﹁е﹂の発音は﹁イェ﹂であるにもかかわらず﹁日本語表記の際は普通単に﹃エ﹄と記す﹂と規定されている、という2点を根拠として、﹁エリツィン﹂と表記するほうがベターであると判断いたしました︵実は、私個人の本心を申しますと、﹁е﹂は﹁イェ﹂と表記し﹁エリツィン﹂も﹁イェリツィン﹂としたいのですが…︶。
以上、2点についてのご回答になります。もしかすると、この説明でもまだラッツ様はご納得なされないかもしれません。ただ、上にあげたスタイルマニュアルやルールに反する編集を行うことの妥当性やその根拠について、今一度お考えいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。--H-JAM︵会話︶ 2023年9月28日 (木) 17:57 (UTC)[返信]
お返事をありがとうございます。H-JAMさんのお考えを聴くことができ、とても嬉しく存じます。
紹介して下さった﹁他言語表記は控えめに﹂の節を読んでみたのですが、
﹁他言語表記は控えめにしましょう。付加的な情報として他言語を利用することは良い方法ですが、他言語に依存するような文章は避けてください﹂
↑この文章の意味がよく分かりません。この場合、その事物の原語を併記していいのか、それともダメなのか。どちらなのでしょうか?どうもはっきりしません。﹁原語の併記は禁止である﹂という意味なら、はっきりそのように書くべきなのに、この文章では何が言いたいのかよく分かりません。H-JAMさんの解釈を教えて下さいませんか。
﹁付加的な情報として他言語を利用する﹂とは、具体的に、どのような編集を指すのでしょうか?私の編集では、その人物の名前を日本語で記述したのち、そのすぐ後ろに原語を書き、それを半角の丸括弧で包むようにしています。この場合、﹁付加的な情報として他言語を利用する﹂に当てはまるでしょうか?それとも違うのでしょうか?﹁付加的な情報として他言語を利用する﹂の意味がよく分かりません。
﹁他言語に依存するような文章﹂とは、要するに、どのような文章のことでしょうか?
ソ連軍を自国に招いたリトアニア共産党の政治家の記事がありますが、彼らの他言語版の記事へのリンクがありますね。これとか、これとか︵本家リトアニア語版よりもロシア語版のほうが詳しく書かれてあるのを見ると、少し不思議な気もしますが…︶。仮リンクを作ると、﹁〇〇語版﹂との表記とともに、角括弧で括られます。これらのリンクには原語は併記しておりません。丸括弧であれ、角括弧であれ、連続で続いた場合、﹁さすがに読み辛いだろう﹂との判断によるものです。--ラッツ︵会話︶ 2023年9月29日 (金) 04:53 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。﹁Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#表記スタイルに関する注意点#他言語表記は控えめに﹂の記述について、こちらの解釈を書かせていただきます。
﹁他言語に依存するような文章は避けてください﹂というのは、﹁日本語以外の言語を知らないと読めないような文章は避けてください﹂という意味でしょう。ただ、今回は人名などを表記しているだけで文章ではありませんから、この箇所は該当しないと考えます。重要なのはその次の文で、﹁本文にある外来語については、それが独立した別ページになりそうな場合、特にネイティブな表記を併記する必要はありません﹂とありますから、独立した記事になりそうな人物については原語表記を併記する必要はない、という指針が示されています。さらに、﹁その外来語がブラケット [[]] で囲まれて別の記事へのリンクとなっている場合には、原語の表記を併記しないでください﹂とありますから、独立した記事が実際に存在する人物については、原語表記を併記する必要がないどころか、併記してはいけないとまで指示されているわけです。この点についてご理解いただけますと幸いです。--H-JAM︵会話︶ 2023年9月29日 (金) 06:02 (UTC)[返信]