北条五色備
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北条五色備︵ほうじょうごしきぞなえ︶は、戦国大名・後北条氏の元に編成されたとされる備︵部隊︶。その名の通り黄・赤・青・白・黒の5色に分けて5つの部隊が編成された。
概要[編集]
天文20年7月20日︵1551年8月31日︶北条氏康は上野国平井城を攻略し、長年の大敵であった関東管領・上杉憲政を完全に撃破するに至った。その頃のものとされる北条家の編成名簿の中に五色備について見られる。それによると、別格の御家門衆︵北条幻庵など︶、最高格の三家老衆︵松田尾張守、大道寺駿河守、遠山丹波守︶に次ぐ五家老衆がそれぞれの備を担当した事が分かる。 特に黄備を率いた北条綱成はよく知られており、黄色地に染められた﹁地黄八幡︵じきはちまん︶﹂という旗指物を使用していたという[1]。その他の備については他の資料からは見られず、その実態についての記録は乏しい。構成[編集]
いずれも名称・職責は﹁小田原秘鑑﹂による。年次は天文20年頃とされる。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『小田原旧記』(烏山給田史談会、1960年)