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各務原市立鵜沼第一小学校︵かかみがはらしりつ うぬまだいいちしょうがっこう︶は、岐阜県各務原市鵜沼西町四丁目にある公立小学校。
●各務原市鵜沼地区の小学校の一つである。
●通学区域︵自治会名による︶は、羽場町1丁目、羽場町2丁目︵鵜沼羽場町2丁目1番地~145番地を除く︶、羽場町3丁目、羽場町4丁目、羽場町5丁目、羽場町6丁目、羽場町7・8丁目、西町西、西町中、西町東︵大安寺町1丁目・2丁目を除く︶、西町南、東町第1、東町第3、山崎第1︵1班・2班︶、南町3丁目、南町4丁目、南町5丁目、南町6丁目北、南町6丁目南、南町7丁目、南町1丁目、南町2丁目、古市場第1、古市場川東、インプレス、古市場第3、小伊木、丸子町西、丸子町東、コンフォートであり[1]、公立中学校の場合の進学先は各務原市立鵜沼中学校である[2]。
●1873年︵明治6年︶ - 各務郡鵜沼村︵現在の鵜沼西町︶に新々義校が開設される。民家を仮校舎とする。
●1875年︵明治8年︶ - 人数増のため、現在の鵜沼古市場町に南校を設置。
●1880年︵明治13年︶ - 新々義校は鵜沼学校に改称する。
●1886年︵明治19年︶ - 鵜沼学校が鵜沼北尋常小学校、南校が鵜沼南尋常小学校に改称する。
●1894年︵明治27年︶ - 鵜沼北尋常小学校と鵜沼南尋常小学校を統合し、鵜沼尋常小学校となる。統合校舎が完成する。
●1896年︵明治29年︶ - 高等科を設置し、鵜沼尋常高等小学校に改称する。
●1908年︵明治41年︶ - 鵜沼尋常高等小学校と三ツ池尋常小学校が合併。三ツ池尋常小学校は三ツ池分教場となる。
●1925年︵大正14年︶ - 三ツ池分教場が移転し、各務原分校に改称する。
●1941年︵昭和16年︶ - 鵜沼村立鵜沼国民学校に改称する。
●1943年︵昭和18年︶ - 鵜沼村が町制施行し、鵜沼町となる。それにともない、鵜沼町立鵜沼国民学校に改称する。
●1947年︵昭和22年︶ - 鵜沼町立鵜沼小学校に改称する。
●1949年︵昭和24年︶ - 各務原分校が鵜沼小学校より分離独立し、鵜沼町立鵜沼第二小学校となる。
●1963年︵昭和38年︶ - 稲葉郡那加町、蘇原町、鵜沼町、稲羽町が合併し、各務原市になる。それに伴い、各務原市立鵜沼第一小学校に改称する
●1972年︵昭和47年︶ - 第1期改築工事で普通教室15教室完成︵東校舎東端︶。
●1973年︵昭和48年︶ - 第2期改築工事で普通教室14教室完成︵東校舎︶。
●1974年︵昭和49年︶ - 第3期改築工事で管理棟︵職員室、特別教室、宿直室等︶完成︵西校舎︶。
●1974年︵昭和49年︶ - 各務原市立鵜沼第三小学校を分離する。 創立100周年記念︵式典、航空写真︶。資料館完成。
著名な卒業生[編集]
●佐野直史 - ブラジルの元プロサッカー選手、株式会社ファッズ代表取締役社長
(一)^ 小学校就学区域︵各務原市︶
(二)^ 中学校就学区域︵各務原市︶
外部リンク[編集]
●各務原市立鵜沼第一小学校