吉野川橋 (徳島市)
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吉野川橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 徳島市(吉野本町)-徳島市(応神町)間 |
交差物件 | 吉野川 |
建設 | 1925-1928年 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋 |
全長 | 1,071m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
吉野川橋︵よしのがわばし︶は、徳島県の一級河川吉野川にかかる17径間曲弦下路式ワーレントラス橋。日本百名橋、とくしま市民遺産に選定[1]。
概要[編集]
日本百名橋、とくしま市民遺産、土木学会選奨土木遺産[2]に選定されている。旧名は古川橋であり、現在の橋が竣工する直前に現在の名称に改称された。後から、片側1車線の対面通行の橋で両側に歩道橋がつけられている[3]。 橋は徳島県道39号徳島鳴門線が通り、北岸の徳島市応神町古川と南岸の徳島市吉野本町を結んでいる。南岸の河川敷は徳島市民吉野川運動広場として整備されている。 約1.4 km下流には上下6車線の吉野川大橋が架かっているが、その橋が開通する以前は吉野川橋が徳島・鳴門間のメインルートであった。12年に1度塗装の塗り替えが行われる。年表[編集]
●1886年︵明治19年︶沖島村︵現・徳島市川内町︶の豊川仲太郎が、古川橋を木製の賃取橋として設置。 ●1921年︵大正10年︶徳島県が古川橋の架け替えを計画。 ●1924年︵大正13年︶徳島県が豊川仲太郎より古川橋を買収し、県営の賃取橋とする。 ●1925年︵大正14年︶11月に着工[3]。 ●1928年︵昭和3年︶12月18日に竣工[3]。開通式典には、徳島県知事をはじめ4万人が参加。 ●1965年︵昭和40年︶- 橋の両側に歩道橋設置。 ●2012年︵平成24年︶﹁吉野川橋北詰アンダーパス﹂冠水対策のため路面をかさ上げし、高さ制限を4mから3.8mへ[4]。 ●2019年︵令和元年︶6月20日の徳島新聞朝刊にアンダーパス設置は違法であるという内容が掲載されたが,河川法に基づく占用許可を得ており違法ではない、と川口道路整備課長が申し入れを行った[5]。 ●2021年︵令和3年︶規制値を超えた車両による高さ制限ゲートへの接触事故に対するドライバーへの注意喚起を目的として﹁高さ超過車両検出システム﹂を運用開始[6]。橋の概要[編集]
●橋長 - 1,071 m[7] ●幅員 - 6.1 m ●着工 - 1925年︵大正14年︶[8] ●竣工 - 1928年︵昭和3年︶[8] ●開通 - 1928年︵昭和3年︶12月18日 ●総工費 - 113万円 ●設計者 - 増田淳 ●交通量 ●自動車 - 22,000/日 ●自転車・歩行者 - 2,000/日隣の橋梁[編集]
吉野川︵徳島市︶ ︵第十堰<<︶名田橋 - 四国三郎橋 - 吉野川橋梁 (高徳線) - 吉野川橋 - 吉野川大橋 - 阿波しらさぎ大橋 - 徳島南部自動車道吉野川サンライズ大橋︵>>紀伊水道︶脚注[編集]
(一)^ とくしま市民遺産 - 徳島市、2016年7月18日閲覧。
(二)^ “土木学会 平成30年度度選奨土木遺産 吉野川橋”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
(三)^ abc徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第155号 2016年12月18日5面 親子の時間 きょうは何の日?
(四)^ 徳島県議会 2012.
(五)^ 徳島県議会 2019.
(六)^ 徳島県ホームページ 2021.
(七)^ 吉野川橋︵古川橋︶1928-12-18 - 土木学会付属土木図書館、2016年7月18日閲覧。
(八)^ ab内務省土木試験所 編﹃本邦道路橋輯覧﹄41頁。 - 道路改良會、1928年3月20日発行。
参考文献[編集]
●データ、図面﹃本邦道路橋輯覧﹄︵国立国会図書館近代デジタルライブラリー︶関連項目[編集]
●橋の一覧 (長さ順)外部リンク[編集]
●歴史的鋼橋‥T9-003 吉野川橋 ︵旧.古川橋︶ - 土木学会付属土木図書館 ●吉野川橋︵よしのがわばし︶ - 徳島県︵橋の博物館とくしま︶ ●徳島県議会 (2012年). “一般県道土成徳島線﹁吉野川橋北詰アンダーパス﹂の冠水対策の工事着手について”. 2022年2月13日閲覧。 ●徳島県議会 (2019年). “令和元年6月定例会 県土整備委員会︵付託︶”. 2022年2月13日閲覧。 ●徳島県ホームページ (2021年). “﹁高さ超過車両検出システム﹂の運用開始について”. 2022年2月13日閲覧。 ●四国社会資本アーカイブス︵一般社団法人 四国クリエイト協会︶アーカイブスあらかるとVol.14.2022年12月3日閲覧。
座標: 北緯34度5分46.3秒 東経134度33分17.5秒 / 北緯34.096194度 東経134.554861度