四国銀行硬式野球部
チーム名(通称) | 四国銀行、四銀 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1929年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 四国銀行総合グランド |
チームカラー | ネイビーブルー |
監督 | 中川毅 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 21回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 8強 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | なし |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 23回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
四国銀行硬式野球部︵しこくぎんこうこうしきやきゅうぶ︶は、高知県高知市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。
運営母体は、地方銀行である四国銀行。JR四国とともに、社会人野球の四国地区連盟をリードする存在である。
概要[編集]
1929年、四国銀行の硬式野球部﹃四国銀行硬式野球部﹄として創部。 1952年、都市対抗野球に初出場を果たした。 1979年に日本選手権に初出場し、1988年の日本選手権ではベスト4入りを果たしている。 1983年1月、行員の予備株券偽造が発覚し、野球部とは直接関係はないが1年間活動自粛となった[1]。 2007年、これまで都市対抗野球では1勝もできずにいたが、同年の都市対抗野球1回戦の対岩手21赤べこ野球軍団戦において、1952年の初出場以来55年目、12回目の出場にしての本大会初勝利を挙げた。 2020年の第91回都市対抗野球大会では初のベスト8進出を果たし[2]、小野賞を受賞した。沿革[編集]
●1929年 - 創部。 ●1952年 - 都市対抗野球に初出場︵初戦敗退︶。 ●1979年 - 日本選手権に初出場︵2回戦敗退︶。 ●1983年 - 行員の不祥事により1年間活動休止。 ●1986年 - 第13回日本選手権で大会初勝利。 ●1988年 - 第15回日本選手権で準決勝進出。 ●2007年 - 第78回都市対抗野球で大会初勝利主要大会の出場歴・最高成績[編集]
●都市対抗野球大会 - 出場21回 ●社会人野球日本選手権大会 - 出場23回、4強1回︵1988年︶ ●JABA四国大会 - 優勝2回︵1979、1996年︶主な出身プロ野球選手[編集]
●弘田澄男︵内野手︶ - 1971年ドラフト3位でロッテオリオンズに入団脚注[編集]
- ^ “四国銀行野球部が休部”. 毎日新聞: p. 19. (1983年1月14日)
- ^ “四国銀行が初の8強 昼間銀行員が効率と闘志で快挙”. 日刊スポーツ. (2020年11月29日) 2020年12月1日閲覧。