坂詰真二
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個人情報 | |
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フルネーム | 坂詰真二(さかづめ しんじ)Shinji Sakazume |
国籍 | 日本 |
生誕 | 1966年10月15日(57歳) 新潟県上越市 |
居住地 | 神奈川県横浜市 |
職業 | スポーツトレーナー(フィジカルトレーナー、パーソナルトレーナー) |
身長 | 175 cm (5 ft 9 in) |
体重 | 70 kg (154 lb) |
ウェブサイト | [1] |
スポーツ | |
競技 | 空手 シュートボクシング 体操 柔道 |
来歴・人物[編集]
1966年、新潟県上越市に生まれる。上越市立南本町小学校、上越市立城西中学校、新潟県立高田高等学校普通科を経て、1985年に横浜市立大学文理学部入学。在学中は学部を越えて運動生理学研究室の野坂和則に師事。4年次に1年間休学し、前半は倉田アクションクラブ︵現倉田プロモーション︶在籍、後半はオーストラリア留学。
1990年、株式会社ピープル︵現在のコナミスポーツクラブ︶に入社。店舗における現場指導、運営と並行して士反康裕の下、フィットネスディレクター、教育担当を歴任。
1993年、株式会社スポーツプログラムスに入社。比佐仁の下、チーム及びアスリート個人のコンディショニング︵強化、調整︶とリコンディショニング指導を担当。
1996年、スポーツ&サイエンスを起こし独立。1.執筆を含むメディアを通じての運動指導 2.トレーナー育成︵スポーツ系専門学校講師等︶ 3.講演及びセミナー講師 4.アドバイザリー、コンサルティング 5.パーソナル指導 の5つを柱に活動。現在に至る。
保有資格[編集]
- NSCA(全米ストレングス&コンディショニング協会)-CSCS(認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト)
- 同協会CPT(認定パーソナルトレーナー)
エピソード[編集]
●小中学生の頃にブルース・リー、ジャッキー・チェンの影響を受けてアクション俳優を目指す。小中高でそれぞれ柔道、体操、空手を学び、高校卒業後は大学への進学を口実に、実はアクション俳優養成所に入る目的で上京︵ただし現役で横浜市立大学に入学している︶。後に大学に通いながら倉田保明主宰の倉田アクションクラブに入るも、その道の難しさを実感し、二番目に興味があったスポーツトレーナーの世界に入る。株式会社ピープル入社後、同社の当時教育課課長であった士反康裕の影響を受け、プロのトレーナーとして生きていくことを決意する。
●アクション俳優修業の一環として大学では空手道部に2年生まで所属︵退部後はシュートボクシングを始める︶。横浜市立大学空手道部には日本空手協会の師範・矢原美紀夫師範︵現空手之道世界連盟主席師範︶が指導者として派遣されており、twitter内で﹁様々な格闘家やトップアスリートを見てきたが、矢原先生ほど強い格闘家も速く動けるアスリートもいなかった﹂と語っている。
●1986年秋、横浜市立大学学園祭﹁浜大祭﹂における第一回﹁ミスター横浜市立大学﹂コンテストで優勝。
●1988年開催の﹁ナイスガイコンテスト﹂東京大会出場。︵東京大会1位の吉田栄作と2位の幕末塾が全国大会に出場し、それぞれ芸能界デビューを果たしている。︶
●格闘技関係では、強者代表の国分利人、バンゲリングベイ代表の新田明臣、元プロシューターの都鳥香らと交流がある。BOXING-WORKS﹁水龍會﹂代表の瀧本章久はかつての愛弟子。
●週に2回のトレーニングを行い、体力と体型を維持している。雑誌や書籍では本人がエクササイズモデルを務めることもある。
●メディアでは雑誌﹃ターザン﹄に最も古くから登場しているトレーナーの一人であり、現在に至るまで最も多くの記事を監修している。
●喫煙、飲酒の習慣なし。ギャンブルもしない。禁酒をしたのは26歳の頃、パーソナルトレーナーを務めた大洋ホエールズ︵現横浜ベイスターズ︶のN選手の飲酒量を減らすため﹁私はお酒を辞めますから、Nさんは半分に減らしましょう﹂と提案したのがきっかけ。それ以降も禁酒は続いており、宴席ではもっぱらノンアルコールビールを飲んでいる。
●多くのスナップ写真では﹁親指、人差指、中指﹂を立てているが、それぞれ信条とする﹁愛・勇気・努力﹂を意味している。