坊田かずま
坊田 かずま︵坊田 寿眞、ぼうた かずま、1902年︵明治35年︶10月10日 - 1942年︵昭和17年︶2月3日︶は、日本の作曲家である。日本の教育の器楽合奏の先駆者でもある。
来歴[編集]
1902年︵明治35年︶広島県安芸郡本庄村川角︵現在の安芸郡熊野町川角︶に生まれる。 1920年︵大正9年︶18歳で尋常小学校の教員となり、翌1921年︵大正10年︶雑誌﹃赤い鳥﹄への童謡募集に応募、入選をきっかけに音楽の道に進む。作曲だけではなく、日本各地に伝わり、当時楽譜がなかったわらべ歌の採譜・編曲も行った。 1929年︵昭和4年︶東京の尋常小学校に赴任、日本では当時行われていなかった子供の器楽合奏を手がける。その指導風景は、この頃の海外版﹁アサヒグラフ﹂に於いて紹介されている。またこの年は﹁日本郷土童謡名曲集﹂をはじめ精力的に著書も出版した。 1942年︵昭和17年︶著書﹁日本の旋律と和声﹂を出版した後、結核により39歳で死去。わらべうたの採譜[編集]
- うさぎうさぎ
- かごめかごめ
- 天神さまの細道
- ひらいたひらいた
- てんてん手毬
- 茶壺に追はれて
作曲[編集]
著書[編集]
- 日本郷土童謡名曲集(東京岡田日栄堂)
- 坊田壽真作曲集(詩と歌謡の社)
- やさしい初等合唱と輪唱曲(東京新音楽出版社)
- 日本の旋律と和声(音楽之友社)