塩屋方圀
塩屋 方圀︵しおや かたくに、1850年︵嘉永2年12月︶ - 1914年︵大正3年︶11月11日︶は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
石川県出身。金沢藩士・堀尾治郎兵衛の息子として生まれる。西南戦争では砲兵第6大隊を指揮し熊本鎮台に籠城した。 1887年︵明治20年︶11月、砲兵大佐に昇進し、同月、広島鎮台参謀長に就任。1888年︵明治21年︶5月、広島鎮台が第5師団に改編され、引き続き参謀長を務める。1892年︵明治25年︶2月、陸軍大学校長に転じた。 1894年︵明治27年︶8月、陸軍少将に進み、同月、第1軍兵站監に就任し日清戦争に出征。1895年︵明治28年︶7月、要塞砲兵監に就任。1896年︵明治29年︶10月、威海衛占領軍司令官兼歩兵第2旅団長に転じた。 1898年︵明治31年︶3月、対馬警備隊司令官に就任。1899年︵明治32年︶3月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に着任。1902年︵明治35年︶5月、予備役に編入された。栄典[編集]
- 位階
- 勲章等
親族[編集]
脚註[編集]
参考文献[編集]
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。