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人物・来歴[編集]
●大学卒業後、浅井企画に所属し、バラエティー番組の前説を経て、役者としても1994年の月9ドラマ﹃上を向いて歩こう!﹄︵フジテレビ︶に出演するようになる。
●1990年、エンターテイメント集団﹃ヤンキースタジアム﹄を旗揚げ。
●1997年、浅井企画を退社。
●1998年、”office Going to Nuts”を設立。
●2000年、劇団の名前を﹃YANKEE STADIUM 20XX﹄に改名。
●2008年7月19日付﹃山陽新聞﹄に写真付きで紹介記事が掲載される。
●2008年12月19日﹁夢麻呂トークライブVol.1しゃべりまくるぜ90分〜夢麻呂父ちゃんの子育て日記〜﹂を行う。
●2009年1月4日19:00〜21:54﹃平成教育委員会2009モ〜勉強スペシャル﹄内の特別授業にて﹁科学戦隊・実験ジャー﹂として出演。
●2009年4月1日〜4月14日 園田英樹脚本・演出カラフル企画第1回公演﹁いいだせなくて﹂に松本梨香らとともに出演。
●2009年9月16日﹁夢麻呂トークライブ第2弾﹁しゃべりまくるぜ90分﹂〜夢麻呂生い立ち話〜﹂を行う。
●2010年4月18日﹁夢麻呂トークライブ第3弾﹁しゃべりまくるぜ90分﹂〜北の国から 2002遺言を語り尽くす〜﹂を行う。
●2010年11月﹁夢麻呂トークライブ第4弾﹁しゃべりまくるぜ90分﹂〜3年B組金八先生を語り尽くす〜﹂を行う。
●2010年2月﹁第1回神保町演劇フェスティバル﹂において喫茶ゴッドキープタウン〜3人の作者が描くおかしな3つの物語〜を公演し、主演男優賞を受賞。
●2011年4月17日 チャリティー公演﹁夢麻呂トークライブ第5弾﹁しゃべりまくるぜ90分﹂〜ストリート・オブ・ファイヤーを語り尽くす〜﹂を行う。
●YANKEE STADIUM 20XXの劇団座長。
●ドラマ、バラエティー、ラジオ、映画、CM、イベント、MC等全てのジャンルをこなす未完の大器︵本人談︶。
●舞台での1人コント、アドリブは客を沸かし共演者を泣かす劇団一の爆笑男。公演時間を延ばし、1人ほくそ笑むのが彼の趣味である。
●プライベートでは酒、草野球、妻、娘、甥っ子、姪っ子を愛する良きおじさんである。
●﹃志村けんのだいじょうぶだぁ﹄で4代目ルーレットマンとしてレギュラー出演していた。
●﹃志村けんのバカ殿様﹄では本名名義で家来役としてレギュラー出演していた。
●ウド鈴木の名付け親。
●2008年に行った﹁夢麻呂トークライブVol.1しゃべりまくるぜ90分〜夢麻呂父ちゃんの子育て日記〜﹂では、ステージで90分どころか2時間以上も一人で喋り続けた。
●2002年2月22日にYANKEE STADIUM 20XXに出演していたダンサーの渋谷洋子と入籍。
●2008年4月9日午後10時7分に愛娘が誕生する。
●2009年トークライブ第2弾では自分のガキ大将、いたずら小僧っぷりの生い立ち話を話した。
●2010年トークライブ第3弾では昔から好きで見ている北の国からシリーズの﹁北の国から2002〜遺言〜﹂について心置きなく喋り続け、持ちネタでもある黒板五郎の物真似も披露した。
●2010年11月トークライブ第4弾では3年B組金八先生の初期のテレビシリーズを語り、出演者の役名︵生徒含む︶全てを交えて話すなど相当な記憶力をアピールしていた。
●2011年4月トークライブ第5弾ではストリート・オブ・ファイヤーのそれぞれの役を演じながら語った。
●トークライブ第5弾では全5回の中で唯一90分で終わったのだが︵他は全て2時間越え︶、観客から他の映画は何が好きかと問われ﹁小さな恋のメロディ﹂を紹介し、結局2時間となった。
●トークライブ第5弾は東日本大震災の発生を受けチャリティー公演として、入場料金全額を日本赤十字社に寄付した。理由は本人曰く、よくある﹁募金の一部を寄付します﹂というのが﹁一部以外の募金﹂が使途不明に感じ抵抗があり嫌だったからとのことである。
●ANZEN漫才の二人とデビュー前から知り合いで、ウド鈴木を紹介し浅井企画に入るきっかけを作っている。
関連項目[編集]
●岡山県出身の人物一覧
外部リンク[編集]
●夢麻呂 (@yume1964) - X︵旧Twitter︶