大槻弌
大槻 弌︵おおつき はじめ、1867年1月︵慶応2年12月︶[1] - 1942年2月15日︶は、日本の薬学者。正六位勲六等[2]。薬学博士[3]。大阪薬学専門学校長[1][2][3]。長女・芳は法医学者古畑種基の妻。
人物[編集]
大阪府人・大槻季夫の長男[1][3]。1894年7月、帝国大学医科大学薬学科卒業、薬学士の称号を得た[4]。更に大学院に学んだ[2]。1915年、博士会の推薦により薬学博士の学位を授けられた[3]。 1921年、家督を相続した[1][3]。趣味は旅行[5]。宗教は神道[5]。大阪府在籍で[1][5]、住所は堺宿院町[3]。家族・親族[編集]
- 大槻家
- 父・季夫[3]
- 妻・千枝(1873年6月30日 -1950年5月30日、大阪、大艸久壽の姉)[3]
- 男・孝一(1897年5月7日 -1945年4月15日、大日本製薬会社技手)[3]
- 同妻・静子(1902年10月25日 -1989年6月8日、滋賀、福永康夫の妹)[3]
- 長女・芳(1900年 -1990年4月10日、東京帝国大学医学部教授・古畑種基の妻)[5]
- 二女・文(1902年 - ?、長崎医科大学附属薬学専門部教授・末次又二の妻)[5][6]
- 三女・光(1908年 - ?、大阪府人・信田勝千代の弟・勝頼の妻)[5]
- 孫[5]
- 親戚
脚注[編集]
(一)^ abcde﹃人事興信録 第9版﹄オ123頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2019年5月9日閲覧。
(二)^ abcd﹃薬業年鑑 昭和10年﹄220頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2018年5月4日閲覧。
(三)^ abcdefghij﹃人事興信録 第8版﹄オ117頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年11月4日閲覧。
(四)^ ﹃東京帝国大学一覧 明治27-28年﹄418頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年11月4日閲覧。
(五)^ abcdefg﹃人事興信録 第11版 上﹄オ167頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年11月4日閲覧。
(六)^ ab﹃人事興信録 第14版 上﹄ス12頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年11月6日閲覧。
参考文献[編集]
- 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 大日本博士録編輯部編『学位大系博士氏名録 昭和10年版』発展社出版部、1931-1935年。
- 薬石日報社編纂『薬業年鑑 昭和10年』薬石日報社、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。