大蔵大臣アワー
表示
大蔵大臣アワー ふところ放談 | |
---|---|
ジャンル | 教養番組、情報番組(政治)、トーク番組 |
出演者 | |
製作 | |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1965年2月18日 - 1965年5月20日 |
放送時間 | 木曜23:00 - 23:30(初回のみ) 23:15 - 23:45(第2回以降) |
放送分 | 30分 |
回数 | 14 |
﹃大蔵大臣アワー ふところ放談﹄︵おおくらだいじんアワー ふところほうだん︶は、1965年2月18日 - 5月20日の間、毎週木曜23時台に日本テレビ系列で放送された情報・教養番組。提供は、宇部興産、八幡製鉄、富士製鉄[1]。
概要[編集]
﹁政治と台所を結びつける﹂ことを狙いに制作された番組で、当時の大蔵大臣・田中角栄︵自民党所属︶をメインに、経済関係の諸問題について、レギュラー陣の経済評論家やゲストを交えて談じるトーク番組[2]。政府広報番組ではなく、民間企業がスポンサー提供する一般番組の扱いであった。同系列局が存在しない新潟県︵田中の地元︶[3]では、TBS系列の新潟放送で毎週木曜6時と金曜午後の2回にわたりスポンサーを付けずに放送された。 民間企業が提供する番組に国務大臣が出演し、実質的に自民党のPRや自身のPRを行っていたことが国会でも問題になり、半年の放送予定が3ヶ月︵14回︶で打ち切りとなった。出演者[編集]
レギュラー[編集]
●田中角栄 - 大蔵大臣 ●小汀利得 - 経済評論家 ●小林七郎 - 経済評論家 ●影山裕子 - 日本電信電話公社調査役[2]ゲスト[編集]
●第1回︵2月18日︶‥福島慶子[2][4] ●第2回︵2月25日︶‥沢村貞子、中村メイコ ●第3回︵3月4日︶‥福島慶子 ●第4回︵3月11日︶‥細川隆元 ●第6回︵3月25日︶‥福島慶子 ●第7回︵4月1日︶‥福島慶子 ●第11回︵4月29日︶‥沢村貞子 ●第13回︵5月13日︶‥大宅壮一 ●第14回︵5月20日︶‥藤原弘達その他[編集]
●田中の地元である新潟県の新潟放送では、再放送を含め、スポンサーなしで週2回放送した[1]。 ●番組終了後の6月3日に、田中は3年近く在任した大蔵大臣を退任し、自由民主党幹事長となった。 ●後継番組﹃20世紀の顔﹄が7月15日に開始するまでの間は、7週にわたって、折からの第7回参議院議員通常選挙︵7月3日投票︶に関連した特別番組がこの時間帯を埋めたが、田中は自由民主党幹事長として、その一部に出演している。脚注[編集]
(一)^ ab“放送お騒が史1960~1969―局や局員の事件事故・規制・放送中止・不祥事・テレビ珍事件を読む放送年表”. 坂本衛. 2015年12月29日閲覧。 “日本テレビが初の大臣レギュラー番組﹁大蔵大臣アワー・ふところ放談﹂を週1で放送開始。田中角栄の、田中角栄による、田中角栄のための番組で、提供は宇部興産、八幡製鉄、富士製鉄。半年分のスポンサーが決まっていたが、あまりにも露骨なPR番組だったため、13回で打ち切りに。なお、田中角栄の地元局である新潟放送は、同番組を週2回スポンサーなしで放映して、ヨイショに努めた。”‥記述の中で﹁13回で﹂とあるのは、﹁14回﹂の誤り。
(二)^ abc“小汀氏らが聞く ﹁ふところ放談﹂ 大蔵大臣アワー”. 朝日新聞・朝刊: p. 9. (1965年2月18日). "... 直接、間接に家庭のお台所に影響する問題をとりあげて、蔵相の話を聞く。聴き手は経済評論家小汀利得、小林七郎、電電公社調査役影山裕子の三氏、ゲストは福島慶子さん。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
(三)^ 新潟の日本テレビ系列局は、1968年開局の新潟総合テレビ︵開局当時はJNN以外の3系列オープンクロスネット︶まで存在しなかった︵1981年4月にテレビ新潟が日本テレビ系単独系列局として開局し、現在に至る︶。
(四)^ 福島慶子は、評論家、随筆家で、福島繁太郎夫人。初回以降、第3回、第6回、第7回にも出演していたことがテレビ欄の記載からわかる。