大野正隆
大野 正隆︵おおの まさたか、1930年3月31日 - ︶は、福岡県福岡市[1]出身の元プロ野球審判員︵パシフィック・リーグ︶[2]。
経歴[編集]
1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ︵現・中日ドラゴンズ︶内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ︵現・埼玉西武ライオンズ︶の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる[3]。その後、福岡第一師範学校︵現・福岡教育大学︶本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる[1]。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任[1]。1990年まで現役を務め、リーグ初のキャリア30年超の審判員となる。その間、2862試合に出場し、オールスターゲームに5回︵1968年、1970年、1975年、1979年、1983年︶、日本シリーズに3回︵1974年、1975年、1984年︶出場している。1984年の阪急ブレーブス対広島東洋カープの日本シリーズ第4戦︵阪急西宮球場︶では球審を務めた[2]。 1975年、パリーグにおいて、その年に最も優秀だった審判員を表彰する﹁優秀審判員賞﹂を受賞[1]。脚注[編集]
- ^ a b c d 『週刊ベースボール』 第30巻第57号通算961号 112-113頁、ベースボール・マガジン社、1975年
- ^ a b プロ野球在籍審判員名簿「大野正隆」 日本野球機構
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員65-74頁