パシフィック・リーグ
パシフィック・リーグ | |
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競技 | 野球 |
開始年 | 1950年 |
参加チーム | 6 |
国 | ![]() |
前回優勝 | オリックス・バファローズ(3年連続15回目) |
最多優勝 | 埼玉西武ライオンズ(23回) |
パシフィック・リーグ(英: Pacific League)は、日本のプロ野球リーグのひとつ。
正式名称は日本プロ野球組織 パシフィック・リーグ運営部。呼称はパ・リーグ、またはパ。
概要[編集]
沿革[編集]
誕生[編集]
1950年代 黎明期[編集]
この時代は鶴岡一人監督率いる南海ホークスと三原脩監督率いる西鉄ライオンズの黄金時代で、両者の対決は﹁黄金カード﹂とまで呼ばれ、1959年︵昭和34年︶にはセ・リーグとの観客動員数が拮抗したこともあった。その一方、奇数球団による試合日程の不具合を避ける為、1954年︵昭和29年︶のシーズン開幕前には高橋ユニオンズ︵翌1955年のみトンボユニオンズ︶が加盟して8球団となった。同球団は1954年から1956年の3シーズンのみ参加し、1957年︵昭和32年︶2月に大映スターズと合併︵大映ユニオンズ︶し7球団となる。さらに、1957年シーズン終了後にはその大映ユニオンズと毎日オリオンズが合併︵毎日大映オリオンズ︶し6球団となり、以後は現在に至るまで6球団体制となっている。1956年~1958年 西鉄ライオンズの三原マジック[編集]
1リーグ時代の巨人を優勝に導いた三原脩を1951年シーズンから招聘した西鉄ライオンズは、大騒動を経て東急フライヤーズのスター大下弘を引き抜くとともに︵大下騒動を参照︶、豊田泰光・中西太・仰木彬らとともに野武士軍団と呼ばれる打線を形成。同リーグの鶴岡南海との優勝争いは54年~56年まで両軍ともに90勝に達するなど、ハイレベルな争いとなった。また、巌流島の決闘と言われたライバル・水原茂監督率いる巨人に対して1956~1958まで日本シリーズ三連覇、特に1958年はエース・稲尾和久の超人的な連投もあり、3連敗からの4連勝で制した。三原の采配は、2番打者に強打者を置く、またショートスターターなど後世の戦術を先取りしたものも多く、三原マジックとも呼ばれ、セ・パ両リーグの采配論に大きな影響を与えた。1959年 南海ホークス、悲願の日本一[編集]
前述の通り、1950年代は南海と西鉄の2強時代だった。南海ホークスは鶴岡一人監督の下、データ野球という斬新な考えを取り入れた野球で優勝争いの常連チームとなり、1950年代において南海は5度のリーグ優勝︵1951年・1952年・1953年・1955年・1959年︶を成し遂げる。しかしながら、日本シリーズでは読売ジャイアンツに1955年まで4度とも敗退していた。 1959年シーズンはシーズン終盤に大毎オリオンズに首位を明け渡した時期はあったが、杉浦忠や野村克也といった若いバッテリーの活躍もあり、4年ぶりのリーグ優勝を果たす。1959年の日本シリーズでは、当時のセ・リーグ新記録となる5連覇を達成した読売ジャイアンツとの対戦となった。これまで南海は日本シリーズにおいて巨人に苦杯を舐めてきたが、杉浦の連戦での力投、さらにリーグ1位のチーム防御率という投手陣の層の厚さで、巨人打線を抑え、日本シリーズでは初となるストレート4連勝で球団初の日本一を成し遂げ、鶴岡監督の悲願である打倒巨人がようやく実現した。優勝後、日本で初めてのビールかけが南海ナインの手によって行われた。そして当時の南海の本拠地だった大阪市民は球団初の日本一に熱狂し、シリーズ終了翌々日の10月31日に秋晴れの下でおこなわれた大阪市内の優勝パレードには沿道に20万人が集まり、﹁御堂筋パレード﹂と呼ばれた。1960年代 衰退期[編集]
1960年代のテレビの普及はテレビ局を関連会社に持つ巨人を中心にセ・リーグの人気を高めたが、パ・リーグには逆風となった。1960年︵昭和35年︶11月、毎日新聞社が大毎オリオンズの経営から事実上撤退しており、1965年︵昭和40年︶には完全撤退に至った。 このような中、大毎オリオンズのオーナーになった永田雅一は私財を投げ打って東京・南千住に1962年︵昭和37年︶に﹁東京スタジアム﹂を完成させた。1969年︵昭和44年︶にロッテオリオンズに改称して翌年となる1970年︵昭和45年︶には東京スタジアムでのリーグ優勝を決めた。 それでもパ・リーグの活性化には遠く、特に巨人がV9︵1965~1973年の9年連続日本一︶をスタートさせてからは影が薄くなる一方であった[注 2]。 1961年5月には初の国外試合として、米軍施政下にあった沖縄・奥武山球場で西鉄-東映戦が行われた。また1964年には南海・村上雅則が野球留学生としてサンフランシスコ・ジャイアンツに入団し、日本人として初めてMLB昇格を果たした。1965年11月には初のドラフト会議が行われた。1962年 東映フライヤーズ 初のリーグ優勝・日本一[編集]
1964年 南海VS阪神の﹁関西シリーズ﹂[編集]
東京オリンピックに沸いた1964年︵昭和39年︶は南海ホークスが3年ぶり9度目のリーグ優勝を果たした。この年の日本シリーズは南海と阪神タイガースの﹁関西シリーズ﹂という顔合わせとなった。1962年~1972年 オリオンズの本拠地「東京スタジアム」[編集]
1970年代 暗黒時代・阪急黄金時代[編集]
1973年 プロ野球再編問題[編集]
1973年~1977年 ジプシー・ロッテ[編集]
1980年代 西武黄金時代[編集]
1988年 10.19[編集]
外国人の活躍[編集]
1990年代 西武黄金時代から、イチロー&ドーム時代へ[編集]
2000年代 改革の時代[編集]
2004年 プロ野球再編問題、ポストシーズン改革[編集]
パ・リーグ各球団の地域密着の主な取り組み[編集]
福岡ダイエーホークス︵現‥福岡ソフトバンクホークス︶の成功と東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生のほか、パ・リーグの各球団は、上述のプロ野球再編問題を教訓に様々な地域密着方針を打ち出している。 千葉ロッテマリーンズは、既に川崎から千葉に移転したのちも依然として観客動員数が伸び悩んでいたため、行政とも協力して千葉マリンスタジアムの﹁ボールパーク化構想﹂を打ち出した。また、サッカー・Jリーグのサポーターに影響された熱烈な応援︵マリーンズサポーター︶や独特な球団スタイルを創りあげることによって、ファンを増やすことにつなげた。その甲斐もあり、2005年にはリーグ優勝と31年ぶりに日本一に輝き、5年後の2010年にも再び日本一を達成した。 日本ハムファイターズは、2001年に札幌ドームが開業した事が転機となり、2004年にこれまでプロ野球球団の無かった北海道へ移転、球団名を北海道日本ハムファイターズに改称した。移転当初の北海道では長年巨人ファンが主体であり、新規ファンの開拓は困難とされていたが、地元マスメディアや自治体のバックアップ、移転後のファン獲得への努力により、既存層だけでなく野球に関心のなかった層の獲得に成功した[注 16]。2006年には本拠地移転を契機に僅か3年で、1981年以来のリーグ優勝と1962年︵東映フライヤーズ時代︶以来の日本一を達成、翌2007年にはリーグV2を果たし、北海道移転後は5度のリーグ優勝︵2006年・2007年・2009年・2012年・2016年︶、2度の日本一︵2006年・2016年︶を果たしている。 東北楽天ゴールデンイーグルスも、2005年からの設立当初は2年連続最下位と苦しんだものの、2006年シーズンより野村克也が監督に就任して以降、田中将大の入団、2009年の2位及び同年CSでの健闘が注目され、ファンを開拓した。そして2011年に星野仙一監督が就任。3年目となる2013年には、球団初のパ・リーグ優勝・球団初の日本一を成し遂げた。こうして、北海道・東北においてフランチャイズ球団が地域及び球団自体に変化をもたらし、地域密着スタイルが再びクローズアップされることになった。 西武ライオンズも、経営陣が刷新された後の2008年からは、球団名に﹁埼玉﹂を掲げ、現在の埼玉西武ライオンズに改称し、西武沿線にこだわらず沿線人口の多いJR京浜東北・埼京線側の大宮公園球場でも主催試合を行うなど、地域密着の姿勢を打ち出した。2010年代 ソフトバンク黄金時代[編集]
2010年代は全体で見れば秋山幸二・工藤公康両監督に率いられた福岡ソフトバンクホークスが優勝5回、日本一6回と他球団を圧倒し、シーズン・ポストシーズン通じてソフトバンクの覇権を強く印象付けた時代であった[注 17]。他方、栗山英樹監督率いる北海道日本ハムファイターズのリーグ優勝2回・日本一1回、星野仙一監督率いる東北楽天ゴールデンイーグルスの2013年における球団初のリーグ優勝︵田中将大が24勝0敗1SでMVP︶と日本一達成、終盤には辻発彦監督率いる埼玉西武ライオンズのV2もあった[注 18]。また、MLBへ多くの日本人選手を輩出した時代でもあり、パリーグからはダルビッシュ有・岩隈久志・田中将大・菊池雄星・そして二刀流で社会現象となった大谷翔平らが海を渡った。 2010年、リーグ戦の年間協賛社としてマニュライフ生命保険株式会社と提携を結ぶことを発表した。これまではクライマックスシリーズでの協賛社はあったが、年間を通しての協賛企業との締結はリーグ史上初。同社の協賛は2011年、2012年シーズンも継続した。 2011年は東日本大震災の発生により電力が逼迫、開幕を両リーグとも3月25日から4月12日に順延した。 2013年はスポーツゲームを専門に携帯電話サイトを運営するモブキャストとオフィシャル協賛スポンサーを結び、リーグ戦とクライマックスシリーズを通して協賛することになった。また、﹁パ・リーグTV﹂は2013年からモブキャスト、2018年からはパーソルが協賛し冠スポンサーとなった。 2016年シーズンよりコリジョンルールがセパ両リーグに適用開始され、本塁クロスプレー時のケガ防止を目指す取り組みを継続している。 2010年代、セ・パ交流戦では、勝数はすべての年でセントラル・リーグを上回り[注 19]︵パの671勝548敗41分︶、2010年代をつうじ、優勝チーム[注 20]を7回輩出した。日本シリーズでも2012年を除きパの球団が9度日本一となり[注 21]、特にソフトバンクは、セ・リーグ全球団を相手[注 22]に日本一となった。 また日本シリーズでは、2013年から2020年までパ・リーグ代表チームが8連覇となった。︵内、ソフトバンクが日本一6回を占めている。︶ 観客動員は順調に増加。特に2019年は天皇即位に伴いGW10連休となった事も奏功して、当年の1試合平均の観客動員は初めて27,000人を突破[8]、対2009年比では+21%増を達成した。また、三大都市圏の西武・ロッテ・オリックスよりも、地方に本拠地を置く日本ハム・ソフトバンクの観客のほうが多くなった時代でもあった。2020年代[編集]
2020年から2021年にかけ、新型コロナウィルスの発生に伴い、各球場とも観客動員を大きく減らした運営を強いられた。特に2020年は6月19日まで開幕がずれ込んだ結果、120試合のみの開催で1953年以来67年ぶりの規模縮小、入場者数︵206万人、昨対比▲82%︶は草創期である1951年以来の少なさとなった[8]。また、クライマックスシリーズが2020年は1stステージ︵2位-3位戦︶が中止となったほか、外国人選手の入国制限により、契約そのものが出来ない・契約できても来日や帰国が自由にできず[10]、本人や家族のメンタルの問題で出場試合数を大きく減らす結果ともなった。厳しい状況を経たが、2022年4月にはロッテの佐々木朗希による13者連続奪三振と完全試合、また2023年春のWBCにおいてもパリーグ選手やMLB選手が、セの選手とともに大いに活躍して14年ぶりの世界一を達成し、日本国民に明るい話題を届けた。 新機軸としては、2022年12月より﹁現役ドラフト﹂が開始された。また2024年シーズンからは下部2軍リーグに静岡︵ウェスタン︶、新潟︵イースタン︶の両球団が参加した。[11]2021年~2023年 復活のオリックス[編集]
オリックスが、投手三冠の山本由伸らの活躍により投手力を高めて暗黒期から脱出、2021年には︵一時ロッテに51年ぶりのマジック点灯を許しながらも︶25年ぶりのリーグ優勝を達成、2022年にはソフトバンクと同率1位での︵直接対決での勝敗規定により︶連覇、日本一を成し遂げた。2023年には2位に15.5差をつけた独走にてリーグV3を達成した。[注 23]現存する加盟球団[編集]
一覧[編集]
球団名 | 保護地域 | 創設年度 | 本拠地球場 | チームカラー | |
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北海道日本ハムファイターズ (Hokkaido Nippon-Ham Fighters) |
北海道 | 1946年 | エスコンフィールドHOKKAIDO (北広島市、北緯42度59分23秒 東経141度32分58秒 / 北緯42.98972度 東経141.54944度) |
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東北楽天ゴールデンイーグルス (Tohoku Rakuten Golden Eagles) |
宮城県 | 2005年 | 宮城球場(楽天モバイルパーク宮城) (仙台市宮城野区、北緯38度15分22.09秒 東経140度54分9.24秒 / 北緯38.2561361度 東経140.9025667度) |
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埼玉西武ライオンズ (Saitama Seibu Lions) |
埼玉県 | 1950年 | 西武ドーム(ベルーナドーム) (所沢市、北緯35度46分7.02秒 東経139度25分13.67秒 / 北緯35.7686167度 東経139.4204639度) |
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千葉ロッテマリーンズ (Chiba Lotte Marines) |
千葉県 | 1950年 | 千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム) (千葉市美浜区、北緯35度38分42.42秒 東経140度1分51.05秒 / 北緯35.6451167度 東経140.0308472度) |
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オリックス・バファローズ (ORIX Buffaloes) |
大阪府 | 1936年 | 大阪ドーム(京セラドーム大阪) (大阪市西区、北緯34度40分9.85秒 東経135度28分34.37秒 / 北緯34.6694028度 東経135.4762139度) |
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福岡ソフトバンクホークス (Fukuoka SoftBank Hawks) |
福岡県 | 1938年 | 福岡ドーム(みずほPayPayドーム福岡) (福岡市中央区、北緯33度35分43.38秒 東経130度21分43.83秒 / 北緯33.5953833度 東経130.3621750度) |
※球団表記順は野球協約の保護地域表記順
各球団の略年譜[編集]
球団名 | 遍歴 |
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オリックス・ バファローズ |
1936年1月23日に阪神急行電鉄を親会社として阪急軍を結成。宝塚球場を本拠地とする
1937年、阪急西宮球場に本拠地を移転
1947年、球団名を阪急ベアーズに改称。同年シーズン中、球団名を阪急ブレーブスに改称
1988年、阪急電鉄がオリエント・リースに球団を譲渡
1989年、球団名をオリックス・ブレーブスに改称
1991年、球団名をオリックス・ブルーウェーブに改称。神戸総合運動公園野球場に本拠地を移転
2004年、シーズン終了後に大阪近鉄バファローズと合併
2005年、球団名をオリックス・バファローズに改称。暫定的に大阪ドームを本拠地に加え、ダブルフランチャイズ制をとる
2007年、大阪ドームに本拠地を一本化
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福岡ソフトバンク ホークス |
1938年3月29日に南海鉄道を親会社とした南海軍が日本野球連盟に加盟。堺大浜球場を本拠地とする
1939年、中百舌鳥球場を本拠地とする
1944年、陸上交通事業調整法による近畿日本鉄道の成立に伴い、シーズン中に球団名を近畿日本軍に改称
1946年、球団名をグレートリングに改称
1947年、近畿日本鉄道による南海電気鉄道への事業譲渡に伴い、シーズン中に球団名を南海ホークスに改称
1948年、阪神甲子園球場に本拠地を移転
1950年、大阪スタヂアムに本拠地を移転
1988年、南海電気鉄道の球団株式売却によりダイエーが経営権を持つ
1989年、球団名を福岡ダイエーホークスに改称。平和台野球場に本拠地を移転
1993年、福岡ドームに本拠地を移転
2005年、ダイエーの球団株式売却によりソフトバンクが経営権を持つ。球団名を福岡ソフトバンクホークスに改称
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北海道日本ハム ファイターズ |
1945年11月6日にセネタースが日本野球連盟に加盟
1946年、東京急行電鉄が経営権を持つ
1947年、球団名を東急フライヤーズに改称
1948年、大映野球が経営参加を表明。球団名を急映フライヤーズに改称。後楽園球場を本拠地とする
1949年、大映野球の経営撤退に伴い、球団名を再び東急フライヤーズに改称
1953年、シーズン中に駒澤野球場に本拠地を移転
1954年、東映に球団経営を委託。球団名を東映フライヤーズに改称
1962年、明治神宮野球場に本拠地を移転
1964年、後楽園球場に本拠地を再移転
1973年、東映の球団株式売却により日拓ホームが経営権を持つ。球団名を日拓ホームフライヤーズに改称
同年、シーズン終了後に日拓ホームが球団株式売却。日本ハムが経営権を持つ
1974年、球団名を日本ハムファイターズに改称
1988年、東京ドームに本拠地を移転
2004年、球団名を北海道日本ハムファイターズに改称。札幌ドームに本拠地を移転
2023年、エスコンフィールドHOKKAIDOに本拠地を移転
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千葉ロッテ マリーンズ |
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埼玉西武 ライオンズ |
1949年11月26日に西日本鉄道を親会社とした西鉄クリッパースがパシフィック・リーグに加盟。平和台野球場を本拠地とする
1951年、シーズン開幕前に西日本パイレーツと合併。球団名を西鉄ライオンズに改称
1972年、福岡野球が球団を買収。太平洋クラブとの提携を表明
1973年、球団名を太平洋クラブライオンズに改称
1976年、クラウンガスライターとの提携を表明
1977年、球団名をクラウンライターライオンズに改称
1978年、国土計画が球団を買収
1979年、球団名を西武ライオンズに改称。西武ライオンズ球場に本拠地を移転
1999年、西武ライオンズ球場のドーム化工事が完了。西武ドームとなる
2008年、球団名を埼玉西武ライオンズに改称
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東北楽天 ゴールデンイーグルス |
2004年11月2日に楽天を親会社とした東北楽天ゴールデンイーグルスがパシフィック・リーグに加盟。宮城球場を本拠地とする |
- 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
- 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
過去に存在した加盟球団[編集]
- パシフィック・リーグの消滅球団と成績
球団名 | 創設年度 | 優勝回数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
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大阪近鉄バファローズ (Osaka Kintetsu Buffaloes) (1950年 - 2004年) |
1949年 | 4 | 7119 | 3261 | 3720 | 271 | .467 |
大映ユニオンズ (Daiei Unions) (1950年 - 1957年) |
1946年 | 0 | 1029 | 415 | 586 | 28 | .415 |
高橋ユニオンズ (Takahashi Unions) (1954年 - 1956年) |
1954年 | 0 | 435 | 147 | 280 | 8 | .344 |
- 成績はリーグが結成された1950年以降のもの
- 球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 | 遍歴 |
---|---|
大映ユニオンズ | |
大阪近鉄バファローズ | |
高橋ユニオンズ |
- 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
- 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
試合方式[編集]
総当り回数[編集]
同一勝率発生時の順位決定方法[編集]
現行プレーオフが採用された2004年以後は以下の通りに順位を定める[12]。 (一)レギュラーシーズン全試合を通しての勝率︵2022年‥143試合︶ (二)同勝率の当該球団間の対戦時の勝率 (三)パ・リーグ参加球団︵2022年‥6チーム・125試合︶の対戦成績における勝率 (四)前年度の順位の高い順番指名打者制度[編集]
1975年のシーズンから、指名打者制度︵DH制︶が採用されている。時間・回数制限[編集]
年 | 内容 |
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1950年 - 1951年 |
シングルの場合は時間・回数制限なし(デーゲームの場合日没まで) |
1952年 |
変則ダブルヘッダー第1試合は9回まで。それ以外は時間・回数無制限 |
1953年 |
シングルでのデーゲームの場合は時間・回数制限なし。(日没まで。以後1970年まで同じ) |
1954年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで(回数制限は1958年まで同じ) |
1955年 - 1958年 |
ナイトゲームは22:15を過ぎて次のイニングに入らない |
1959年 - 1960年 |
ダブルヘッダー第1試合は9回まで(延長戦なし) |
1961年 - 1964年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで(回数制限は1965年も同じ) |
1965年 |
ナイトゲームは22:15を過ぎて次のイニングに入らない(時間制限は1967年まで同じ) |
1966年 - 1967年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで |
1968年 - 1970年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで |
1971年 - 1973年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで |
1974年 - 1987年 |
ダブルヘッダー第1試合は9回まで |
1988年 - 1989年 |
ダブルヘッダー第1試合は9回。それ以外は原則として延長12回まで。ただし、以下の規定がある |
1990年 - 1993年 |
延長12回まで。ただし、以下の規定がある |
1994年 - 2010年 |
延長12回まで、時間制限なし |
2011年 - 2012年 |
延長12回まで。ただし、東日本大震災に伴う節電対策として以下の規定がある
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2013年 - 2019年 |
延長12回まで、時間制限なし |
2020年 |
延長10回まで、時間制限なし[注 26]。 |
2021年 |
延長なし、時間制限なし[注 26]。 |
2022年 |
延長12回まで、時間制限なし |
備考[編集]
プレーオフ制度導入の背景[編集]
プレーオフ制度 (日本プロ野球)も参照の事。 1952年 プロ野球の場合は、サッカーなど他の球技のような2部リーグが存在しないので、優勝争いが絞られる後半戦は、優勝争いに関係のない消化試合は観客動員数が大幅に減ってしまい、試合の質も落としてしまうことが課題となった。そこで1952年シーズンに、7チームで18回総当り・108試合の予選リーグを行った後で上位4チームが4回総当り・12試合の決勝リーグを行って優勝を決める方式を取り入れた。 しかし、上位4チームの成績は予選・決勝を合わせた120試合の通算成績で争うものだったために予選落ちの下位3チームとの比較が出来ず、また予選落ちの球団から予選リーグ終了後は試合がないことで﹁置き去りにされた感じがした﹂などの批判が出たため、1年で取りやめとなってしまった。 1973年 - 1982年 1973年には2シーズン︵前後期︶制を採用。年間130試合︵当時︶のペナントレースを4-6月の前期ステージと7-9月の後期ステージ、それぞれ65試合ずつに分けることにして、前期・後期各ステージ優勝チームによる5戦3勝制の決勝戦︵プレーオフ︶で優勝を決める方式を取り入れた。それぞれのステージごとの優勝争い、そしてプレーオフと1年で3つのクライマックス︵山場︶を設けて観客動員の確保に努めようという考えである。 導入当初は概ね好評で観客動員が比較的よく入ったが、日程面での課題もあった︵前期が終了しないうちに後期が始まってしまったため、後期終了後に前期の未消化試合をこなすことがしばしば見られた︶。 1973年度のペナントレースは、雨天中止になった場合の予備日程を確保するという名目で、前期終了から後期の開幕まで約2週間ものインターバルを取ったことがあった。しかし日程が余りにも空きすぎるとして翌1974年からインターバルをなくした連続開催形式での日程に変更している。また従来の半分の試合数で優勝が決まってしまうため、結果として消化試合が増加する︵更に極端な話、前期優勝したチームは後期全ての試合を消化試合に出来てしまう︶という問題もあった。 1980年代に入ると極端に観客動員が減少してしまったため2シーズン制を行う意義が薄れたとして1982年度の大会を最後にそれを打ち切った。 なお、前後期制については1962年のオフにも﹁営業的にプラスが見込める﹂としてリーグ理事会で導入を検討したことがあったが、日程作成の困難を理由に見送りとなった。 1983年 - 1985年 1983年から2シーズン制に代えて変則1シーズン制を導入することとなった。これはいわば2シーズン制と通常の1シーズン制︵同勝率の場合にのみプレーオフを行う︶の中間に位置する折衷案として企画されたもので、130試合終了時に1位と2位のゲーム差が5ゲーム以内である場合、5戦3勝制を原則としたプレーオフを行うというものだった。但し勝率の計算はプレーオフを含めた成績ではじき出すため、1位のチームが1勝した後、2位のチームが残り4試合に全勝しても勝率が1位のチームに届かない場合はその時点で1位チームの優勝となるといった複雑なルールがあった。 しかし、実際には優勝した各チーム︵83年、85年は西武、84年は阪急︶が2位以下に大差を付けて圧倒的な優勝を決めたことからプレーオフの実施には至らず、この制度は1度も実施されぬまま廃止となり、﹁幻のプレーオフ﹂といわれた。 2004年 - 2006年 その後セ・リーグ同様に通常の1シーズン制に戻して開催することとなったが、シーズンによっては独走で1位チームが優勝することもあり、前述のように試合の質を落とす懸念から2004年シーズンに上位3チームによるトーナメント方式のプレーオフ制度が導入された。このときは、第1ステージ勝ち上がりチームが日本シリーズに出場した場合、そのチームがリーグ優勝チームという扱いであった。 しかしこの制度に関しても、1位通過チームに対する第2ステージのアドバンテージ︵2005年度までは1位チームと第1ステージ勝ち上がりチームのレギュラーシーズンのゲーム差が5ゲーム以上付いていた場合、1位チームに1勝分のアドバンテージが与えられる︶の扱いや、2005年に﹁勝ってしまうと3位チームがプレーオフに出場できない﹂という事態が発生した︵詳細はプレーオフ制度内の脚注参照︶ことなどから、2006年度は以下のようにルールを改正した。 (一)1位通過チームはゲーム差に関係なく、第2ステージのアドバンテージ1勝分を与える。 (二)1位通過チームが複数同率で発生した場合でも第1ステージを行う。その場合、同率1位チームの当該チーム間のその年度の対戦成績の勝ち越しチーム︵同数は前年度の順位を参考︶を1位と見なし、2位扱いのチームと3位チームとで第1ステージを行うこととする。 (三)また、第2ステージの第3・4戦は、第1ステージ勝ち上がりチームのホームスタジアムを使用して行うことにする。 2007年 - 現在 クライマックスシリーズを参照。但しレギュラーシーズンの優勝とは関係が無いため、上記のプレーオフとは性質が異なる。結果[編集]
- 年度背景桃色は日本シリーズ優勝。*は左のチームと同率順位
- 1973年 - 1982年の二期制時代と2004年 - 2006年のパシフィック・リーグ プレーオフ実施時代は、プレーオフ勝利チームが優勝チームとなったため、レギュラーシーズン勝率1位のチームが優勝ではない年がある。
- 1973年 - 1982年の二期制時代の★印は前期優勝チーム、☆印は後期優勝チーム。
- 2006年までは優勝チームが日本シリーズに出場。クライマックスシリーズ導入後の2007年以降の日本シリーズ出場チームは太字で示す。
年度 | 優勝 | 勝 | 敗 | 分 | 2位 | 勝 | 敗 | 分 | 3位 | 勝 | 敗 | 分 | 4位 | 勝 | 敗 | 分 | 5位 | 勝 | 敗 | 分 | 6位 | 勝 | 敗 | 分 | 7位 | 勝 | 敗 | 分 | 8位 | 勝 | 敗 | 分 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 毎日 | 81 | 34 | 5 | 南海 | 66 | 49 | 5 | 大映 | 62 | 54 | 4 | 阪急 | 54 | 64 | 2 | 西鉄 | 51 | 67 | 2 | 東急 | 51 | 69 | 近鉄 | 44 | 72 | 4 | |||||
1951 | 南海 | 72 | 24 | 8 | 西鉄 | 53 | 42 | 10 | 毎日 | 54 | 51 | 5 | 大映 | 41 | 52 | 8 | 阪急 | 37 | 51 | 8 | 東急 | 38 | 56 | 8 | 近鉄 | 37 | 56 | 5 | ||||
1952 | 南海 | 76 | 44 | 1 | 毎日 | 75 | 45 | 西鉄 | 67 | 52 | 1 | 大映 | 55 | 65 | 1 | 阪急 | 49 | 58 | 1 | 東急 | 49 | 59 | 近鉄 | 30 | 78 | |||||||
1953 | 南海 | 71 | 48 | 1 | 阪急 | 67 | 52 | 1 | 大映 | 63 | 53 | 4 | 西鉄 | 57 | 61 | 2 | 毎日 | 56 | 62 | 2 | 東急 | 50 | 67 | 3 | 近鉄 | 48 | 69 | 3 | ||||
1954 | 西鉄 | 90 | 47 | 3 | 南海 | 91 | 49 | 毎日 | 79 | 57 | 4 | 近鉄 | 74 | 63 | 3 | 阪急 | 66 | 70 | 4 | 高橋 | 53 | 84 | 3 | 東映 | 52 | 86 | 2 | 大映 | 43 | 92 | 5 | |
1955 | 南海 | 99 | 41 | 3 | 西鉄 | 90 | 50 | 4 | 毎日 | 85 | 55 | 2 | 阪急 | 80 | 60 | 2 | 近鉄 | 60 | 80 | 2 | 大映 | 53 | 87 | 1 | 東映 | 51 | 89 | 3 | トンボ | 42 | 98 | 1 |
1956 | 西鉄 | 96 | 51 | 7 | 南海 | 96 | 52 | 6 | 阪急 | 88 | 64 | 2 | 毎日 | 84 | 66 | 4 | 近鉄 | 68 | 82 | 4 | 東映 | 58 | 92 | 4 | 大映 | 57 | 94 | 3 | 高橋 | 52 | 98 | 4 |
1957 | 西鉄 | 83 | 44 | 5 | 南海 | 78 | 53 | 1 | 毎日 | 75 | 52 | 5 | 阪急 | 71 | 55 | 6 | 東映 | 56 | 73 | 3 | 近鉄 | 44 | 82 | 6 | 大映 | 41 | 89 | 2 | ||||
1958 | 西鉄 | 78 | 47 | 5 | 南海 | 77 | 48 | 5 | 阪急 | 73 | 51 | 6 | 大毎 | 62 | 63 | 5 | 東映 | 57 | 70 | 3 | 近鉄 | 29 | 97 | 4 | ||||||||
1959 | 南海 | 88 | 42 | 4 | 大毎 | 82 | 48 | 6 | 東映 | 67 | 63 | 5 | 西鉄 | 66 | 64 | 14 | 阪急 | 48 | 82 | 4 | 近鉄 | 39 | 91 | 3 | ||||||||
1960 | 大毎 | 82 | 48 | 3 | 南海 | 78 | 52 | 6 | 西鉄 | 70 | 60 | 6 | 阪急 | 65 | 65 | 6 | 東映 | 52 | 78 | 2 | 近鉄 | 43 | 87 | 1 | ||||||||
1961 | 南海 | 85 | 49 | 6 | 東映 | 83 | 52 | 5 | 西鉄 | 81 | 56 | 3 | 大毎 | 72 | 66 | 2 | 阪急 | 53 | 84 | 3 | 近鉄 | 36 | 103 | 1 | ||||||||
1962 | 東映 | 78 | 52 | 3 | 南海 | 73 | 57 | 3 | 西鉄 | 62 | 68 | 6 | 大毎 | 60 | 70 | 2 | 阪急* | 60 | 70 | 1 | 近鉄 | 57 | 73 | 1 | ||||||||
1963 | 西鉄 | 86 | 60 | 4 | 南海 | 85 | 61 | 4 | 東映 | 76 | 71 | 3 | 近鉄 | 74 | 73 | 3 | 大毎 | 64 | 85 | 1 | 阪急 | 57 | 92 | 1 | ||||||||
1964 | 南海 | 84 | 63 | 3 | 阪急 | 79 | 65 | 6 | 東映 | 78 | 68 | 4 | 東京 | 77 | 68 | 5 | 西鉄 | 63 | 81 | 6 | 近鉄 | 55 | 91 | 4 | ||||||||
1965 | 南海 | 88 | 49 | 3 | 東映 | 76 | 61 | 3 | 西鉄 | 72 | 64 | 4 | 阪急 | 67 | 71 | 2 | 東京 | 62 | 74 | 4 | 近鉄 | 46 | 92 | 2 | ||||||||
1966 | 南海 | 79 | 51 | 3 | 西鉄 | 75 | 55 | 8 | 東映 | 70 | 60 | 6 | 東京 | 61 | 69 | 4 | 阪急 | 57 | 73 | 4 | 近鉄 | 48 | 82 | 3 | ||||||||
1967 | 阪急 | 75 | 55 | 4 | 西鉄 | 66 | 64 | 10 | 東映 | 65 | 65 | 4 | 南海 | 64 | 66 | 3 | 東京 | 61 | 69 | 7 | 近鉄 | 59 | 71 | 2 | ||||||||
1968 | 阪急 | 80 | 50 | 4 | 南海 | 79 | 51 | 6 | 東京 | 67 | 63 | 9 | 近鉄 | 57 | 73 | 5 | 西鉄 | 56 | 74 | 3 | 東映 | 51 | 79 | 5 | ||||||||
1969 | 阪急 | 76 | 50 | 4 | 近鉄 | 73 | 51 | 6 | ロッテ | 69 | 54 | 7 | 東映 | 57 | 70 | 3 | 西鉄 | 51 | 75 | 4 | 南海 | 50 | 76 | 4 | ||||||||
1970 | ロッテ | 80 | 47 | 3 | 南海 | 69 | 57 | 4 | 近鉄 | 65 | 59 | 6 | 阪急 | 64 | 64 | 2 | 東映 | 54 | 70 | 6 | 西鉄 | 43 | 78 | 9 | ||||||||
1971 | 阪急 | 80 | 39 | 11 | ロッテ | 80 | 46 | 4 | 近鉄 | 65 | 60 | 5 | 南海 | 61 | 65 | 4 | 東映 | 44 | 74 | 12 | 西鉄 | 38 | 84 | 8 | ||||||||
1972 | 阪急 | 80 | 48 | 2 | 近鉄 | 64 | 60 | 6 | 南海 | 65 | 61 | 4 | 東映 | 63 | 61 | 6 | ロッテ | 59 | 68 | 3 | 西鉄 | 47 | 80 | 3 | ||||||||
二期制開始 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1973 | ★南海 | 68 | 58 | 4 | ☆阪急 | 77 | 48 | 5 | ロッテ | 70 | 49 | 11 | 太平洋 | 59 | 64 | 7 | 日拓 | 55 | 69 | 6 | 近鉄 | 42 | 83 | 5 | ||||||||
1974 | ☆ロッテ | 69 | 50 | 11 | ★阪急 | 69 | 51 | 10 | 南海 | 59 | 55 | 16 | 太平洋 | 59 | 64 | 7 | 近鉄 | 56 | 66 | 8 | 日本ハム | 49 | 75 | 6 | ||||||||
1975 | ★阪急 | 64 | 59 | 7 | ☆近鉄 | 71 | 50 | 9 | 太平洋 | 58 | 62 | 10 | ロッテ | 59 | 65 | 6 | 南海 | 57 | 65 | 8 | 日本ハム | 55 | 63 | 12 | ||||||||
1976 | ★☆阪急 | 79 | 45 | 6 | 南海 | 71 | 56 | 3 | ロッテ | 63 | 56 | 11 | 近鉄 | 57 | 66 | 7 | 日本ハム | 52 | 67 | 11 | 太平洋 | 44 | 76 | 10 | ||||||||
1977 | ★阪急 | 69 | 51 | 10 | 南海 | 63 | 55 | 12 | ☆ロッテ | 60 | 57 | 13 | 近鉄 | 59 | 61 | 10 | 日本ハム | 58 | 61 | 11 | クラウン | 49 | 73 | 8 | ||||||||
1978 | ★☆阪急 | 82 | 39 | 9 | 近鉄 | 71 | 46 | 13 | 日本ハム | 55 | 63 | 12 | ロッテ | 53 | 62 | 15 | クラウン | 51 | 67 | 12 | 南海 | 42 | 77 | 11 | ||||||||
1979 | ★近鉄 | 74 | 45 | 11 | ☆阪急 | 75 | 44 | 11 | 日本ハム | 63 | 60 | 7 | ロッテ | 55 | 63 | 12 | 南海 | 46 | 73 | 11 | 西武 | 45 | 73 | 12 | ||||||||
1980 | ☆近鉄 | 68 | 54 | 8 | ★ロッテ | 64 | 51 | 15 | 日本ハム | 66 | 53 | 11 | 西武 | 62 | 64 | 4 | 阪急 | 58 | 67 | 5 | 南海 | 48 | 77 | 5 | ||||||||
1981 | ☆日本ハム | 68 | 54 | 8 | 阪急 | 68 | 58 | 4 | ★ロッテ | 63 | 57 | 10 | 西武 | 61 | 61 | 8 | 南海 | 53 | 65 | 12 | 近鉄 | 54 | 72 | 4 | ||||||||
1982 | ★西武 | 68 | 58 | 4 | ☆日本ハム | 67 | 52 | 11 | 近鉄 | 63 | 57 | 10 | 阪急 | 62 | 60 | 8 | ロッテ | 54 | 69 | 7 | 南海 | 53 | 71 | 6 | ||||||||
二期制終了 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1983 | 西武 | 86 | 40 | 4 | 阪急 | 67 | 55 | 8 | 日本ハム | 64 | 59 | 7 | 近鉄 | 52 | 65 | 13 | 南海 | 52 | 69 | 9 | ロッテ | 43 | 76 | 11 | ||||||||
1984 | 阪急 | 75 | 45 | 10 | ロッテ | 64 | 51 | 15 | 西武 | 62 | 61 | 7 | 近鉄 | 58 | 61 | 11 | 南海 | 53 | 65 | 12 | 日本ハム | 44 | 73 | 13 | ||||||||
1985 | 西武 | 79 | 45 | 6 | ロッテ | 64 | 60 | 6 | 近鉄 | 63 | 60 | 7 | 阪急 | 64 | 61 | 5 | 日本ハム | 53 | 65 | 12 | 南海 | 44 | 76 | 10 | ||||||||
1986 | 西武 | 68 | 49 | 13 | 近鉄 | 66 | 52 | 12 | 阪急 | 63 | 57 | 10 | ロッテ | 57 | 64 | 9 | 日本ハム | 57 | 65 | 8 | 南海 | 49 | 73 | 8 | ||||||||
1987 | 西武 | 71 | 45 | 14 | 阪急 | 64 | 56 | 10 | 日本ハム | 63 | 60 | 7 | 南海 | 57 | 63 | 10 | ロッテ | 51 | 65 | 14 | 近鉄 | 52 | 69 | 9 | ||||||||
1988 | 西武 | 73 | 51 | 6 | 近鉄 | 74 | 52 | 4 | 日本ハム | 62 | 65 | 3 | 阪急 | 60 | 68 | 2 | 南海 | 58 | 71 | 1 | ロッテ | 54 | 74 | 2 | ||||||||
1989 | 近鉄 | 71 | 54 | 5 | オリックス | 72 | 55 | 3 | 西武 | 69 | 53 | 8 | ダイエー | 59 | 64 | 7 | 日本ハム | 54 | 73 | 3 | ロッテ | 48 | 74 | 8 | ||||||||
1990 | 西武 | 81 | 45 | 4 | オリックス | 69 | 57 | 4 | 近鉄 | 67 | 60 | 3 | 日本ハム | 66 | 63 | 1 | ロッテ | 57 | 71 | 2 | ダイエー | 41 | 85 | 4 | ||||||||
1991 | 西武 | 81 | 43 | 6 | 近鉄 | 77 | 48 | 5 | オリックス | 64 | 63 | 3 | 日本ハム | 53 | 72 | 5 | ダイエー | 53 | 73 | 4 | ロッテ | 48 | 77 | 5 | ||||||||
1992 | 西武 | 80 | 47 | 3 | 近鉄 | 74 | 50 | 6 | オリックス | 61 | 64 | 5 | ダイエー | 57 | 72 | 1 | 日本ハム | 54 | 73 | 3 | ロッテ | 54 | 74 | 2 | ||||||||
1993 | 西武 | 74 | 53 | 3 | 日本ハム | 71 | 52 | 7 | オリックス | 70 | 56 | 4 | 近鉄 | 66 | 59 | 5 | ロッテ | 51 | 77 | 2 | ダイエー | 45 | 80 | 5 | ||||||||
1994 | 西武 | 76 | 52 | 2 | オリックス | 68 | 59 | 3 | 近鉄 | 68 | 59 | 3 | ダイエー | 69 | 60 | 1 | ロッテ | 55 | 73 | 2 | 日本ハム | 46 | 79 | 5 | ||||||||
1995 | オリックス | 82 | 47 | 1 | ロッテ | 69 | 58 | 3 | 西武 | 67 | 57 | 6 | 日本ハム | 59 | 68 | 4 | ダイエー | 54 | 72 | 4 | 近鉄 | 49 | 78 | 3 | ||||||||
1996 | オリックス | 74 | 50 | 6 | 日本ハム | 68 | 58 | 4 | 西武 | 62 | 64 | 4 | 近鉄 | 62 | 67 | 1 | ロッテ | 60 | 67 | 3 | ダイエー | 54 | 74 | 2 | ||||||||
1997 | 西武 | 76 | 56 | 3 | オリックス | 71 | 61 | 3 | 近鉄 | 68 | 63 | 4 | 日本ハム | 63 | 71 | 1 | ダイエー* | 63 | 71 | 1 | ロッテ | 57 | 76 | 2 | ||||||||
1998 | 西武 | 70 | 61 | 4 | 日本ハム | 67 | 65 | 3 | オリックス | 67 | 67 | 1 | ダイエー* | 66 | 66 | 3 | 近鉄 | 66 | 67 | 2 | ロッテ | 61 | 71 | 3 | ||||||||
1999 | ダイエー | 78 | 54 | 3 | 西武 | 75 | 59 | 1 | オリックス | 68 | 65 | 2 | ロッテ | 63 | 70 | 2 | 日本ハム | 60 | 73 | 2 | 近鉄 | 54 | 77 | 4 | ||||||||
2000 | ダイエー | 73 | 60 | 2 | 西武 | 69 | 61 | 5 | 日本ハム | 69 | 65 | 1 | オリックス | 64 | 67 | 4 | ロッテ | 62 | 67 | 6 | 近鉄 | 58 | 75 | 2 | ||||||||
2001 | 近鉄 | 78 | 60 | 2 | ダイエー | 76 | 63 | 1 | 西武 | 73 | 67 | オリックス | 70 | 66 | 4 | ロッテ | 64 | 74 | 2 | 日本ハム | 53 | 84 | 3 | |||||||||
2002 | 西武 | 90 | 49 | 1 | 近鉄 | 73 | 65 | 2 | ダイエー* | 73 | 65 | 2 | ロッテ | 67 | 72 | 1 | 日本ハム | 61 | 76 | 3 | オリックス | 50 | 87 | 3 | ||||||||
2003 | ダイエー | 82 | 55 | 3 | 西武 | 77 | 61 | 2 | 近鉄 | 74 | 64 | 2 | ロッテ | 68 | 69 | 3 | 日本ハム | 62 | 74 | 4 | オリックス | 48 | 88 | 4 | ||||||||
パシフィック・リーグ プレーオフ開始 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2004 | 西武 | 74 | 58 | 1 | ダイエー | 77 | 52 | 4 | 日本ハム | 66 | 65 | 2 | ロッテ | 65 | 65 | 3 | 近鉄 | 61 | 70 | 2 | オリックス | 49 | 82 | 2 | ||||||||
2005 | ロッテ | 84 | 49 | 3 | ソフトB | 89 | 45 | 2 | 西武 | 67 | 69 | オリックス | 62 | 70 | 4 | 日本ハム | 62 | 71 | 3 | 楽天 | 38 | 97 | 1 | |||||||||
2006 | 日本ハム | 82 | 54 | 西武 | 80 | 54 | 2 | ソフトB | 75 | 56 | 5 | ロッテ | 65 | 70 | 1 | オリックス | 52 | 81 | 3 | 楽天 | 47 | 85 | 4 | |||||||||
クライマックスシリーズ開始 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2007 | 日本ハム | 79 | 60 | 5 | ロッテ | 76 | 61 | 7 | ソフトB | 73 | 66 | 5 | 楽天 | 67 | 75 | 2 | 西武 | 66 | 76 | 2 | オリックス | 62 | 77 | 5 | ||||||||
2008 | 西武 | 76 | 64 | 4 | オリックス | 75 | 68 | 1 | 日本ハム | 73 | 69 | 2 | ロッテ | 73 | 70 | 1 | 楽天 | 65 | 76 | 3 | ソフトB | 64 | 77 | 3 | ||||||||
2009 | 日本ハム | 82 | 60 | 2 | 楽天 | 77 | 66 | 1 | ソフトB | 74 | 65 | 5 | 西武 | 70 | 70 | 4 | ロッテ | 62 | 77 | 5 | オリックス | 56 | 86 | 2 | ||||||||
2010 | ソフトB | 76 | 63 | 5 | 西武 | 78 | 65 | 1 | ロッテ | 75 | 67 | 2 | 日本ハム | 74 | 67 | 3 | オリックス | 69 | 71 | 4 | 楽天 | 62 | 79 | 3 | ||||||||
2011 | ソフトB | 88 | 46 | 10 | 日本ハム | 72 | 65 | 7 | 西武 | 68 | 67 | 9 | オリックス | 69 | 68 | 7 | 楽天 | 66 | 71 | 7 | ロッテ | 54 | 79 | 11 | ||||||||
2012 | 日本ハム | 74 | 59 | 11 | 西武 | 72 | 63 | 9 | ソフトB | 67 | 65 | 12 | 楽天 | 67 | 67 | 10 | ロッテ | 62 | 67 | 15 | オリックス | 57 | 77 | 10 | ||||||||
2013 | 楽天 | 82 | 59 | 3 | 西武 | 74 | 66 | 4 | ロッテ | 74 | 68 | 2 | ソフトB | 73 | 69 | 2 | オリックス | 66 | 73 | 5 | 日本ハム | 64 | 78 | 2 | ||||||||
2014 | ソフトB | 78 | 60 | 6 | オリックス | 80 | 62 | 2 | 日本ハム | 73 | 68 | 3 | ロッテ | 66 | 76 | 2 | 西武 | 63 | 77 | 4 | 楽天 | 64 | 80 | |||||||||
2015 | ソフトB | 90 | 49 | 4 | 日本ハム | 79 | 62 | 2 | ロッテ | 73 | 69 | 1 | 西武 | 69 | 69 | 5 | オリックス | 61 | 80 | 2 | 楽天 | 57 | 83 | 3 | ||||||||
2016 | 日本ハム | 87 | 53 | 3 | ソフトB | 83 | 54 | 6 | ロッテ | 72 | 68 | 3 | 西武 | 64 | 76 | 3 | 楽天 | 62 | 78 | 3 | オリックス | 57 | 83 | 3 | ||||||||
2017 | ソフトB | 94 | 49 | 西武 | 79 | 61 | 3 | 楽天 | 77 | 63 | 3 | オリックス | 63 | 79 | 1 | 日本ハム | 60 | 83 | ロッテ | 54 | 87 | 2 | ||||||||||
2018 | 西武 | 88 | 53 | 2 | ソフトB | 82 | 60 | 1 | 日本ハム | 74 | 66 | 3 | オリックス | 65 | 73 | 5 | ロッテ | 59 | 81 | 3 | 楽天 | 58 | 82 | 3 | ||||||||
2019 | 西武 | 80 | 62 | 1 | ソフトB | 76 | 62 | 5 | 楽天 | 71 | 68 | 4 | ロッテ | 69 | 70 | 4 | 日本ハム | 65 | 73 | 5 | オリックス | 61 | 75 | 7 | ||||||||
2020 | ソフトB | 73 | 42 | 5 | ロッテ | 60 | 57 | 3 | 西武 | 58 | 58 | 4 | 楽天 | 55 | 57 | 8 | 日本ハム | 53 | 62 | 5 | オリックス | 45 | 68 | 7 | ||||||||
2021 | オリックス | 70 | 55 | 18 | ロッテ | 67 | 57 | 19 | 楽天 | 66 | 62 | 15 | ソフトB | 60 | 62 | 21 | 日本ハム | 55 | 68 | 20 | 西武 | 55 | 70 | 18 | ||||||||
2022 | オリックス | 76 | 65 | 2 | ソフトB | 76 | 65 | 2 | 西武 | 72 | 68 | 3 | 楽天 | 69 | 71 | 3 | ロッテ | 69 | 73 | 1 | 日本ハム | 59 | 81 | 3 | ||||||||
2023 | オリックス | 86 | 53 | 4 | ロッテ | 70 | 68 | 5 | ソフトB | 71 | 69 | 3 | 楽天 | 70 | 71 | 2 | 西武 | 65 | 77 | 1 | 日本ハム | 60 | 82 | 1 |
※2022年、オリックスとソフトバンクの年間勝敗数・引分数が全て同数となって勝率が同率となったが、直接対決の成績(オリックス15勝10敗)の結果により(順位決定方法参照)オリックスが優勝となった。
チーム別記録[編集]
- 2023シーズン終了時点のデータ。データは各前身球団を含む。「Aク」はAクラス、「Bク」はBクラスを表す。
- 太字の項目は最多数を表す。球団の列のソートボタンで元の順序に戻る。
- 二期制時代の順位は二期終了後の最終結果のみ反映している。
- 大映・高橋・近鉄の各球団は消滅しているため参考記録として扱う。
球団 | 1位 | 2位 | 3位 | Aク計 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 8位 |
Bク計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日本ハム | 7 | 8 | 16 | 31 | 7 | 20 | 14 | 2 | 43 |
楽天 | 1 | 1 | 3 | 5 | 5 | 3 | 6 | 0 | 14 |
西武 | 23 | 12 | 15 | 50 | 9 | 8 | 7 | 0 | 24 |
ロッテ | 5 | 11 | 14 | 30 | 18 | 17 | 9 | 0 | 44 |
オリックス | 15 | 14 | 8 | 37 | 16 | 11 | 10 | 0 | 37 |
ソフトバンク | 19 | 20 | 8 | 47 | 9 | 8 | 10 | 0 | 27 |
大映 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 0 | 1 | 3 | 6 |
高橋 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 |
近鉄 | 4 | 9 | 8 | 21 | 9 | 5 | 16 | 4 | 34 |
「実力のパ」[編集]
営業施策[編集]
パ・リーグ各球団はセントラル・リーグのように観客収入を対巨人戦や対阪神戦に依存することが出来ないため、観客増を図るべく下記のような対策を実施している。ファンサービス[編集]
現在、福岡ソフトバンクホークスは、観客動員数でNPB全12球団でセ・リーグの読売ジャイアンツ・阪神タイガースに次ぐ3位でパ・リーグトップの観客動員数を誇る。また北海道に本拠地を移転した日本ハムや東北地方の大都市・仙台を本拠地とする楽天などの台頭もあるが、特にオリックス・バファローズなどは、それ以上にテレビ・ラジオ放映が少ないため、放映権料の収入はわずかである。そのため、パ・リーグ全6球団では更なる観客増を狙うべく積極的なファンサービスを行っている。 パ・リーグ各球団のファンクラブは、ジュニア会員にホームで内外野自由席無料、ビジターで外野席無料の特典を設けている︵例外が東北楽天ゴールデンイーグルスと福岡ソフトバンクホークスのホームゲーム時︶。これらの特典は、セ・リーグ球団では広島東洋カープがホームの内野自由席無料︵地方主催の場合は外野自由席︶を東京ヤクルトスワローズがホームの外野自由席無料を行なっているだけ︵ちなみに球団が運営に直接関わるファンクラブも日本ハムファイターズが1973年に結成したのが日本初︶。過去には、パ・リーグオールスター東西対抗が11月に開催された︵1981-2006︶。 また、スタジアム内でも、福岡PayPayドームやベルーナドームの勝利の花火、ZOZOマリンスタジアムでの特定曜日花火、京セラドーム大阪のお好み焼きタイム等、観客を野球以外で楽しませるための演出や入場者へのホームチームノベルティプレゼント、各試合ごとのイベント︵ホームチーム地元在住者は証明出来れば内外野自由席無料、サラリーマンは500円、女性は1000円等︶を行った。各球団がファンサービスにおいて、様々な営業努力を払っている。この結果、平日のナイターでも多くの観客を動員するまでに至っている。 チアリーディングチームは全ての球団に存在し、オリックスのみ2014年度以降は一貫して﹁ダンス&ボーカルグループ﹂という形態を採っている。北海道日本ハムファイターズの場合はエスコンフィールド開場となった2023年度より、メンバーの雇用形態が変更されている。2022年に札幌ドームでの﹁きつねダンス﹂が社会現象ともなる人気を博し、ソフトバンクも追随するかたちで﹁よかよかダンス﹂をお披露目している。 各球団のホームスタジアムでは7回裏にホームチームの球団歌を流すだけでなく、7回表にビジターチームの球団歌を流している。また、以前はすべてのスタジアムでビジターチームが勝利した場合でもヒーローインタビューを場内に流していたが、北海道日本ハムファイターズのホームゲームでは大多数を占める日本ハムファンの心情に配慮してかビジターチームのヒーローインタビューは原則場内に流さないようになっている[注 28]。︵2014年途中より、ビジターチームのヒーローインタビューも場内に流れるようになった。︶動画配信サービス[編集]
マンデー・パ・リーグ[編集]
2001年︵平成13年︶から2005年︵平成17年︶まで実施されたパシフィック・リーグの毎週月曜日開催の公式戦の愛称である。 長年、毎週月曜日はセントラル・リーグも含めて、連戦による疲労を抑える目的から公式戦の開催を原則として組まず、祝日や学校の長期休暇時の開催や、地方開催が関係した変則日程や、シーズン後期の予備日が割り当てられる程度しかなかった。 しかし、パ・リーグの活性化につなげていこうという趣旨で2001年︵平成13年︶から毎週月曜日にパ・リーグの公式戦を増やすことで、この企画が実施された。このためパ・リーグでは毎週木曜日を原則休養︵あるいは予備︶日程に割り当てるようにした。基本的にはホームタウンのスタジアムで開かれる試合の2-3連戦の最初の試合が対象となっており、地方球場で開かれる試合については月曜日には開催せず、火・水の2連戦となるケースが一般的だった。ただし6チーム︵3試合︶揃うことは比較的少なく、1-2試合だけというケースも多かった。また月曜日にはテレビ・ラジオで野球中継を放送する放送局が、J SPORTS・NHK BS1などの衛星放送や文化放送、ラジオ大阪、RKBラジオ、KBCラジオなど普段からパ・リーグの試合を中継している局以外ではほとんど無く[注 29]、必ずしもパ・リーグの活性化につながってはいなかった。 セ・パ交流戦が実現したことで2005年︵平成17年︶を最後に廃止された。名称の由来[編集]
1950年のベースボール・マガジン新年特大号で東急フライヤーズの猿丸理事が質問に答え、アメリカ横断鉄道のセントラルとトランス・パシフィックからそれぞれリーグ名をつけたと語った記事が載った。しかしこれは理事が取材記者の質問をはぐらかして答えたもので、実際には国際的な視野に立つことを謳いパシフィックという名称がつけられた。一方のセントラルは、日本プロ野球の中心を自負して決められた名称である[2]。低勝率罰金制度[編集]
低勝率罰金制度とは1953年にパシフィック・リーグ理事会総裁・永田雅一の考案した制度で、シーズン勝率が.350を割った球団から罰金500万円を徴収する制度である。 1954年に永田の球団である大映スターズが勝率.319で第1号となった。翌1955年にトンボユニオンズが勝率.300で第2号となった︵これがきっかけでトンボ鉛筆は球団スポンサーを降り、翌年から球団名が高橋ユニオンズに戻った。︶。 なお、この制度は1956年に廃止となった。各球団監督[編集]
チーム | 監督 | 生年月日(年齢) | 就任年 |
---|---|---|---|
オリックス・バファローズ | 中嶋聡 | 1969年3月27日(55歳) | 2021年(4年目) |
千葉ロッテマリーンズ | 吉井理人 | 1965年4月20日(59歳) | 2023年(2年目) |
福岡ソフトバンクホークス | 小久保裕紀 | 1971年10月8日(52歳) | 2024年(1年目) |
東北楽天ゴールデンイーグルス | 今江敏晃 | 1983年8月26日(40歳) | 2024年(1年目) |
埼玉西武ライオンズ | 渡辺久信 | 1965年8月2日(58歳) | 2024年(監督代行) |
北海道日本ハムファイターズ | 新庄剛志 | 1972年1月28日(52歳) | 2022年(3年目) |
歴代リーグ会長︵代表者︶[編集]
︵1950年から1958年までは各球団の持ち回り︶ ●初代‥大川博︵東映社長/東急フライヤーズ・東映フライヤーズオーナー︶ ︵専任職移行後︶ ●2代目‥中澤不二雄︵1959年 - 1965年/野球解説者︶ ●3代目‥松浦晋︵1965年 - 1968年︶ ●4代目‥岡野祐︵1968年 - 1978年/元阪急ブレーブス代表︶ ●5代目‥工藤信一良︵1978年 - 1981年/元毎日新聞社副社長︶ ●6代目‥福島慎太郎︵1983年 - 1987年/元毎日オリオンズ、共同通信社、ジャパンタイムズ社長、元調達庁長官︶ ●7代目‥堀新助︵1987年 - 1991年/元駐イタリア・駐ポーランド大使︶ ●8代目‥原野和夫︵1991年 - 2000年/元時事通信社社長︶ ●9代目‥小池唯夫︵2000年 - 2008年/元毎日新聞社社長︶︻リーグ会長職廃止により退任︼リーグ運営部長[編集]
●初代‥花井史朗光︵2009年 - ︶逸話[編集]
●1980年代当時のパ・リーグの不人気ぶりはコンピュータゲームにも反映されており、セ・リーグが6球団すべて収録される一方、パ・リーグは連合チームが多く見受けられた。 ●任天堂が1983年に発売したファミコン用ソフト﹃ベースボール﹄では、モチーフがセ・リーグ6球団のみ[注 30]。 ●エポック社が1984年に発売したスーパーカセットビジョン用ソフト﹃スーパーベースボール﹄では、パ・リーグをモデルとしたチームはF・H・Lの3チームが登場しているが、BとOは阪急ブレーブスとロッテオリオンズではなく、アトランタ・ブレーブスとボルチモア・オリオールズがモデルとなっている。 ●ナムコ︵後のバンダイナムコエンターテインメント︶が1986年に発売した﹃プロ野球ファミリースタジアム﹄では、ソフト容量の問題から、パ・リーグをモデルとしたチームのうち単独チームは西武ライオンズをモデルにした﹁ライオネルズ﹂のみ。他の5球団は、親会社が鉄道事業者の﹁レールウェイズ﹂︵近鉄バファローズ・南海ホークス・阪急ブレーブスがモデルの連合︶、親会社が食品会社の﹁フーズフーズ﹂︵日本ハムファイターズとロッテオリオンズがモデルの連合︶にまとめられた。翌1987年の﹃プロ野球ファミリースタジアム'87﹄では、阪急ブレーブスがモデルの﹁ブラボーズ﹂が独立した[注 31]。 ●カプコンが1989年に発売したアーケードゲーム﹃CAPCOMベースボール 助っ人外人大暴れ!﹄では、西武ライオンズに相当するチームは﹁ライオネッツ﹂として単独で収録されていたが、他の5チームは連合チームとされた︵日本ハム・ロッテの連合チームをモチーフとした﹁オールイースタン﹂と、近鉄・オリックス・ダイエーの連合チームをモチーフとした﹁オールウェスタン﹂︶。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 「ベースボールマガジン」2009年11月号「パ・リーグ60年 魂の物語」(ベースボールマガジン社刊)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- パシフィック・リーグ - NPB.jp 日本野球機構