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天武無闘流柔術 (てんむむとうりゅうじゅうじゅつ)は、越中︵現在の富山県︶に伝わる柔術の一派。
現在行われているものは、同流の十代目・佐々木武久の流れを汲むものである。
名称と歴史[編集]
同流は﹁無闘流﹂﹁天武暁無闘流﹂﹁天武無斗流﹂など、いくつかの名称で呼ばれる。それぞれ使い分けがなされる場合もあるが、広義には同一の流派である。︵ここでは﹁斗﹂は﹁闘﹂の略字ではなく、別の意味を持って用いられている︶
古伝の無闘流は、平家一門の流れを汲み、越中に三百十数年以前に、流祖・佐々木家束柾奈が伝承したもので、佐々木家代々に一子相伝で伝えられてきた流派である。
流祖は幼少の頃より武術を好み、夢の中に探し求めた妙術を開かんと、昼夜わかたず魂気を投じて修業に精進したが、ようとして察する所あらず、ほとほと思案に暮れ、諸国に出て実践を貴重する修行中、所作に頼むまず心を以って当たらば、身は陰陽に従い絶妙を成す也との神伝を授かり、後に天、文、理、陰、陽に至る兵法を開眼し、一領一党を守護する武術として相伝されてきた。
﹁無闘流﹂は後述のように、柔術のみならず幾種類もの武器術を含む総合武術であり、九代目・十代目の宗家が同流の拍打術・体挫術を母体に整理したものが、狭義の﹁天武無闘流柔術﹂とも言える。
十代目の佐々木武久亡き後、柔術としての天武無闘流を愛知県名古屋市において、愛知県本部首席範士の井上泰が継承し、天武無闘流柔術会の看板で開講している。その様子は同会のウェブサイトから知ることができる。
また、佐々木武久は存命中に﹁相生道﹂という名称で現代武道としても発展・分派させており、こちらは相生道本院の指導のもと、大学︵多摩美術大学の部活動)のほか、愛知県下数カ所のスポーツセンターなどで開講されている。
その術技体系は剛像系︵こわて︶という、突き・蹴りを主とした当身技。柔像系︵やわて︶という
投げ・関節・絞め・抑えを主とした技及び武器術︵棒術・抜刀術・ぶんぶんばり術等︶が主体となるが
古柔術の流派としては、打撃技が多いのが注目される点である。
特に、体技︵受け身︶の動きを活用した﹁空転蹴り﹂相手の投げを利用した﹁忍手浴びせ蹴り﹂受け身
した位置から蹴る﹁地斜蹴り﹂等は他流に見られない天武無闘流柔術最大の特徴であろう。
古伝の技法[編集]
素手の技術[編集]
●拍打術
●体挫術
※現代無闘流や相生道の原型は上記二つだが、伝書の写しからは他の名称も見て取れる。これが同じ技法か否かは未詳。
武器術[編集]
●剣術
●抜刀術
●居合術︵同流においては、抜刀術とは別物。︶
●棒術
●寄り棒術
●半棒術
●鎖鎌術
●ぶんぶんばり術/連鎖三角棒術
﹁ぶんぶんばり︵漢字表記なし︶﹂は、無闘流で最も特徴的な武器。外見は巨大なヌンチャクの如きもので、二尺の丸棒を鎖で繋いだ形をしている。
元々の形態は三節棍に類似した形状を持つ﹁連鎖三角棒﹂で、三節のうち真ん中の二尺の棒を鎖に替えたものを﹁ぶんぶんばり﹂と呼び、六尺の棒と戦う型が伝えられている。
●銑鋧術︵手裏剣術︶
﹁銑鋧﹂は辞書的には﹁せんけん﹂と読み、手裏剣の意。この漢字表記で﹁しゅりけん﹂と読ませるが、分かりやすいよう﹁手裏剣﹂の表記を用いることも多い。
基本的に棒手裏剣を用いるが、指導者によって直打法・転打法どちらを先に教えるかは異なる模様。
●十手術
●その他、失伝したとされるものには契木術︵他の名称で呼ばれる︶、夜行術︵忍術︶、短刀術、金砕棒術、礫術、早縄術、鉄扇術、鼻捩術︵正式名称不詳︶など。
外部リンク[編集]
●天武無闘流柔術会愛知県本部
●天武無闘流柔術会 - ウェイバックマシン