奥平剛士
奥平 剛士︵おくだいら つよし、1945年︿昭和20年﹀7月21日 - 1972年︿昭和47年﹀5月30日︶は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。重信など関係者の手記、支援者間の会報等ではアラブ名﹁バーシム﹂と書かれていることがある[1]。
概要[編集]
山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。 1964年、京都大学工学部に入学。在学中の奥平は京都・九条でセツルメント活動をしており[2]、日本共産党系の青年団体である日本民主青年同盟︵民青同盟︶の同盟員にもなっていた。約半年で民青を辞めた後、全共闘運動に参加。京大助手だった滝田修のパルチザンの構想に影響を受けている︵京大パルチザン︶。 1971年2月2日、赤軍派の重信房子と偽装結婚。そのあとレバノンのベイルートへ出国。現地では重信と別々のアパートに暮らした後、ゲリラのキャンプで軍事訓練を受けた[3]。 1972年5月30日に岡本公三・安田安之らとテルアビブ空港乱射事件を起こし、26人を殺害し、73人に重軽傷を負わせて、安田と共に死亡した。死因は﹁空港警備隊との銃撃戦で射殺された﹂や﹁安田と共に自爆した﹂など、諸説ある。 没後の1978年、田畑書店より遺文集﹃天よ、我に仕事を与えよ﹄が出版された︵タイトルは彼自身の言葉による︶。著書[編集]
●奥平剛士遺稿編集委員会編 編﹃天よ、我に仕事を与えよ 奥平剛士遺稿﹄田畑書店、1978年12月。 NCID BN02082806。全国書誌番号:79003549。関連項目[編集]
●新左翼 ●京都大学西部講堂 - 屋根にオリオン座の三つ星が描かれている。 ●見城徹 - 奥平信奉者の一人。自著中及び重信房子著﹃革命の季節 パレスチナの戦場から﹄︵幻冬舎︶の序文等で繰り返し述べている。 ●小手鞠るい著﹃乱れる海よ﹄ (平凡社、2022年︶は奥平をモチーフとした小説。小手鞠は奥平の高校の後輩にあたる。脚注[編集]
- ^ 水平線の向こうに――72・5・30リッダ覚え書き 桧森孝雄 La NigrecoN-ro.8 2002.2.14
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p.95
- ^ 「背後に重信 警視庁確信」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月4日朝刊、13版、3面
外部リンク[編集]
- 『奥平 剛士』 - コトバンク
- 奥平剛士の「愛と革命」リッダ![リンク切れ]