女孺
女孺︵にょじゅ、めのわらわ︶とは、後宮において内侍司︵ないしのつかさ︶に属し、掃除や照明をともすなどの雑事に従事した下級女官[1]。女嬬とも書く。
概要[編集]
内侍司の中でも階級があり、上位から、﹁尚侍︵ないしのかみ︶﹂が2名、﹁典侍︵ないしのすけ﹂が4名、﹁掌侍︵ないしのじょう︶﹂が4名、その下に﹁女孺﹂が100名と、構成員の多い係であった。 ﹃日本書紀﹄舒明天皇即位前紀が記録上の初出。大宝律令以後、後宮十二司の末端職員として設置され、内侍司に100、蔵司に10、書司に6、薬司に4、兵司に6、闈司に10、殿司に6、掃司に10の定員が設けられ、定員外の女孺は全て縫司に配属された。﹃延喜式﹄では縫司にも100の定員が充てられ、他に中宮90、縫殿寮70、内教坊50︵但し、未選︵見習い︶として︶が置かれていたことが知られている。諸氏からの氏女や地方豪族からの采女から選抜され、所属した官司で様々な雑用を務めた。禄令によれば、有位者は少初位相当、無位者はそれよりも布1端分減の季禄が支給されていた。多くは低い身分であったが、稀に才能を認められる例もあり、従四位典侍となった和気広虫も元は女孺であった。脚注[編集]
- ^ 新村出 『広辞苑』 1983年 岩波書店
参考文献[編集]
- 玉井力「女孺」(『日本史大事典 5』平凡社、1993年 ISBN 978-4-582-13105-5)
- 玉井力「女孺」(『日本歴史大事典 2』小学館、2000年 ISBN 978-4-09-523002-3)