孝勝院
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孝勝院︵こうしょういん、慶長12年4月21日︵1607年6月15日︶ - 万治2年2月5日︵1659年3月27日︶︶は、仙台藩主伊達忠宗の正室。姫路藩主池田輝政の次女で、母は徳川家康の次女・督姫[1][2]。名は振姫︵ふりひめ︶。3代将軍徳川家光や水戸藩主徳川光圀は従兄弟にあたる。
生涯[編集]
慶長12年︵1607年︶、姫路城で生まれる。 慶長16年︵1611年︶4月に祖父・家康と側室の英勝院の養女となった[3]。夭折した叔母の市姫が伊達忠宗の許嫁となっており、その代わりであった。家康が死去したため元和3年︵1617年︶10月、改めて叔父である2代将軍徳川秀忠の養女となり、12月13日に忠宗に輿入れした。忠宗との間に長女鍋姫、長男虎千代丸、次男光宗の2男1女をもうけた。 万治2年︵1659年︶、53歳で死去した。孝勝寺に葬られた。参考文献[編集]
- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)
脚注[編集]
- ^ 『池田氏家譜集成』巻三十『因州鳥取慶安寺略記』
- ^ 『池田家履歴略記』文禄三年甲牛 良正院殿入輿
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百六十三