宝生能楽堂
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宝生能楽堂 | |
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情報 | |
正式名称 | 宝生会館 |
開館 | 1913年 |
客席数 | 490 |
用途 | 能楽舞台 |
運営 | 公益社団法人宝生会 |
所在地 | 東京都文京区本郷一丁目5番9号 |
位置 | 北緯35度42分12.4秒 東経139度45分22.1秒 / 北緯35.703444度 東経139.756139度座標: 北緯35度42分12.4秒 東経139度45分22.1秒 / 北緯35.703444度 東経139.756139度 |
アクセス | JR水道橋より徒歩3分、地下鉄都営三田線水道橋駅より徒歩1分 |
外部リンク | 宝生会 |
宝生能楽堂︵ほうしょうのうがくどう︶は、1913年に開館した公益社団法人宝生会の能楽専門の公演場である[1]。490席を擁する[2]。
概略[編集]
主に宝生流の能楽が行われているが[1]、他流派の催しも開催される[3]。 2階は、内弟子部屋として使用されている[4]。歴史[編集]
1913年︵大正2年︶、神田猿楽町に竣工するが、1923年︵大正12年︶に関東大震災で全焼する[3]。 1924年︵大正13年︶に、松平頼寿︵旧高松藩︶邸跡地が提供され、1928年︵昭和3年︶に﹁宝生会館能楽堂﹂として再建されるが、1945年︵昭和20年︶の太平洋戦争の東京大空襲で焼失する[3]。 1950年︵昭和25年︶に、宝生流の職分から流債をつのり、﹁水道橋能楽堂﹂が再建され、1978年︵昭和53年︶に現在の宝生能楽堂が完成する[3]。2013年に堂内を改装する[5]。評価[編集]
能楽評論家[6]の大河内俊輝は、﹁光彩陸難とはいかぬが、食庫型が抱えたやむを得ぬ措置としては、光にや明に関する限りでは宝生能楽堂が優れている[7]﹂、﹁宝生能楽堂も観世能楽堂ほどひどくはないが、音響に関しては、腫れ物に触るようなところがある。[8]﹂と評している。脚注[編集]
(一)^ ab宝生能楽堂、コトバンク
(二)^ 宝生能楽堂、能楽文化振興協会、2016年5月22日閲覧。
(三)^ abcd宝生能楽堂、宝生会、2016年5月22日閲覧、
(四)^ 貴重な内弟子生活 宝生流能楽師・高橋憲正さん(38)(2)、産経新聞、2014年11月16日、2016年5月22日閲覧。
(五)^ 宝生能楽堂、愛知株式会社、2016年5月22日閲覧。
(六)^ 能楽評論家の大河内俊輝氏が死去、日本経済新聞、2010年11月20日、2016年5月22日閲覧。
(七)^ 大河内俊輝﹃一つの能楽論﹄、能楽出版社, 1985年、p87
(八)^ 大河内俊輝﹃一つの能楽論﹄、能楽出版社, 1985年、p108