小林丑三郎
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小林 丑三郎︵こばやし うしさぶろう、慶応2年6月12日[1]︵1866年7月23日︶ - 昭和5年︵1930年︶1月16日[2]︶は、日本の衆議院議員︵公友倶楽部→公正会︶。経済学者。
経歴[編集]
上野国邑楽郡小泉村︵現在の群馬県邑楽郡大泉町︶出身。1894年︵明治27年︶、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。大蔵省に入省した後、1896年︵明治29年︶に法制局参事官、1898年︵明治31年︶に法制局書記官に任じられた[1]。1907年︵明治40年︶に台湾総督府財務局長に転じ、また法学博士の学位を授けられた[1]。 1915年︵大正4年︶、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1917年︵大正6年︶、海外駐箚財務官に任命され中華民国に赴任した[3]。 その後、明治大学政治経済学部初代学部長[4]、専修大学理事兼学監を務めた[3]。 その他に日本製鋼所株式会社取締役[1]、共同生命保険株式会社監査役[3]、日本大学講師、海軍経理学校嘱託教授などを務めた[5]。栄典[編集]
著書[編集]
- 『比較財政学』(1905年、同文館)
- 『国家財政史』(1910年、宝文館)
- 『財政整理論』(1912年、経済雑誌社)
- 『日本財政論』(1914年、国民大学会)
- 『新税制批判』(1926年、章華社)
- 『批判経済学』(1927年、日本評論社)
- 『経済思想及学説史』(1927年、日本評論社)
- 『税制整理の根本批判』(1927年、日本評論社)