小野竹良
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小野 竹良 | |
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時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 神護景雲3年5月8日(769年6月16日) |
別名 | 都久良 |
官位 |
従四位下、左京大夫 勲四等 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇 |
氏族 | 小野氏 |
小野 竹良︵おの の つくら/ささら︶は、奈良時代の貴族。名は都久良とも記される。系譜は明らかでない。官位は従四位下・左京大夫。
経歴[編集]
孝謙朝の天平勝宝6年︵754年︶従五位下に叙爵。淳仁朝の天平宝字4年︵760年︶蝦夷征討の功績︵雄勝城築城、桃生柵の完成と蝦夷拠点の制圧︶により、東北地方の諸官が昇叙された際、出羽守であった竹良も従五位上に叙せられている。 天平宝字7年︵763年︶左中弁に任ぜられるが、翌天平宝字8年︵764年︶9月に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に加勢したらしく、10月に正五位下に昇叙され、翌天平神護元年︵765年︶には勲四等への叙勲と、従四位下への叙位を受けている。神護景雲2年︵768年︶右京大夫に任ぜられるが、翌神護景雲3年︵769年︶5月8日卒去。最終官位は左京大夫従四位下。官歴[編集]
注記のないものは﹃続日本紀﹄による。- 天平10年(738年) 4月:見美濃大掾[1]
- 時期不詳:正六位上
- 天平勝宝6年(754年) 正月16日:従五位下
- 時期不詳:出羽守
- 天平宝字4年(760年) 正月4日:従五位上
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:左中弁
- 天平宝字8年(764年) 10月7日:正五位下
- 天平神護元年(765年) 正月7日:勲四等。11月23日:従四位下
- 神護景雲2年(768年) 7月1日:右京大夫
- 神護景雲3年(769年) 5月8日:卒去(左京大夫従四位下)
脚注[編集]
- ^ 『大日本古文書(編年文書)』24巻76頁