小野耕一
小野耕一 おの こういち | |
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生年月日 | 1882年6月24日 |
出生地 |
日本 東京府麹町区 (現・東京都千代田区) |
没年月日 | 1962年9月10日(80歳没) |
出身校 |
東京外国語学校修了 (現・東京外国語大学) |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 研究会 |
在任期間 | 1936年9月12日 - 1947年5月2日 |
小野 耕一︵おの こういち、1882年︵明治15年︶6月24日[1] - 1962年︵昭和37年︶9月10日[2]︶は、大正から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴[編集]
東京府麹町区飯田町三丁目︵現東京都千代田区飯田橋︶出身[3]。小野金六の長男として生まれ、1923年︵大正12年︶3月に家督を相続する[3]。東京外国語学校を修了し、1907年︵明治40年︶フランスへ留学する[2]。 東京割引銀行[注 1]頭取、日本煉炭、東洋製罐、松菱殖産、内外食品、東洋鋼鈑各社長、富士製紙、中央ゴム工業、北海道電灯、富士身延鉄道、秋田電気、小武川電力、王子電気軌道、京浜電力各取締役、富士山麓土地、富士山麓電気鉄道各監査役を歴任した[3][2]。ほか、帝国水産会特別議員、大日本水産会理事、国家総動員審議会委員などを務めた[2]。 1936年︵昭和11年︶東京府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月12日に就任し[4]、研究会に所属し1947年︵昭和22年︶5月2日の貴族院廃止まで務めた[2]。親族[編集]
- 父:小野金六(実業家、銀行家)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 昭和7年廃業。