山名教清
山名 教清︵やまな のりきよ、生没年不詳︶は、室町時代中期の武将、守護大名。石見・美作守護。山名義清︵よしきよ︶の子で、山名義理の孫に当たる。子に政清。官位は修理大夫、法名は浄勝。
元服時に室町幕府第6代将軍・足利義教より偏諱を受けて教清と名乗る。永享元年︵1429年︶から石見の守護に任じられていたが、永享9年︵1437年︶に同族の山名熙貴に交代させられた。嘉吉元年︵1441年︶に将軍・義教と熙貴が共に赤松満祐の部下の者に殺害されると︵嘉吉の乱︶、同族の山名持豊︵宗全︶・山名教之と共に満祐討伐軍に加わり、恩賞として満祐の領土美作と熙貴の領土石見を獲得した。以後の消息は不明で、子の政清が美作守護職を受け継いでいる。