山崎紫紅
山崎 紫紅︵やまざき しこう、1875年︵明治8年︶3月3日 - 1939年︵昭和14年︶12月25日︶は、明治から大正にかけて活躍した劇作家、歌舞伎作者。横浜市生まれ。本名は山崎 小三︵やまざき しょうぞう︶。横浜市会議員、神奈川県議会議員、同県議会議長なども務めた。
明治38年︵1905年︶、処女戯曲﹃上杉謙信﹄が伊井蓉峰によって上演される。その後は史劇を多く書き、明治40年︵1907年︶﹃歌舞伎物語﹄などは二代目市川左團次によって何度も上演された。関東大震災後は劇作から遠ざかり、政界や財界で活躍したが、昭和12年︵1937年︶舞踊劇﹃春日竜神﹄を書いている。主な作品に﹃七つ桔梗﹄﹃その夜の石田﹄﹃信玄最後﹄﹃乱れ笹﹄﹃明智光秀﹄﹃松一木﹄﹃恋の洞﹄﹃三七信孝﹄﹃当流鉢木﹄﹃破戒曽我﹄などがある。
雑誌﹃三田文学﹄創刊号︵1910年5月︶にも名を連ねた。創刊号の執筆者は紫紅のほか、森鴎外、野口米次郎、木下杢太郎、三木露風、馬場孤蝶、永井荷風、黒田湖山、深川夜烏など。鴎外と親交があったとされる。﹃三田文学﹄は鴎外、上田敏らを顧問に、荷風を編集主幹に招いて創刊された。背景には慶應義塾大学文学科の刷新があった。自然主義文学の牙城だった﹃早稲田文学﹄への対抗意識もあったようである。
横浜市保土ケ谷区にある樹源寺に墓がある。