山縣友子
やまがた ともこ 山縣 友子 | |
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肖像写真(撮影年不明) | |
生誕 |
1851年6月13日 日本 山口県下関市 |
死没 |
1893年9月12日(42歳没) 日本 |
配偶者 | 山縣有朋(夫) |
子供 | 山縣松子(次女) |
親戚 | 山縣有光(孫) |
山縣 友子︵やまがた ともこ、1851年6月13日︿嘉永4年5月14日﹀ - 1893年︿明治26年﹀9月12日[1]︶は、日本の3代・9代内閣総理大臣である山縣有朋の妻︵内閣総理大臣夫人︶。長州藩︵現在の山口県下関市︶出身。
経歴[編集]
1851年︵嘉永4年︶、現在の山口県下関市湯玉にあった庄屋の娘として生まれる。 1868年︵慶応4年︶に後の夫である山縣有朋が奇兵隊総督に就任したことにより、友子の父親に2人の結婚が認められ、友子は16歳で結婚する。このとき有朋は29歳であった。有朋との間に7人の子をもうけたが、次女松子を除いて夭折[2]。 1889年︵明治22年︶12月24日から1891年︵明治24年︶5月6日までの間は夫・有朋が内閣総理大臣︵第1次山縣内閣︶に就任したため、友子も総理大臣夫人となった。しかし、1893年︵明治26年︶9月12日に肺炎で死去。享年42。友子の没後、有朋は芸者の貞子という女性を妻にしたものの、入籍することはなかった[3]。脚注[編集]
先代 黒田滝子 |
内閣総理大臣夫人 1889年12月24日 - 1891年5月6日 |
次代 松方満佐子 |