岩崎昶

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  19031118 - 1981916

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著書(共著を含む)[編集]

  • 『映画芸術史』(世界社、1930年)
  • 『映画と資本主義』(往来社、1931年)
  • 『プロレタリア映画の知識』(内外社、1932年)
  • 『映画論』(三笠書房、1936年)
  • 『映画の芸術』(協和書院、1936年)
  • 『映画芸術概論』(成美堂、1937年)
  • 『映画と現実』(春陽堂書店、1939年)
  • 『日本の映画』(日本民主主義文化連盟、1948年)
  • 『映画・こうして作られる』(同友社、1949年)
  • 『映画芸術概論』(政治教育協会[国民大学文庫]、1949年)
  • 『映画論』(三笠書房、1949年)
  • 『映画芸術の歴史』(世界評論社、1949年)
  • 『世界映画史』(白揚社、1950年)
  • 『映画スター小史』(自由国民社、1951年)
  • 『目でみる世界の名作映画』(月曜書房、1951年)
  • 『世界映画の鑑賞』(双竜社、1951年)※北川冬彦と共編
  • 『新しい映画の見方』(三笠書房[三笠新書]、1952年)
  • 『世界映画スター小史』(河出書房[市民文庫]、1953年)
  • 『映画百科事典』(白揚社、1954年)
  • 『映画の理論』(岩波新書、1956年)
  • 『日本映画作家論』(中央公論社、1958年)
  • 『映画芸術の歴史』(三笠書房、1958年)
  • 『現代日本の映画 その思想と風俗』(中央公論社、1958年)
  • 『映画史』(東洋経済新報社、1961年)
  • 『現代の映画』(朝日新聞社、1965年)
  • 『根岸寛一』(根岸寛一伝刊行会、1969年)
  • 『現代映画芸術』(岩波新書、1971年)
  • 『チャーリー・チャップリン』(講談社現代新書、1973年)
  • 『映画に見る戦後世相史』(新日本出版社[新日本選書]、1973年)
  • 『ヒトラーと映画』(朝日新聞社出版局[朝日選書]、1975年/2003年)
  • 『占領されたスクリーン わが戦後史』(新日本出版社、1975年)
  • 『日本映画私史』(朝日新聞社、1977年)
  • 『映画が若かったとき 明治・大正・昭和三代の記憶』(平凡社、1980年)
  • 『映画の前説』(合同出版、1981年)
  • 『根岸寛一 伝記・根岸寛一』(大空社、1998年)
  • 『映画は救えるか 岩崎昶遺稿集』(作品社、2003年)

翻訳書[編集]

  • イリヤ・エレンブルク『これが映画だ 夢の工場』(往来社、1933年)
  • J・H・ロースン『ホリウッドの内幕』(新評論社、1955年)
  • J・H・ロースン『劇作とシナリオ創作 その方法と理論』(岩波書店、1958年)
  • セルマ・ニクロース、ピーター・コーツ『チャーリー・チャップリン』(中央公論社、1957年/[中央公論文庫]、1959年)
  • ポール・ロブスン『ここに私は立つ アメリカ黒人歌手の自伝』(光文社[カッパ・ブックス]、1959年)
  • J・H・ロースン『映画芸術論』(岩波書店、1967年)
  • D.W.W.コンデ『CIA黒書』(労働旬報社、1968年)
  • エリック・バーナウ『映像の帝国 アメリカ・テレビ現代史』(サイマル出版会、1973年)

受賞歴[編集]

  • 1975年 - 日本映画ペンクラブ賞(著書「ヒトラーと映画」「占領されたスクリーン」)[3]

出典[編集]

  1. ^ 額には右翼に切りつけられた傷が残っていたという。
  2. ^ 岡田晋『日本映画の歴史』三一書房、1957年、151頁
  3. ^ 第4回 1975年12月贈呈”. 日本映画ペンクラブ (2019年4月30日). 2021年8月8日閲覧。

関連項目[編集]

大島渚は『体験的戦後映像論』 朝日新聞社(1975)において、岩崎は左翼の筋としては争議の記録を残しておくべきだったと発言している。